マッチ棒の兵隊(吉野善吉・軍曹)
筵のベッドで一日中、ブツブツと「念仏」を唱えて居る兵隊さんが居りました。
毛布の名札には『吉野善吉 軍曹』と書いてあります。
渡辺軍医に尋ねると、
「あの患者は『マッチ棒の兵隊』で、自殺する事すら出来ないんだ」
と言うのです。
よく見ると両手両足が無く、胴体と頭だけで生きて居るのです。
眼は一点を見詰め、念仏三昧でいつ来るか分からない「お迎え」を待って居るのです。
渡辺軍医は私に、
「あの患者に食事を摂らせたいのだが、キミやってくれるか?」
「え、ワタシ?・・・ですか。 私は・・・」
即答が出来ませんでした。
私は看護婦として失格です。
私は吉野さんのベッドの傍を通る時はいつも目を反らして、
「ワタシは看護婦としては失格です」
『ワタシは看護婦としては失格です』
と念仏の様に唱えながら、足早に通り過ぎる様にしていました。
妻と子供の名前を大声で呼び続ける、気が触れた兵隊(患者)さんが居ります。
大声を出すと人間の精神は安定すると「看護婦学校」で教わりました。
でもここに入院している兵隊さんは、「気違い」で居る事で、精神の安定を保っている様です。
私はこのニューギニア島『ラエの野戦病院』に赴任して初めて、
『兵隊とは死ぬ為に必死に生きて、そして死んで行く』
と云う事を知りました。
敵も味方も皆「気違い」に成って、死んで行くのです。
吉野善吉 陸軍軍曹
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)