第76話 福祉用具
「動かせるっ……」
自力では持ち上げることはもちろん、机の上で横にずらすのもやっと動くかどうか、という状態だった。
それが、今は机の上でスムーズな動きを見せる。
上下の動きはないが、机でのみで考えれば作業可能範囲は拡大したと見える。
腕の高さは机スレスレに設定し、右手の掌に、平たい魔石がついたバンドを巻きつける。
「これは?」
「無属性の魔法を込めてあります。一般的な、≪吸着≫の魔法です」
加工して使う物は『魔石器』だが、今回は魔法を込めただけの物なので『魔石』。
ウーとロロが首から下げているものや、その二人が保管庫で暴れたときにアオイさんが使っていた結界系の魔法も『魔石』に込められていたものを使っていた。
込めていたのはロタエさんだったから、スグサさんが結界越しの転移を使った時に対抗心が燃え上がってたしまったのだとか。
ガーラさんの目の前には滑り止めのシートを引いた。
殿下から紙、印鑑、封筒、封蝋などの文房具を借りて机に置く。
私は殿下と並んで、ガーラさんの目の前に机を挟んで立つ。
「右手を使いながら、紙を折り畳んで、封筒に入れて封をするところまでやってみてもらえますか?」
「……わかりました」
何故そんなことを、と思ったことだろう。
私をみ見る目は不安に染まっていた。
満足にできなくなったことを、もう一度、それも他人がいる前でやれというのだから、躊躇いもするだろう。
できない姿を見せろと言っている、ととられてもしょうがないと思う。
けれど、不安を抱えながらも、聞き返しもせずに頷いてくれたということは、少なくともガーラさんの中でも何か思ったのだろうと思う。
左手で紙を取り、左手だけで折ろうとする。
しかし大事なものと考えれば、折れ目が斜めったりヨレてしまうのはよろしくない。
折れ目をつける前に、何度も狙いを定めて調整を繰り返す。
もう、右手を使うという発想は薄れてしまっているようだ。
「ガーラさん」
「ん……あ、あぁ、そうか」
右手を示すことで、ようやくその存在を思い出してくれた。
徐に魔力を込め、≪吸着≫の魔法を確認する。
魔法が発動し、机に引いていたシートに掌が吸盤のようにピッタリとくっつく。
「……紙を、押さえて」
集中しているのか、ぶつぶつと呟きながら一つ一つの動作を行なっていく。
≪吸着≫で紙を押さえて、左手で折り畳み跡をつける。
向きを変えてもう一度。
三つ折りにできたら封筒を右手で抑え髪を入れる。
押さえ直して封筒を閉じ、蝋を垂らして押さえる。
「……できた」
「できましたね」
まるで初めて封筒を閉じたかのように、出来上がったものを見つめている。
子どものよう、というほど輝いた目ではないが、思うところはあるようで、黙ったまま。
おそらくの察しはついているので、殿下にも目配りして、しばらく様子を見る。
一分経っただろうか。
そんな短時間も同じ状況を見続ければ、体感としては長く感じる。
「……ヒスイさん」
「はい、何でしょう」
「このことを、俺にやらせるために、呼んだんですか?」
まだ机の上の封筒を見つめて、俯いた状態であるが故の活気がない言葉の裏に、どんな気持ちが隠れているかは推して知るべし。
「それもありますが、それだけではありません。こちらを見てもらえませんか?」
「これは……」
殿下かもらっていた用紙を渡し、ようやく見えた目が文字を追う。
次第に見開かれる瞳は、私の考えをも読み取ったように私を捕らえた。
「この道具と一緒に、いかがですか?」
「よろし、ので?」
「殿下にも話はしてあります。ガーラさんさえ良ければ」
震えているのは声か、瞳か、両方か、私か。
健康であっても健常ではない体での職業復帰は、甘くないと考えていてもそれ以上に甘くはない。
健常である体を前提にした働き方ばかりだから。
元・騎士で体力に自信があったとしても、それは騎士だった時の話。
騎士でなくなったのなら、その自信もすぐかいずれかは無くなってしまう。
プライド、あったと思う。
誇り高い仕事をしていたのだし、あって当然だと思う。
もしかしたら他人から提示されるのも嫌だったかもしれない。
一瞬思ったその考えは、消えた。
「おねがい、します……やらせてください……っ!」
伏せた頭から、ぼろぼろと雫が落ちる。
机の上に握られた左手と、吊るされたままの緩んだ右手が、肩と共に震えている。
殿下を見やり、目が合い、お願いします、と。
「ガーラ・エギ」
「っ、はいっ」
「お前を事務補佐として雇う。契約は別室で行ってもらう」
「はいっ、ありがとうございます!」
がばっと勢いよく頭を下げ、机ギリギリまで伏せた。
よかった、と心から思える。
うまくいってよかった。
ガーラさんが落ち着くのを待ってから、三人で契約と道具の説明のために部屋を移した。
―――――……
「ヒスイの仕事ってどういうものだったんだ?」
殿下の部屋に戻ってきて、一休みの一杯を飲んでいる時の、突然の質問。
意表をつかれてしまったけど、含んだ飲み物は飲み込めた。
「えっとですね。私の職業は主にリハビリテーションを行っていました」