Episode1 ―兵士― ソルダ
夕日が照らす海岸に人影がひとつ見える。
小さな黒い木の箱をイス代わりに、さざ波がきらめく沖を褐色の瞳で見つめている。
精悍な顔つきをした少年だ。フードのついた青いジャケットに黒いパンツ、軍用のブーツとグローブを着用して傍らには、いかつい突撃銃まで抱えている。
少年の黒く短い髪が海風になびいた。
海岸はゴツゴツした岩だらけで、切り立った崖を波が何度も叩く。
「そろそろ帰りましょうか」
少年の背後から男の声がした。
「ソルダ」
そう言われて、ようやく振り返る。
少年の後ろに一人の男が夕日を浴びて立っていた。
細身の男だ。ネクタイのないシャツに特徴のないズボン、首からは社員証らしき名札を下げてそれを胸ポケットに挟み込んでいる。糸のように細い目をしてにこやかに笑っていた。
黒い髪は長くも短くもなかった。要するに、あまり特徴がない。
「遅いですよロム先生」
ソルダと呼ばれた少年があきれたように言った。
「すみません、本社から呼び出しを受けてしまって、また仕事があるのですよ」
「この積み荷も本社に?」
銃を肩にかけながら、黒い箱を両手で持ち上げたソルダが聞いた。
ロムと呼ばれた男が応える。
「ああ、いや、それは……」
ロムの声が途切れて、崖の下から轟音とともに一機の輸送ヘリがせり上がってきた。すさまじい突風が二人を襲う。
光沢のない鉛色のヘリには、水を模した紋章と側面に青いロゴマークが刻まれている。
―AQUA LINE― ロゴマークの文字はそう読める。
「ちょうどよかった。行きましょう、ソルダ」
暗い部屋の中、発光する巨大な液晶モニターの前に小さな人影が座っている。
フードを深くかぶり、シーツを体に巻き付けた人影の顔はよく見えない。部屋にはPCのやかましいモーター音と、キーボードを叩く音だけが力なく反射している。
「ん? こんな時間にヘリの帰投?」
気だるげな声は人影のものだ。
「どこの誰、ピックアップ期間終わるのに」
人影がキーボードを操作するとモニターに人事資料らしき文書と顔写真が映される。
「ソルダ? どうして隊員名しかないんだ」
数秒間、資料を眺めたあとすべての資料が画面から消える。
「どうでもいいか。ガチャ回そう」
夕日が射す透明な通路を人間が二人、大きなダンボールを抱えて歩いている。
広く長い通路には他の人影が見当たらない。透明な壁をオレンジ色の光が照らして、同じく透明な床から数十メートル下に波打つ海が見える。見渡す限り陸地はない。
後ろを歩いている背の低い人影が立ち止まった。
きれいに撫でつけられたショートの髪を持った少女のようだった。その細い体躯に不釣り合いなダンボールを抱えている。澄んだ夕焼け空を見上げて何かを視界に捉えた。
「ヘリ?」
首をかしげた拍子にやわらかい髪が流れる。赤い空に小さな黒い点を見つけていた。輸送ヘリだった。
「おい! なに突っ立ってんだ」
先を歩く人影がだみ声を挙げて、小さな体は飛び上がった。
「は、はい! いま行きます!」
走りだそうとした細い足がもつれて、派手にダンボールごと小さな体がひっくり返る。
「なにしてんだ、バカ」
あきれた声が反響した。
「……ごめんなさい」
権威づいた部屋、というのがソルダの感想だった。やたらめったら広く、重苦しい藍色の壁の部屋でソルダは足を広げ後ろ手に手を組んで立っている。いわゆる休めの姿勢だ。
持っていた突撃銃はなく、腿のホルスターに収まった自動式のハンドガンだけを装備している。
ソルダの背後には分厚い自動扉と、天井近くに刻まれたAQUA LINEのロゴマーク。
彼の正面には無骨な席に着いた笑顔のロム。壁には青白く光る照明。
部屋にあるものはそれだけだった。
「相変わらず、暗い部屋ですね」
ロムがゆっくりと口を開く。
「権力とはそういうものだと思います。先生は佐官なんですから、らしさというものを身に着けてください」
「悪態ですねソルダ、反抗期にしては少々長いようですが。二人きりの時くらい敬語はやめてください」
「いえ、自分はアクアラインでは、あくまで軍曹なので」
ソルダはロムと目を合わさずに言う。
「でしたら、せめて口の悪さを何とかしてください」
ため息交じりに言った後で、ロムは机の引き出しを開いて両手に乗るほどの小さな箱を取り出した。
「そういえば、さっきの任務で回収した箱は?」
ロムの手元に視線を合わせて、ソルダが切り出す。
「あれはLDCと言って、個人的なものなのでキミたちには必要ないものですよ」
「なら、俺を呼び出すまでもなかったでしょう」
ふてくされたソルダの顔に、わずかな幼さが浮かんだ。
「ソルダらしい態度になってきましたね。あれはキミが回収するべきものだったのですよ。それにキミの用事はこちらのほうです」
そう言ってロムは机に置いた箱を開く。分厚い紙製の箱で中には機械的なゴーグルがひとつ収まっていた。ソルダの表情があからさまに曇る。
「社内説明は受けました。彼女には会いたくありません」
「はっはっはっ! 正直ですね、ソルダ。しかしつけてもらわないと昇格を承認できませんよ」
「……」
「形式的なものですから」
目をそらしてしばらく黙っていたソルダだが、あきらめたように肩を落とした。
ロムの机に足取り重く近づいて、傷ひとつない新品同様のゴーグルを手に取る。
「いってらっしゃい」
笑顔で手を振るロムを呪いつつ、ソルダはゴーグルを自分の目に装着する。
途端に視界が光の渦に包まれた。
閃々とした光の糸が足元から四方八方に伸びていく。正面から直撃する突風とともに視界が開ける。
地形線まで広がる鏡のように澄んだ水、小さな雲がゆるやかに流れる青い空。今までいた薄暗い部屋は影も形もない。ロムの姿もこの幻想的な景色の中には存在しなかった。
「リル! どこだ?」
ソルダがあたりを見回していると
「ここですよ、オーブさん」
耳元で声がして、ソルダは虫を払うように耳元に手を振る。
ペチン!
