41 告げ口
出産を終えて日が浅いルクレツィアは、まだ体を起こすのもつらい様子だった。
長い妊娠期間を通じて、彼女はほとんどベッドの上で過ごしていた。体調の悪さもあったが、それ以上に――何も仕掛けられずに月日が流れたことが、彼女の苛立ちを募らせていた。
静かな寝室に、女官が数通の書簡を持って入ってくる。
妊娠中に届けられたものの、ろくに目を通せなかった報告書だ。
「陛下が……ようやく、お見舞いに来られます」
その一言に、ルクレツィアは唇に微笑みを浮かべた。だが、その瞳は冷たく光っていた。
報告書に記されていたのは、正妃がギルベルトに会ったという知らせ。
まさか――と一瞬思ったが、ルクレツィアはすぐに確信に変わった。あの女が、何の算段もなく騎士と会うはずがない。
やがて王が姿を現した。
出産を終えた側妃の体調を慮って見舞いの時期を計りかねていた、という体裁だったが、その実、王にとってルクレツィアは飽きたおもちゃに他ならない。
「体調はどうだ」
珍しく労わるような声音に、ルクレツィアはかすかな笑みを返した。
「ええ……陛下のお顔を拝見できて、ようやく気が休まりました」
そう言いながら、手にしていた報告書を伏せ、ゆっくりと王を見上げる。
「……けれど、ひとつだけ、心に引っかかることがございますの」
わざとためらいを見せる。声は弱々しく、けれど言葉は刃のように鋭かった。
「正妃殿下が……ギルベルトに会っておられたと耳にしました。
わたくしは、ただ陛下のお立場を案じているだけなのです。
どうか、陛下のお心が踏みにじられることがありませんようにと――」
王の顔に、怒りの色が広がっていく。
ルクレツィアは伏し目がちに視線を落とし、唇を噛みしめる。
悲しみに耐える健気な女を演じながら、その胸の奥では冷ややかな満足が芽吹いていた。
――これで、あの女の化けの皮が剥がれる。
寝室の空気は重く、女官たちでさえ息を潜めていた。
◇◇◇
正妃が庭園を歩いていたのは、朝の陽がまだ柔らかい時間だった。
侍女と数名の従者が控え、静かな小径に鳥のさえずりが響く。
そこへ、国王の一団が突如として現れた。
「……陛下?」
侍女の一人が小さく声を上げた。
王の目は、まるで獣のようにぎらついていた。
「貴様――私の名を辱める気か!」
乾いた衝撃音。正妃の華奢な体は宙を舞い、白い砂利の上に激しく倒れ込んだ。侍女たちの悲鳴があがる。
王は息を荒げたまま歩み寄り、倒れた彼女の肩を乱暴に掴むと、なおも拳を振り下ろした。
頬、肩、脇腹――鈍い音が続けざまに響き、やがて足が振り上げられる。
「やめてください陛下!」「正妃殿下が――!」
従者や侍女たちが駆け寄ろうとするが、王の怒声がそれを制した。
「下がれ!」
その刹那、騎士団の鎧が走る音が庭園に響いた。
数人の騎士が王の腕を押さえつけ、従者たちが正妃を囲んだ。
王はなおも叫び、暴れたが、騎士たちは動じなかった。
やがて、正妃がゆっくりと立ち上がった。頬は腫れ、口元には血が滲んでいた。だが背筋は真っ直ぐに伸びている。
「お怪我は……!」
侍女たちが駆け寄る。
正妃は首を振った。
「……私は平気です」
その言葉に、居合わせた者たちの胸に強い印象が刻まれた。
この日を境に、国王の権威は目に見えて失墜していく。
そして正妃への同情と支持が、宮廷の隅々にまで広がり始めたのだった。




