3 母は強し
王城の子ども用訓練場
側妃の息子である第二王子は煌びやかな衣装をまとい、騎士候補たちに囲まれていた。
一方、第三王子はその片隅で、古びた木剣を手にしている。
彼の前に置かれていたのは、明らかに「折れかけの訓練用人形」。第三王子が首をかしげると、訓練係の騎士がニヤけながら言い放つ。
「殿下には、こちらで十分でしょう」
「王子殿下にこれは不敬に当たります!」
第三王子の従者として共に訓練を受けにきたアウレリウスはそう叫んだが、騎士の耳には入っていないようだった。
その背後から、澄ました声が重ねられる。
「……お前は“呪われている”のだろう。与えてもらえるだけ、十分ではないか」
振り向けば、第二王子マクシミリアンが凛とした態度で木剣を携え、冷然と立っていた。
「本来なら、お前の立場など、ここに並ぶことすら許されぬはずだ」
周囲から小さな笑いが漏れる。
「お情けの“折れ人形”」
「第二王子殿下とは雲泥の差だな」
「貴様ら!」
アウレリウスがキャンキャン騒ぐも効果は薄い。第三王子の頬が赤く染まる。唇を噛みしめているが、言葉にできない。
──そこへ。
「まぁ……折れ人形、ですか」
艶やかな声とともに、セラフィーナが場に現れた。乳母の身でありながら、背筋を伸ばして歩み寄る姿は誰よりも気品に満ちている。
「さすがは騎士団の御方。未来の王子に与えるものを選ぶ眼が、実に“合理的”でいらっしゃる」
「……な、何を」
「なにせ、壊れたものを扱えば、殿下が小さな頃から“立て直す術”を学べる。いつも目の前に新しく美しいものだけが並べられては、真の力は身につかないかも知れませんものね。この上ない訓練となることでございましょう」
彼女の声は朗らかだが、誰もが皮肉だと理解した。
さらにセラフィーナは第三王子の木剣をひょいと取ると、折れかけの人形に一閃。
……バキンッ!
人形は無惨に両断され、地面に転がった。
「ご覧あそばせ。殿下は“壊れたものを打ち破る強さ”を必ずお持ちになるでしょう」
優雅に剣を返し、にっこりと笑う。第三王子は目を丸くし、次の瞬間、ぎゅっと木剣を握りしめた。
「ぼ、ぼく……強くなります!」
アウレリウスも続く。
「母上、ぼくも! ぼくも強くなります!」
訓練場にいた者たちは言葉を失い、誰も笑えなくなっていた。ただ一人、セラフィーナだけが満足そうに微笑む。
(そうそう、それでよろしいのよ、うちの子たちは)
◇◇◇
「いやはや……参った。まさか子どもの訓練場で、君のような妙技を拝めるとは」
低い声に振り向くと、第三騎士団副団長ギルベルトが立っていた。
灰色の瞳に刻まれた皺は、苦労と責任を物語っている。まだ三十を少し過ぎたばかりのはずだが、随分とくたびれて見えた。
「副団長様がここに?」
セラフィーナが首を傾げると、ギルベルトはわずかに肩を竦める。
「本殿に届けねばならぬ書類があってな。本来なら事務官の役目だが……我ら第三騎士団には人手が足りぬ」
「なるほど」セラフィーナは納得したように微笑む。偶然、訓練場の脇を通りかかった彼が、先ほどの一幕──年長の小姓を黙らせた乳母の妙技──を目にしたのだろう。
「妙技だなんて。いやだわ、お恥ずかしい」
セラフィーナは涼しい顔で答える。
「……あれでは、私の立場がない」
副団長は苦い顔をする。
セラフィーナは肩を竦めた。
「立場があれば十分でしょう。殿下の安全は、それだけで守れるものではございません」
副団長はしばし黙り込み、やがてぽつりとこぼした。
「私は……あの方に誓ったのです」
セラフィーナは瞬きを一つ。彼の言う「あの方」が誰か、言葉にされずとも分かる。
「存じておりますわ」
「なのに、剣を預かる身でありながら、こうして少年一人すら守れない。君に庇われているとは……情けない」
副団長の声には悔恨が滲んでいた。
「貴方様が表に立っては、正妃殿下が苦しまれますわ。それで良いのです」
セラフィーナはふっと笑う。
「殿下を守るのはわたくしの役目です。あの子は私の子同然。謝られる筋合いはございませんわ」
副団長は首を振った。
「謝らねばならぬのは、あの方を救えなかったこと……いや、救わなかったことかもしれません」
セラフィーナの瞳が、かすかに細められる。
正妃と副団長の過去、国王の横槍。
彼女もよく知っていることだった。
なにせ、正妃殿下の幼い頃からそばにいたのだ。それらのことは、セラフィーナの目の前で起きていた。
「……正妃殿下は、王妃であると同時に、私の大切な友でもあります」
セラフィーナの声は低く、しかし揺るぎなかった。
「国王陛下と側妃に囚われようと、あの方はあの方。私はこれからも、正妃様のお子を守り抜きますわ」
副団長は目を伏せ、深く息をつく。
「……君には、敵わないな」
「敵うも何も、私は乳母。母は強し、と申すでしょう?」
セラフィーナは軽口を叩き、空を仰いだ。
そこにあったのは、彼女の本気を覆い隠すような、どこまでも優雅な笑みだった。




