5 盤上の兄妹
白亜の離宮
窓から差し込む陽光を背に、十歳の少年――コンスタンティン第一王子は、書物の頁をゆっくりと閉じた。
「また、側妃の取り巻きから書状が届いたわ。『殿下の後見はわたくしどもが務めます』ですって」
隣の椅子で脚を組み、退屈そうに紅茶をかき混ぜるのは妹のオクタヴィア王女である。
白皙の顔立ちは正妃の面影を色濃く受け継ぎ、まるで天使のごとき美しさ――だが、その口から出る言葉は刃のように鋭い。
「父上――いや、陛下が彼女の傀儡と化しているのは明らかだ。これは盤上遊戯ではない。命と国の行く末を懸けた現実だ」
「現実の方がずっと残酷よ」
二人は実父を尊敬していない。母の顔もよく知らない。彼らにとっての「家族」とは、慈愛を注ぐ王太后ただひとりであった。
やがて話題は自然と変わっていく。
午後の離宮のテラスへ移り、庭に咲く薔薇を眺めながら、オクタヴィアは侍女に髪を梳かせていた。兄のコンスタンティンは黙々と読書を続けている。
ふと、オクタヴィアが声を落とした。
「……ねえ、兄上。緑の離宮の噂を聞いた?」
「我らが弟の事だろう」
「ええ。呪われた離宮に押し込められて、乳母とその子どもしか傍にいないそうよ。徹底した隔離だわ」
「宰相閣下から耳にした。密かに優秀な教育係を置いたと。それ以上は知らされていない」
コンスタンティンの眉がわずかに寄る。オクタヴィアはその表情を愉しむように観察し、囁いた。
「助けたいのでしょう?」
「……哀れだと思う。王族として生まれながら、 生贄のように閉じ込められるなど」
「ふふ。優しいのね、兄上」
「違う。僕は……まだ力がないことが、忌々しいだけだ」
薔薇の花弁に指を伸ばしながら、オクタヴィアは淡い笑みを浮かべた。
「王は私が生まれてすぐに側妃を迎えたの。でもね、その後も密かに正妃のもとに通っていたのよ。第二王子を産ませたあとで、正妃が再び懐妊したとき――あれが全ての始まりだったわ」
「……それで側妃が怒り狂った、と?」
「そう。烈火のごとく、ね。だから正妃は出産まで実家に匿われていた。けれど、第三王子が生まれた後――父王は完全に側妃の言いなりになった。あの緑の離宮を“呪われた場所”として割り当て、彼をそこに閉じ込めたの」
「緑の離宮の第三王子……」
コンスタンティンがぽつりと呟く。
「彼の名は歴史に残らぬまま、ただの犠牲で終わるのかもしれない」
「そうかしら?」
オクタヴィアは肩をすくめて笑った。
「無能なら、それでもいいわ。遠くの領地で牧歌的に暮らさせればいい。害にならなければ、それはそれで価値があるもの」
「……駒を盤から下ろす、か」
「そう。でも――もし、有能なら?」
オクタヴィアの瞳がきらりと光る。
「盤上に戻して使う価値があるわ。兄上の手元に置いて、忠実な味方に育てるの。孤独と屈辱を知る者は、恩義に敏感だから」
コンスタンティンは妹を見つめ、わずかに眉をひそめる。
「……君は九歳にして、人を駒と呼ぶのか」
「だって私たち、王族でしょう? 情けだけで国は動かないわ」
天使のように愛らしい顔で、悪魔のように冷酷な言葉を紡ぐオクタヴィア。
兄妹は共に、第三王子を「駒」として測ろうとしていた。
――救済ではなく、盤上に置くか退けるか、その価値を見極めるために。




