死んでも帰れぬニューギニア(終わり)
今日も数組の元日本兵達がマダン仮収容所の門をくぐりました。
何も持たず、自作の白旗を掲げる元兵隊、三八銃をオーストラリア兵の守衛に渡して片目をつむるもの。門の前で倒れる者。訳の分からない言葉(英語)でオーストラリア兵と握手する者。勿論、中には負傷した者や病気の者も。
収容所は数日で元日本兵達で溢れんばかりになってしまいました。
その日の午後、東部ニューギニア『マダン収容所』の敗残兵達に集合が掛かりました。
ジョーンズ少佐がおもむろに事務所から出て来て、高台に立ちました。
そして敗残兵に向かって、
『皆さんに、お伝えしたい事があります』
敗残兵達は一瞬、静まり返りました。
『皆さんは今度、港に入る船でオーストラリアの収容施設に行ってもらいます。そこには沢山のアナタ方の戦友が居るはずです。施設は広く、医療も完備されたゆっくりと寛げる所です』
すると、集まった敗残兵の中から声がしました。
『ジャングルの次は砂漠の一軒家だろうッ!』
ジョーンズ少佐は答えました。
『ノウ。・・・カウラ捕虜収容施設です!』
そしてカウラに移された敗残兵達・・・。
空に成ったマダンの旧日本軍陣地には教会の神父が元日本兵の忘れて行ったモノを集めています。
そこに小さな赤十字の印の付いたナースバック(包帯嚢)が有りました。
バックには『従軍看護婦 杉浦仁美』と書いてあります。
神父はバックを開けてみました。
中には半紙にきちっと包まれ『名前の書かれた遺物』が多数入っています。
その中のに
山下幸一 陸軍上等兵(32歳・元教員)
ニューギニア島ラエにて戦死
と書かれた遺物が有りました。
包みを開けると、
『煤けた紙・爪・遺髪・家族と撮った別れの写真・小指大の遺骨』が。
神父は思いました。
『コレはどうしても遺族に届けなければ』
島から遠く離れて行くカウラに向かう輸送船をじっと見詰める神父・・・。
話しはここからオーストラリア『カウラ捕虜収容所』に移ります。
死んでも帰れぬニューギニア。
平成二九年執筆
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