60 番外編 若き日のセラフィーナと真珠姫
セラフィーナ・ドロテア・フォン・エバーハルトが初めて公爵家の門をくぐったのは、まだ四歳のことだった。
剣を握らせれば恐ろしい速さで型を覚え、学問を与えれば貪るように知識を吸収する。エバーハルト伯爵家の神童と呼ばれていた彼女のもとに、公爵閣下から「娘アイラの友人として通わせよ」という、実質的な命令が下ったのである。
めんどうだ、と思っていた。だが公爵家に断れる家などない。父も母も喜々として命を受け、セラフィーナは着飾られて馬車に乗せられた。
そして――衝撃を受けた。
八歳のアイラを目にした瞬間、セラフィーナは思った。
人形が、そのまま歩いて喋っている。
白磁の肌に、真っ直ぐなプラチナブロンドの髪。淡い空色の瞳は、見る者を一瞬で魅了した。
しかもその人形は、やさしく、あたたかい笑みでセラフィーナを迎え入れたのだ。
あっという間に心を掴まれたセラフィーナは、それからは自主的にアイラの侍女のように仕えた。年齢差ゆえに対等な友人というには距離があったが、聡明なセラフィーナはアイラの負担にならぬよう、礼節をもって彼女に寄り添い続けた。
◇◇◇
アイラ十五歳。セラフィーナ十一歳。
「真珠姫」と呼ばれる美しき公爵令嬢の婚約が、ついに整った。相手はギルベルト・トフィーネ侯爵令息。
当代随一の美丈夫。剣術の才、家柄、人格、そのどれを取っても完璧な青年である。アイラとギルベルト――この世にこれほど似合いの二人があるだろうか。
アイラを敬愛するセラフィーナでさえ、彼にならば真珠姫を託せると心から思った。
二人は相思相愛で、婚礼の日を指折り数えて待っていた。
◇◇◇
だが運命は、時に無慈悲である。
アイラ十八歳、セラフィーナ十四歳のとき。王家主催の舞踏会で、事件は起きた。
――王子が、アイラの腕を掴んだのだ。
「私はこの者を正妃とする!」
突如放たれた宣言に、会場は騒然となった。王家からの圧力。公爵家といえど逆らえぬ権力。
婚約は破断となり、アイラと王子の結婚が決まった。
王子は見目は悪くなかった。濃い金髪に茶の瞳、背も高く、顔立ちも整っていた。だが時代が悪い。血筋を除けば、彼はギルベルトに勝てるものを何一つ持っていなかった。
セラフィーナの真珠姫は、日に日に気力を失っていった。二人きりのときには、美しい涙をはらはらと零すこともあった。
さらに酷いことに、ギルベルトは近衛騎士団から第三騎士団へ左遷された。王家の決定は容赦がなかった。
そして結婚式の日。絢爛な祝福の中、アイラの瞳は虚ろだった。
セラフィーナは人知れず泣き続けた。
◇◇◇
あれから二十年。
王妃を降り、ただの「アイラ」となった真珠姫の隣には、ギルベルトがいた。
二人は並んで歩き、視線を交わし合い、穏やかに微笑んでいた。
その姿を見て、セラフィーナは胸がいっぱいになった。
――ようやく、あなたの物語が幸せに辿り着いたのですね。
セラフィーナは誰にも見えぬところで、そっと目元をぬぐった。




