11 毒の口づけ
王宮 子ども用訓練所
訓練の合間、エドワードは膝に分厚い歴史書を抱え、指で紙を繰りながら小さく眉をひそめている。
隣ではアウレリウスが棒を振り回して走り回り、やがてエドワードの横に腰を下ろして「なあ、ぼくの剣は強いと思うか?」と胸を張る。
そこへ第二王子の取り巻きが顔を出す。
「また本か? 埃っぽいな」
「お前の棒切れじゃ犬すら追えまい」
冷やかしの言葉に、アウレリウスは一瞬むきになる。だがすぐにエドワードの落ち着いた視線に気づいて、唇を引き結んだ。
「本でも棒でも、僕たちには僕たちのやり方があるさ」
子どもらしい反発を混ぜながらも、妙に筋の通った返し。取り巻きたちはむっとして引き下がった。
窓辺からそれを見ていたセラフィーナは、小さく息を吐いた。
(あの子たち……本当に強くなったわ)
母のように慈しむ眼差しと、同時に未来を見据える眼差し。
伸びやかに育ってほしいと願う一方で、二人が避けて通れぬ宮廷の茨の道を理解しているからこそ、セラフィーナは胸を締めつけられる。
「子どもらしくあれ」と言いながら、その幼い背にもう政治の影が差しているのが苦しくてたまらない。
◇◇◇
王宮の奥、夜の帳に沈んだ回廊を抜け、ルクレツィアは人払いをした小間に身を滑り込ませた。
ランプの火が低く揺れ、金糸のカーテンに影を落とす。
そこに待っていたのは、長身で華奢な体躯を持つ男。艶やかな黒髪を肩に流し、細い指でワインを傾ける。珍しい紫の瞳が妖艶に揺らめいて見える。都会の香りをまとったその姿は、豪放な王とはまるで異なる。
「遅かったね、ルクレツィア」
低く甘い声で彼――ティベリウスは囁く。
「陛下がなかなか眠りにつかなくて……。あなたを待たせた罰なら、今ここで受けましょうか?」
唇に挑むような笑みを浮かべるルクレツィアに、ティベリウスはグラスを置き、歩み寄ってその手を取った。
「君の罰など、ひととき会えなかった時間で充分だ」
白い指先に口づけを落とす。ルクレツィアはうっとりと瞳を細め、背を預けた。
ティベリウスの香水の匂い、絹の衣擦れの音――王宮で与えられる豪奢とは違う、彼だけが持つ、艶やかで耽美な世界がルクレツィアを酔わせる。
「……憎らしいわ。あの女が産んだ子らが、のうのうと生きている。
わたくしを愛してくださる陛下でさえ、あの汚らわしい第三王子を切り捨てようとしない」
「だったら、俺が切り捨ててあげる」
ティベリウスの声音は甘いのに、瞳の奥に熱病のような光が宿る。
「王は君を縛り、君の美を檻に閉じ込めている。
だが俺がいる限り、君は自由だ。
君が望むなら――第三王子も、第一王子さえも、この手で消そう」
ルクレツィアはその危うい言葉に身を震わせ、
同時にぞくりと背筋を駆け抜ける快感を覚えた。
この男は、わたくしを女として最も高く置き、
世界の中心に据えてくれる――その陶酔がたまらない。
「お願い、ティベリウス……。わたくしのために、すべてを整えて」
「望みのままに。君の微笑みこそ、俺の唯一の真実だから」
紅を引いた唇と唇が重なり、
ワインよりも甘く、毒よりも濃い夜が更けていった。




