発狂兵(岩村伸治・二等兵)
今日も病院の庭の『花の舞台』では極楽蝶が舞っています。
「赤チンの飲み薬」が功を奏したのか、小山上等兵の下痢は治ったようでした。
小山さんの右隣の筵の兵隊さんは何を考えているのか、今日も幸せそうに笑って寝て居ます。
毛布には『岩村伸治二等兵』と書いてありました。
私は片手片足の無い辻さんに、あの笑う兵隊さんの事を聞いてみました。
すると、
「僕が此処に寝かされた時から笑って居た」と言うのです。
野嶋婦長に岩村二等兵と云う兵隊さんについて尋ねると、岩村さんは最初この病院に入る事をとても拒んだそうです。
その日、岩村さんは尾籠の木陰から受付に並ぶ兵隊さん達の様子を伺っていたそうです。
衛生兵の伊藤さんが、奇妙な行動をとる岩村さんを見つけて受付に連れて行こうとすると、
「自分は病気では無いッ!」
と叫び始めたそうです。看護兵の原さんが岩村さんの精神を落ち着かせ、受付で問診をすると、何やら、
「吉祥寺の叔母さんが船に乗って来る」
と言うのです。そして、
「吉祥寺の叔母さんに会って、どうしても一言、謝りたい事がある」
と言うのです。
ここは東部ニューギニアの最前線。
吉祥寺の叔母さんが来るはずはありません。
すると、並んでいた一人の兵隊さんが岩村さんを見て、
「あッ! あの野朗、高地を攻略中、オレ達に向かって手榴弾を投げていた兵隊だ!」
と叫んだそうです。オレ達に向かって? 味方に向かって?・・・。
私は夜の巡回中、あの岩村さんと云う兵隊さんの「ククク」と言う笑い声を聞くと、気味が悪くて逃げ出したくなります。
岩村伸治 陸軍二等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
つづく