第132話 影の射す
引っかかる言い方をする。
隣に並ぶナオさんの顔を、もう一度見る。
自信なさそうなのは変わらず、憂いているようでもある。
悲しみ、やるせなさ……あとなんだろう。
とりあえず、あまり良い表情ではなさそう。
どうして、と聞きたいが、聞いていいのだろうか。
少し待ってみる。
が、あまり喋ってくれる気配はなく、ただ黙々と、食堂までの距離が詰まるだけ。
そしてゼロ距離になり、食堂の扉が目の前に迫る。
「……あの」
「はい」
「怒ってますか?」
「え?」
やっと喋ってくれたと思ったら、まさかのというか、想像していなかった言葉だった。
「えーっと、怒っているように見えますか?」
半信半疑で聞き返す。
ようやく正面から見合った顔。
ナオさんの表情は、さっきまでの暗い顔よりもどこか確信めいたものがあるように見える。
そして、そう思うのは間違いではないのだろう。
小さいながらも確かに頷いた。
「はい。だから、ごめんなさい」
「え、いや、謝らないでください。怒ってないです……というより、不思議に思ってたんです」
「不思議に……?」
「はい。みなさんは、あまり快適ではないのですか?」
起きている人たちはみな、思い思いに過ごしている。
萎縮している様でもなく、恐怖や不安を抱えている様でもなく。
ただただ、職員と良い人間関係を作って、それこそ、最期の時を理想の通りに過ごせているのではないかと思うのだが。
見えていない部分があるのだろうか。
「……この建物は、最近建て直しました」
「はい」
「それは、貴族から要望があったからです」
その貴族は、別にこの土地の持ち主というわけでも、ここに住んでいるわけでも、親族というわけでもない。
ただ位が高いだけの貴族らしい。
ある日、その貴族が多額の寄付金をク・フロロ家に持ち込み、「この金で建物を綺麗に、かつ部屋を増やすんだ!」と命令口調で言ってきた。
フロロ家としては、「なぜこんな言われ方をされなければならないのか」とか。
「なぜこんなに寄付金を」とか。
「裏があるのではないか」とか。
色々思ったらしいが、実際建物の老朽化は進んでおり、お化け屋敷の状態だったらしい。
療養院の入居者も、もっと快適な環境を望んでいる声が多く、入居者に対して人手も足りない。
正直な気持ちとしては渡りに船だった。
しかし容易く言われたようにすることはできなかったフロロ家は、念書を交わしたうえで、有難く改築と増築、人件費として使わせてもらったよう。
「……いい話ではあるようですが、ナオさんとしては納得はされていないんですか?」
「納得は、してます。改築してからも何も言ってきてない。けど、あの顔は……」
そのまま、顔色悪く、口も体も止まってしまった。
呟いた言葉的には信用ならないところがあったのだろう。
それこそ、顔とか。
ナオさんはもしかしたら、人の顔色を窺うのがとても上手いのかもしれない。
私の半分しかない表情から感情を読み取ろうとしたのも、その貴族の顔が引っ掛かっているところも。
「ナオさんは」
「っ、はい」
「人の気配を察するのに長けているのでしょうか」
長い前髪の隙間から、目が大きくなったのが分かった。
見るからに動揺している。
唐突なことを言ったからだろう。
そう思った理由を言ったら少しは落ち着いてくれるだろうか。
「じじさんの部屋に行った時も、浮かない顔をしていましたね」
「あ……それは、ちょっと」
「何部屋も通り過ぎてクザ先生が最初の方に向かったということと、クザ先生がいる部屋に一直線だったこと。そしてご飯時なのに、じじさんは食事をしている様子はありませんでした。食欲がなくて食べていないのか、もともと食べないのか、敢えて食べなかったのかわかりませんが、どれにしても食べる状況ではなかったのでしょう。それがわかったからあまり浮かない顔をしていたのかな、と思いましたが……」
総評して。
まあ憶測だが。
「じじさんの状態は良いものではない。なのに私には笑顔を向けていた。それはもしかしたら無理をしていたものかもしれない。それを知っているナオさんは普通の表情でいられなかった。じじさんの状態、もしくはクザ先生の心情を察した。同じようにして、その支援した貴族にもいい感情や気配を感じ得なかった」
怯えるというのは警戒。
警戒していたら人の一挙手一投足に注意を配る。
手足だけでなく、視線や表情にも気を配るだろう。
何をされるかわからないから。
何をしてくるかわからないから。
何があるかわからないから。
自分が考える以上のことが起こるかもしれないから。
そういう性格であって、そういう生活を十何年もしていたのなら。
得意どころか『通常』となっている可能性も無きにしも非ず。
目をまん丸くしたまま、口もぽっかりと開けている。
当たったのか、的外れすぎて呆気に取られているのかわからないが。
どちらにしろどちらなのか教えてほしい。
違ったら恥ずかしいけど。
「違ったらすみません。妄想です」
「……違います」
「そうでしたか。すみません」
「いえ」
違ったようだ。
背けられた顔と目には、影が射していた。
幸いにして今まで食堂の扉を開ける人は一人もおらず、私たちはようやく食堂に足を踏み入れた。
今までで一番早足で私から離れていくナオさんの背中は、焦りのようなものが滲んでいるように見える。
感情が読み取れたら、ここではとてもありがたいのになあ。




