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乳母は見届ける  作者: かも ねぎ
少年期
37/65

37 緑の離宮の客人

 講義を終えて退出する廊下の片隅で、エドワードとマクシミリアンは歩幅を合わせるようになっていた。

 まだ取り巻きたちの輪からは外れていたが、毎回少しだけ交わす会話が、今や暗黙の恒例になりつつあった。


「エドワードは学問が得意なのか?」

 ぽつりとマクシミリアンがこぼした。

「俺は剣術以外はパッとしない。講義も、少し難しい」


 エドワードは困ったように視線を落とし、隣のアウルをちらりと見た。

 するとアウルが小声で耳打ちする。

「エド、殿下をお誘いしては」


 少し迷った末に、エドワードは勇気を振り絞った。

「兄上……もし、お嫌でなければ……一度、緑の離宮に遊びに来られませんか?

 ウルバヌス猊下も離宮におられますし、講義の外のお話も、きっとしてくださると思います」


「……そうか」

 マクシミリアンは短く応じ、それ以上は何も言わなかった。


 その日の会話はそれで終わり。

 別れたあと、エドワードの胸は重く沈んだ。

――きっと来てくれないだろう。

 緑の離宮は「呪われた場所」と囁かれている。本殿で育ったマクシミリアンがわざわざ足を運んでくれるはずがない。


 アウルも同じことを考えていたのか、肩をすくめて笑い、エドワードを慰めた。

「気にするな、エド。来なくても当然さ」


 ところが翌日。

 離宮に先ぶれが届いた。

「明日、マクシミリアン殿下が緑の離宮に参られる」と。


 エドワードは思わず息を呑み、アウルも絶句した。


 そこへセラフィーナがにっこりと笑みを浮かべる。

「では、ガラスのテラスを使っては?」


「「やだ!!!」」


 息ぴったりの二人の抗議。

 正妃を迎える時に総出で磨かされた記憶が、よほどこたえているらしい。


 結局、応接間を使うことに決まった。

 セラフィーナは小さく肩をすくめたが、その目は楽しげだった。


――そして当日。


 エドワードは緊張の面持ちで、マクシミリアンを迎えた。

 予想に反して、彼が連れてきた付き人は最低限の数だけだった。


 側妃と第三王子の確執もあり、多くの従者を従えて押しかけると誰もが思っていた。

 だがマクシミリアンは、わざわざ身軽に来てくれたのだ。


「世話になる」

 相変わらずぶっきらぼうな声音。

 けれどその姿に、エドワードは胸の奥がぽっくりと温かくなった。


◇◇◇


 応接間には、すでにウルバヌスが待っていた。

 マクシミリアンは簡潔に礼を述べると、ためらいもなくエドワードの隣に腰を下ろした。


 アウレリウスは侍従として、主の背後に控えている。

 視線で助けを求められぬ限り、一言も発さないのが彼の務めだった。

 セラフィーナとカールは壁際に並び、無言でその場を見守っている。


 やがて、ウルバヌスが口を開いた。

 講義で触れたことの外にある話を、穏やかな声で。

 騎士の逸話を例に引きながら語ることで、学問に関心を持てないマクシミリアンも自然と耳を傾けていた。話は堅苦しくなく、それでいてどこか深みがあった。


 しばしの後、ウルバヌスが退室すると、部屋に静けさが戻った。


「楽しかった」

 マクシミリアンがぽつりと漏らした。

 エドワードの頬が、思わず赤く染まる。


「母上が……懐妊が分かってから、体調が思わしくなくて。

 嫌な言い方かもしれないが、だからこそ今日はここに来られた」


 アウレリウスはその言葉に、正妃の面影を思い出していた。彼女も側妃の監視が緩んだと言っていた。

 側妃の影響力がいかに強いか――改めて浮き彫りになる。


「また、話す機会を設けたい。呼んだら来てくれるか」

「は、はい! 兄上! いつでもお呼びください」


「それから……俺のことはマックスと呼べ」


 エドワードの顔が、さらに真っ赤になる。

「はい! マックス兄上! 僕のことも……エドとお呼びください!」

「あいわかった」


 マクシミリアンの視線が、エドワードの背後に立つアウレリウスへと移る。

「そこのお前」

「はい」


「名をなんという」

「アウレリウス・レオナルド・フォン・リリエンタールと申します。

リリエンタール伯爵嫡男にして、エドワード殿下の侍従を務めさせていただいております」


マクシミリアンの口元がわずかに歪んだ。

「……名前負けしていると言われないか」

「よく言われます!」


 その率直な答えに、エドワードはたまらず笑ってしまった。

 つられるように、マクシミリアンも小さく笑みを浮かべる。

 アウレリウスも困ったように笑った。


「お前にも……愛称呼びを許す」

「え!? あ、いえ……大変光栄なことでございます」


 マクシミリアンはすっと立ち上がった。

「では、またな。近いうちに連絡をよこす」

「はい、マックス兄上」


 エドワードは慌てて立ち上がり、離宮の外まで見送った。

 馬車が見えなくなるまで――ずっと、彼が去った方角を見つめ続けていた。

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