反射的だったが確かに何かを叩いた感覚があった。
「いったぁ! ちょっと意地悪しただけじゃないですか~」
ソルダの背後にいたのだろう。一人の少女が赤くなった頬を抑えた少女が泣きわめいていた。
青い髪に青い瞳、白いワンピースを着た少女だ。透き通るような白い肌だが、今は頬だけ赤くなっている。
「あ、ワルイ……」
目が点になったソルダが謝罪する。
「プログラムだって傷つくんですよ、まったく」
自業自得だろうと言ってやりたかったが、のどまで出た言葉をかみ殺した。
「それで、オーブさん。本日はなにか御用でしょうか?」
「ロム中佐の命令だ。軍曹への昇格認定を頼めるか。それと、俺はもうオーブさんじゃなくてソルダ軍曹だ」
ソルダが心底不機嫌に説明するが、リルと呼ばれた少女は意に介すことなく快活に応えた。
「ソルダさん、ソルダさん、はい! インプットしました! えっと、軍曹への昇格手続きですね!」
リルが元気いっぱい腕を振り上げると、彼女の頭上に閃光が走り、巨大な文字が中空に表れる。
―AQUA LINE― それは何度も見てきたロゴマークだった。
「このアクアライン管理者プログラム、通称LIRにお任せください」
リルは続けて腕を大きく振るう。
空中のロゴマークが回転し、一周したころに巨大な軍用ヘリの立体映像に変わった。
「ソルダさんもご存じの通り、アクアラインは陸海空の戦力を有した汎用的な軍事企業です」
リルが話に合わせて歩き出すと、その向こうから一台の装甲車が音を立てて驀進してくる。装甲車はリルの体を避けてソルダの体に衝突した。
立体映像と理解していても、反射的に片手を正面へ突き出してしまう。
「いま世界には数多くの軍事企業が存在しています」
リルの声に目を開けると、地面の水は消え、勾配のある荒野に立っていた。銃を持った人間たちが群をなしてソルダを追い越していく。
「各企業が独自の軍を持ち、戦闘を繰り返しています。企業に雇用された軍人は活躍に応じて報酬や昇格が約束されているわけですね」
リルは相変わらず楽しそうに説明している。
「戦闘や潜入などによる任務でキルが多ければ報酬もたくさん! というわけです!」
パチン! とリルが指を鳴らすと、目の前の荒野や人間たちがかき消され水と青空の空間に切り替わった。
「ソルダ軍曹、これからもアクアラインに貢献して、いっぱいいっぱいキルを取っちゃいましょうね!」
「……ああ、そうだな」
「どうしました? 元気がありませんよ? 昇進なんですよ昇進! 会社さんが正式によしよししてくれてるんですよ」
リルはソルダの手を取って、子供のようにぶんぶんと振り回す。
そんな少女の手を振り払って、ソルダは無表情のまま応える。
「それはつまり、人を殺すということだ」
「その通りです」
間髪入れずにリルは言う。
「今までと何も変わりませんよ?」
無邪気に首をかしげるリルに、ソルダは無言のままだった。
「コホン、とにかくアクアラインの事業理念は説明いたしましたので、ソルダさんを正式に軍曹として認定します。パチパチパチ」
小さく拍手するリルに、とりあえずの納得をした様子でソルダは彼女を見る。
「さらに軍曹になったソルダさんには特典として、小隊設立の権利が授与されます!」
リルが大きく両腕を挙げたと同時に、青い空に大きな花火が何発も打ちあがる。
「二名以上、最大十名の隊員を統率することができるんだったな」
「その通りです。ソルダさん自身が選抜したアクアラインの職員で小隊を結成してください。あなただけの最強部隊ですよ!」
リルはもう一度元気いっぱいに飛び跳ねてみせる。
「軍曹への認可はそれで終わりか?」
「ノリが悪いですね。管理プログラムによる認可は終了しました」
露骨に落ち込むリルを気に掛けることもなく、ソルダは自分の眼もとに顔に手を当てる。
目のあたりをつかむ動作をして、感触だけを頼りにゴーグルを外す。同時に視界が変わった。
薄暗い部屋と、穏やかな笑みを崩すことなくソルダを見つめるロムの姿が眼前に広がった。肌に受ける風も足元の水を踏みしめる感触もない。
「終わりました」
一言だけ告げて、手の中のゴーグルを差し出す。
「楽しいお話はできましたか、ソルダ」
受け取ったゴーグルを丁寧に箱にしまいながらロムはいたずらっぽく聞いた。
「ただのプログラムと話すことはありません」
「冷たいですね。彼女は愛情をもって我々に接しているのですよ」
「これ以上用件がないのでしたら、失礼します」
にべもなく言って、ソルダは背を向ける。
「たまには食事でもしませんか、ソルダ。新しい部隊についても話し合いましょう」
「すみません」
振り返ることなく、ソルダは分厚い自動扉から出ていく。
「まだ、むずかしい時期ですね。ソルダ」
ロムはため息をついて椅子に体を沈めた。