第66話 鬼さんこちら、手の鳴る方へ
「逃げるためならば魔法を使っても構いませんよ。ひとーつ、ふたーつ」
唐突に数え始めたロタエさんを少々恨めしく思いまながら、ひとまず背を向けて森の中へ走った。
方向感間隔なんてもの、正直森でなくともないけど、お城の敷地内だということで遭難はしにくいだろう。
勝手に安心感を抱いて森の奥へ奥へとひたすらに走る。
「……っ、っは……はあぁぁ」
無我夢中で止まらずに走ったので、ある程度の所で限界がきて立ち止まる。
上を見上げると木々の隙間から見える小さめの青空、呼吸を整えながら見ていると、キラキラをまき散らしながらひらひらと浮遊する、白と金の蝶。
「こんな所にも、いるんだ……っ」
よく見るなあ、と思ったのも束の間。
走ってきた方角から、風が吹いてきた。
おそらくは鎌を持った鬼が動くという合図だろうか。
「逃げなきゃ……」
風下の方へ、再び足を進める。
油断しているわけではないけれど、スタートダッシュで体力を使ったので駆け足程度でしか走れなくなってしまった。
止まるよりかはましだろうと思っていたけれど……。
限界想像よりも近くて、五分経たずにまた止まってしまった。
「っ、はぁ……はぁ、ふう……」
―― いいじゃんいいじゃん。楽しくなってきたなあ。
人が大変な思いをしているのに対し、楽しそうな声が頭の中に響く。
「全然楽しくない……。今までで一番怖いですよ」
―― あいつは迫力あるよなぁ。どれ、少しお前らに協力してやろう。
えっ。
と、思った時には時すでに遅く。
って、こんな事前にもあったなあ。
既視感とすでに慣れた感覚と同時に、視界は遠のいて行った。
―――――……
「さて」
弟子には悪いが、なかなか面白そうなことには首を突っ込みたくなってしまう、しょうがない性質なのをご理解いただこう。
事後で申し訳ないとは思っていない。
メンバー交代となったところで、風の魔法を使って木の頂上付近まで登る。
魔力をを持っている奴の気配を探せば、もうすでに姿が見えそうだったぐらいの距離にそいつはいた。
風の魔法で声をそいつに伝えよう。
「スグサ様、ですね」
向こうから話しかけられた。気付いてたか。
「おう。メンバー交代した。お前に提案があってな」
「なんでしょう」
「弟子の奴、ただ走るだけで魔法なんて使う気配もないんだ。お前が近くにいることもわかってなかったと思うし」
「最初からやるとは思っていなかったので想定内ではありましたが」
「そーかい。そこで私様から提案だ。意識は弟子に、体は私様が動かす。だから本気で追いかけてみな」
最後は少し煽りを入れてみた。
見た目より沸点の低い女魔術師は魔力を少し揺らがせ、つまりそれは感情も揺らいだということ。
挑発に乗りやすい奴は扱いやすいな。
いや、私様だからかもしれないが。
「……よろしいのですね?」
「ああ。前言ったしな」
また戦りたいと思ってたんだ。
風の魔法で直接双方に届く声は、感情も素直に届けてくる。
向こうからは苛立ちが、向こうには愉悦が届いていることだろう。
「じゃ、今から交代すっから、十秒後に来い」
一方的に告げて、ふわりと地面に降り立つ。
降り立ったと同時に、弟子と意識を交代。
「す、スグサさんっ、どうするんですかっ」
珍しく慌てているようだが、私様が負けるわけないだろうに。
そして真顔だけど慌てているのがわかるというのはなかなか変な感じだ。
―― お前は体の感覚と使い方に気をつけてろ。
「え、わ、うわっ」
体を動かすのは私様なので問答無用だ。
風の魔法を使って推進力を上げる。
水平移動だけではなく、垂直移動も含ませる。
気の上を伝って、飛んで、回って行く。
「酔いそう……っ」
―― んなこと言ってないで、後ろに気を付けろよ。
「え……うわっ」
首を回して後ろを見せてやって、ようやく気付いたようだ。
目と刃を光らせて静かに付け狙う、鬼、もとい死神に。
「風・中級魔法」
鬼は片手に持った鎌を大きく横に振り、風邪の斬撃を飛ばしてきた。
進む方向を直角に曲げ、木を障害にして斬撃を切り抜ける。
鬼ごっこじゃなかったか?
―― 本気だねぇ。
「こっわ……」
―― 行くぞ。
もう少し早くするか。
木の幹が凹む程に推進力を上げ、一気に距離を上げる。
手を枝に引っ掛け、小刻みに方向を変えながらより遠くへ逃げる。
「……こんな感じのスポーツがあったなあ」
―― なんだそれ。
「なんて言うのかは……思い出せないですけど、街の中を走ったり跳んだり回ったりして移動していくんです」
―― へー。お前それやってたの?
「やって……ないと思います」
忙しなく移動しているつもりだが、淡々と話せるお前も大概だな。
女魔術師が追ってきている気配はあるが、距離が開いてきたな。
そろそろいいか。
―― 弟子。今度はお前の番だ。
「えっ」
―― お前が風の魔法を使って、逃げ切ってみろ。
「えっ」
何度も言うが、問答無用だ。
―――――……