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乳母は見届ける  作者: かも ねぎ
少年期
24/65

24 時の川を渡る者たち

 知識の塔は、かつて王家の子弟が学び舎とした場所だった。

 幾度かの政変や不祥事を経て、長らく閉ざされていた塔は、石壁に苔がむしり、螺旋階段には埃が積もり、忘れ去られたように静まり返っていた。


 しかし国王の気まぐれな一言――

「十日に一度くらい、ウルバヌスに講義でもさせろ」

 その軽口が、塔を再び蘇らせるきっかけとなった。


 宰相補佐オズワルドは、ただの広間や緑の離宮での講義を即座に却下した。

 緑の離宮は「呪われた地」として誰もが不安を覚える場所。

 宮殿の大広間は陰謀の影を呼び込みやすい。

 子弟を集めるには、もっとふさわしい場が必要だった。


――ならば、この塔だ。


 塔は高台に立ち、周囲を一望できる。死角はなく、外部の人間が忍び込む余地も少ない。

 内部は円形に造られており、中央に座する者は自然と人々の注目を浴びる。

 警備の配置もしやすく、従者やナニーのための控えの間を新設することで、セラフィーナのような護り手たちも子弟を見守ることができた。


 数ヶ月の修繕の末、塔は再び息を吹き返した。

 国王はすでにこの計画を忘れ、関心を寄せることはなかったが――

 王都の人々は久方ぶりに白大理石の塔を仰ぎ見て、かつての栄華を思い出し、ざわめき合った。


◇◇◇


 初めての講義の日。

 朝の光に満ちた塔の講義室には、まだぎこちない空気が漂っていた。


 真ん中に座していたのは、第二王子マクシミリアン。

 広い背中と強い眼差しで、ただそこにいるだけで場の中心を占める存在だった。

 その周囲を取り巻くように、従者や親しい子息たちが並び、さらにその外側に、野心も派閥も持たない子どもたちが控えめに腰を下ろしていた。


 遅れて入ってきたのは、第三王子エドワードと、その従者アウレリウス。

 ふたりは第二王子派の輪から大きく離れた隅を選び、肩を並べて静かに腰を下ろす。


「……見ろよ、あれ」

「まだ生きてたんだな」

「無駄に学んでも意味ないのに」


 ひそひそと漏れる悪口に、エドワードもアウレリウスも眉ひとつ動かさない。

 ただ無言でノートを開き、目の前の机に向かった。


 その時だった。


「――やめろ」


 低く響いた声が室内を震わせた。

 ざわついていた声がぴたりと止む。


 声の主は、他ならぬ第二王子マクシミリアンだった。

 彼は取り巻きたちを一瞥し、ちらとエドワードの方を見た。

 一瞬だけ視線が交わる。だが、すぐに逸らされる。


 塔に沈黙が満ちたその瞬間、杖の音が床に響いた。

 ウルバヌス猊下がゆっくりと壇に歩み出る。

 白銀に光る髭、深い皺の刻まれた顔。だが瞳だけは鋭く、若者を射抜くように光を帯びていた。


「――では、始めよう」


 静かな声が講義室を包み、ざわついていた空気がすっと引き締まる。


「王族であれ、文官であれ、あるいは商人であれ……すべての者は『時間』の川を渡る旅人に過ぎぬ。

されど、川の流れを知らぬ者は、やがて溺れ、押し流されるだろう」


 そう言って猊下は古びた巻物を掲げた。

 そこには、かつての王国の興亡が記されていた。


「今日の課題は、我らが祖先がなぜ国を興し、いかにして血を流したか。

 その流れを知らぬ者に、明日の一歩を語る資格はない」


 第二王子マクシミリアンは腕を組んだまま、じっと耳を傾ける。

 強靭な体に似合わず、彼は意外なほど真剣な顔をしていた。


 一方、エドワードは小さな文字でノートを取りながら、時折アウレリウスと目を合わせては静かに頷く。

 ふたりは徹底して騒がず、淡々とノートを取り続けた。


「かつてこの国は、五つの部族の盟約から始まった。

 互いに争い、裏切り、殺し合い……だがそれでも、『共に川を渡らねばならぬ』という一点だけは忘れなかった」


 猊下の声は、まるで塔の石壁そのものに刻まれるように響いた。

 子どもたちは誰も身じろぎせず、その言葉を飲み込んでいた。


 講義の終わり、猊下は目を閉じ、杖を軽く床に打ちつけた。


「覚えておけ。

 お前たちはこの王国の未来を背負う。

 だが未来とは、空から降ってくるものではない。

 己が手で掴み取り、己が足で築かねばならぬ」


 鐘が鳴り、初めての講義は幕を閉じた。


 エドワードはノートを閉じ、深く息をついた。

 アウレリウスは肩を軽く叩き、無言で笑う。

 マクシミリアンはしばらく座ったまま、じっと猊下の去った扉を見つめていた。


――ぎこちなくも、確かに始まった。

 知識の塔は、再び子らの声を抱き、時の川を渡ろうとしていた。

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