地震が遭った
金田さん、緒方軍医長、徳丸部隊長代理と片腕の梶田軍曹が「朝の打ち合わせ」をして居ました。
私は、打ち合わせを終えて部隊長室から出て来た緒方軍医長に、これからの事を尋ねてみました。
すると、
「連合軍は日本本土に矛先を向けてしまった様だ。島に残る多数の兵隊は置き去りだ」
『置き去り?・・・』
午後。
緒方軍医長以下の医療班はいつもの様に教会に集まる患者さん達の診療に行きました。
土民は診療代として南国の果物や野豚の肉の蒸し焼き、漬け物?、芋、地酒、等を置いて行きます。
私達は夕方、それ等の食料を風呂敷や雑嚢に入れて陣地まで持って来ます。
この陣地には立派な『五右衛門風呂』が備えて有りました。
メードがいつも風呂を掃除し、湯を沸かしておいてくれます。
ジャングルの中の「彷徨兵達」は未だに地を這い、死神と戦って居るのに、此処の見捨てられた兵隊さんは南国の満天の星を眺めながら五右衛門風呂に浸かり豪勢な『南洋食事』を楽しんで居るのです。
それにしても、このマダンの陣地に残された「故角田部隊長に嫌われた十人」の兵隊さんは、戦争をどの様に考えて居るのでしよう。
七月。
ニューギニア東部に『大きな地震』が起きました。
マダンの陣地からから見える、あの「ニューギニア富士」が爆発したのです。
土民の家も多数崩壊しました。
教会の神父が、陣地に駆け込んで来ました。
家の下敷きに成った子供が居ると言うのです。
マダンとラエの「医療混成部隊」は急いで外に集合し神父を先頭に、『赤十字の旗』を掲げる伊藤衛生兵、後ろにあの身体が大きい柔道三段の『馬吉軍曹』、その後ろに緒方軍医長以下ラエの医療班七人と徳丸部隊長代理達十人、金田さん達十人、ラエの野戦病院の生き残りの兵隊さん達九人が続きます。
現地に着き周囲を見ると、高床の住居なので住居を支える柱が折れて家が傾き、惨憺たるものでした。
あちこちにで、土民達が倒壊した家を片付けています。
『赤十字の旗』と医療班の「腕章」を見て婦人達が数人、私達を囲み原地語で何か叫んでいます。
神父が通訳をすると、
「子供と赤ん坊が家の下敷きになって居る」
と言うのです。
私達、医療班と兵隊さん達は別れて、婦人達の指示する現場に急ぎました。
一人目の子供は「女の子」で、椰子木の柱に下半身を挟まれ気を失って居ました。
早速、バカ力の馬吉軍曹達が土民達の手伝いを借りて、一人を助け出しました。
直ぐに、野嶋婦長が応急処置をして、私達は次の倒壊現場に向かいます。
馬吉軍曹の号令一喝、マダンの兵隊さん達は目の色が変わったごとく、救出に向かって行きます。
ニッパ椰子の葉の上に、助け出された子供達や赤ん坊が多数寝かされて居ました。
ラエの医療班が手早く応急処置をして行きます。
子供達の応急処置が終わると、全員で負傷者達をマダンの教会に運びました。
途中どうしても近道をするには、深い川を渡らなくてはなりません。
馬吉軍曹が傷ついた子供を抱いて一目散に満水の川を「立ち泳ぎ」で渡って行きました。
続いて、次々に負傷した子供を背負い、兵隊さん達が川を渡って行きます。
私や野嶋婦長も医療用具を頭の上に載せ、しっかりと紐で縛り、川を渡りました。
そして砂浜を走り、マダンの教会に飛び込んで行きました。
暫くして、槍と太鼓を持った家族達も教会に来ました。
軍医長は早速、『得意の執刀』を始めます。
次々と処置して行く緒方軍医長と崔軍医、
緒方軍医長は周りを囲む家族に、
「ほらココとココの二箇所折れている。見てご覧なさい」
と言いました。
それを見て家族達は太鼓を叩き、子供の周りで奇妙な踊りを始めました。
どうやら生身の体を切り開く事は土民達の宗教上、良くない事らしいのです。
祈祷師の様な長老が踊りながら、緒方軍医長と崔軍医に槍を突き刺す仕草をしていました。
静止した河村看護兵が槍で腕を刺されました。
馬吉軍曹が怒り、長老の持つ槍を取り上げ、簡単に折って捨ててしまいました。
すると、それを見た家族の一人が急いで教会から走り出て、部落に帰ってしまいました。
暫くして、その家族の一人が戦いの装束を纏った部族を引き連れ教会を囲みました。
私は、これはまずい事に成ったと思い、緒方軍医長の後ろに身を潜めて居ました。
すると神父が仲裁に入り、酋長を教会の中に招き入れました。
施術の終わった数人の子供達は何も無かった様な顔で笑っています。
酋長は子供の笑った顔を見て、呆気にとられて眼を丸くして緒方軍医長達を見詰めていました。
神父が、
「ほら、生き返ったぞ!」
と言うと、急いで酋長が外に出て、部族達を教会の中に引き入れました。
ソレを見た途端、全員が踊り始めたのです。
酋長は、緒方軍医長に黒い身体をぶつけ始めたのです。
すると、集まった部族全員が、マダンの混成部隊の兵隊さん達に身体をぶつけて踊るのです。
兵隊さん達も、面白がって尻を振りながら身体をぶつけて踊っていました。勿論、私も。
そればかりではありません。
手術中の崔軍医や河村看護兵、原看護兵にも同じ事をするのです。
崔軍医は集中して手術が出来ません。
不思議な事に、手術中の子供は笑っているのです。
ニューギニアの子供の我慢強さに呆れました。
もし私が骨折で手術されたら・・・。
いや、もしかしたらニューギニアの人達は、子供の時から『痛みの感覚が無い?』のかも知れません。