表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乳母は見届ける  作者: かも ねぎ
青年期
41/65

41 告げ口

 出産を終えて日が浅いルクレツィアは、まだ体を起こすのもつらい様子だった。

 長い妊娠期間を通じて、彼女はほとんどベッドの上で過ごしていた。体調の悪さもあったが、それ以上に――何も仕掛けられずに月日が流れたことが、彼女の苛立ちを募らせていた。


 静かな寝室に、女官が数通の書簡を持って入ってくる。

 妊娠中に届けられたものの、ろくに目を通せなかった報告書だ。


「陛下が……ようやく、お見舞いに来られます」


 その一言に、ルクレツィアは唇に微笑みを浮かべた。だが、その瞳は冷たく光っていた。


 報告書に記されていたのは、正妃がギルベルトに会ったという知らせ。

 まさか――と一瞬思ったが、ルクレツィアはすぐに確信に変わった。あの女が、何の算段もなく騎士と会うはずがない。


 やがて王が姿を現した。

 出産を終えた側妃の体調を慮って見舞いの時期を計りかねていた、という体裁だったが、その実、王にとってルクレツィアは飽きたおもちゃに他ならない。


「体調はどうだ」

 珍しく労わるような声音に、ルクレツィアはかすかな笑みを返した。


「ええ……陛下のお顔を拝見できて、ようやく気が休まりました」

 そう言いながら、手にしていた報告書を伏せ、ゆっくりと王を見上げる。


「……けれど、ひとつだけ、心に引っかかることがございますの」


 わざとためらいを見せる。声は弱々しく、けれど言葉は刃のように鋭かった。


「正妃殿下が……ギルベルトに会っておられたと耳にしました。

 わたくしは、ただ陛下のお立場を案じているだけなのです。

 どうか、陛下のお心が踏みにじられることがありませんようにと――」


 王の顔に、怒りの色が広がっていく。


 ルクレツィアは伏し目がちに視線を落とし、唇を噛みしめる。

 悲しみに耐える健気な女を演じながら、その胸の奥では冷ややかな満足が芽吹いていた。


――これで、あの女の化けの皮が剥がれる。


 寝室の空気は重く、女官たちでさえ息を潜めていた。


◇◇◇


 正妃が庭園を歩いていたのは、朝の陽がまだ柔らかい時間だった。

侍女と数名の従者が控え、静かな小径に鳥のさえずりが響く。


 そこへ、国王の一団が突如として現れた。


「……陛下?」

 侍女の一人が小さく声を上げた。


 王の目は、まるで獣のようにぎらついていた。


「貴様――私の名を辱める気か!」


 乾いた衝撃音。正妃の華奢な体は宙を舞い、白い砂利の上に激しく倒れ込んだ。侍女たちの悲鳴があがる。


 王は息を荒げたまま歩み寄り、倒れた彼女の肩を乱暴に掴むと、なおも拳を振り下ろした。

 頬、肩、脇腹――鈍い音が続けざまに響き、やがて足が振り上げられる。


「やめてください陛下!」「正妃殿下が――!」

 従者や侍女たちが駆け寄ろうとするが、王の怒声がそれを制した。


「下がれ!」


 その刹那、騎士団の鎧が走る音が庭園に響いた。

 数人の騎士が王の腕を押さえつけ、従者たちが正妃を囲んだ。


 王はなおも叫び、暴れたが、騎士たちは動じなかった。


 やがて、正妃がゆっくりと立ち上がった。頬は腫れ、口元には血が滲んでいた。だが背筋は真っ直ぐに伸びている。


「お怪我は……!」

 侍女たちが駆け寄る。


 正妃は首を振った。



「……私は平気です」


 その言葉に、居合わせた者たちの胸に強い印象が刻まれた。


 この日を境に、国王の権威は目に見えて失墜していく。

 そして正妃への同情と支持が、宮廷の隅々にまで広がり始めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