Episode3 裏切りの代償
広い部屋の中だった。重苦しい藍色の壁の部屋、人影が一つうごめいている。
手には黒く小さな箱、こじ開けようと影が動いている。
窓の外は鉛色の雲が覆い雨を降らせている。バタバタとやかましい雨粒が窓に張り付いた。
人影が小さく反応したが次の瞬間、背後にあった分厚い自動扉が開く。
「エノルさん……何をしているんですか」
扉からした声に、大柄な男の影が動きを止める。
「キュアー、ここは佐官室だぞ今すぐに出ていけ」
「そ、それはエノルさんも同じはずです」
エノルは振り返らないが、キュアーの声が震えていることがよく分かった。
「俺はロム大佐に頼まれたんだ、早く出ていけ」
「う、嘘です。ソルダさんが言ってました。ロム大佐にそんな、エノルなんて部下はいないって」
エノルの影がゆっくりと振り向いた。血走った目がキュアーを捉える。
「ひっ!」
小さなキュアーの声が響く。
「お前はいつもいつも、本当に役立たずだな!」
「僕は役に立つために兵士になったんじゃありません! 僕は、僕は人を救うために衛生兵になったんです! エノルさんがなにをしているのかわからないけど、僕はあなたも救いたくて……」
キュアーの声が途中で途切れる。大男の腕が蛇のように素早く伸び、キュアーの首に食らいつく。
「誰が、誰を救うだって⁉」
エノルの声が響いたと同時に爆音が部屋に転がり込み、すべての音をかき消した。
銃声だ。ガラスの窓が砕け散り、風と雨が一気に降り注ぐ。硝煙のにおいがあたりに充満する。
硬い腕から解放されたキュアーは地面に倒れ、何度もせき込んだ。
「こんな状況になっても武器すら抜かないか。衛生兵だなお前は」
キュアーとエノルの前にしゃがみ込んだ一人の人間があった。人間の手には自動式のハンドガンが握られて、エノルに銃口が向いている。
小さく煙を上げる銃からは確かに弾丸が発射されていたことがわかる。
銃を構えたソルダが叫ぶ。
「こいつに手を出すなら隊長の俺が相手してやる」
「隊長?何が隊長だお前は、ただの兵士だろう」
うなるようにエノルが言った。
「止めるように指示したがキュアーはお前を助けようとした、こいつは俺の部下だ。手を出す奴は絶対に許さない。覚悟しろよ」
床に倒れたままのキュアーが体を起こそうと身をよじる。
「ソルダさん…」
「ははっ、ははははっ! そんな役立たずを部下になんかしてどうする! ソルダだったなお前もキュアーもここでバラバラにしてやる」
エノルが笑い声をあげた途端、彼の手が床についた。ジャケットの袖からは鉄色の腕が蛇腹型に伸びているのが見える。
声を上げる口が大きく開き、顔の半分がフードの様に首側に裏返る。口からは腕と同じ色の頭が飛び出し、赤く光る眼が三つ不気味に並んでいた。その姿はまるで機械の人形だ
「驚いた、お前何者だ」
「俺が何かすらわからないお前たちには理解もできないだろう」
さっきと違う二重した声でエノルはその腕を鞭のように振るう。
ソルダはキュアーを抱え上げて後方へ転がる。すんでのところで腕を避けたが、今まで立っていた床ははじけ飛び土がむき出しになる。
「なんだそんなに体が動くのか、無駄なことだがな」
エノルは腕を天井に叩きつけ、粉砕する。煙と瓦礫があたり一面に降り注いだ。
砂煙の中、人間の見る影すら残っていないエノルが飛び出した。部屋の窓からつながる海側のヘリポートへ姿を現した。その腕には小さな箱が抱えられている。
「死んだな」
巨大なサイレンと雨粒の中、海側に視線をそらす。
風をなでる音と衝撃に振り返ると、煙の中からソルダが突進してくる。
「なっ⁉」
声を上げる前に胴体に蹴りを食らい派手に体がはじけ飛んだ。
ヘリポートの上で受け身を取ったが、赤い目の光が何度も点滅している。
「なんだ、お前いったいどうやって⁉」
ようやく声に出した様子のエノルの腕には、軍用のナイフが一本突き刺さっていた。さっきの衝撃の正体のようだった。
「まさか……」
ソルダが立つすぐ後ろには気を失ったキュアーの姿がある。
「なんでだ! 確かにつぶれて死んだだろう!」
エノルは箱を抱えたまま片方の腕をソルダに伸ばす。
「人間が俺の力で死なないはずがない!バラバラになれぇ!」
直進する腕は銃弾の様に加速したが、ソルダはそれをいとも簡単に避けるとエノルに向かって銃を突き出した。
「ウソ…」
次の瞬間に銃声が鳴り響き、エノルの赤い目を一つ貫通した。
「言っただろう。覚悟しろよ」
ソルダがつぶやいたと同時にガシャリと音を立てて機械の人形が倒れる。
鉛色の雲が流れ、日の光が海を照らした。雨が止む。