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死んだ画家(辻 信行・准尉)

 その若い兵隊さんは、天井を見つめたまま動きませんでした。

私がその兵隊さんの傍を通り過ぎた時の話しです。

兵隊さんは鼻すじの通った美しい顔でした。

軍隊毛布の名札には『辻 信行ツジ・ノブユキ 准尉』と書いてありました。

すると後ろから、

 「ご苦労さま」

と言う声が聞こえました。

振り向くと・・・あの辻さんでした。

辻さんは天井を見詰めたまま笑って居ます。

 「辻さんですか?」

私は声のヌシを確認しました。

すると、

 「そうだったかな?」

奇妙な返事が返って来ました。

 「お名前を、お忘れですか?」

 「おナマエ? もう『お名前』は必要なくなった。辻と云う人間は死んだよ」

と言うのです。

私は元気付ける様に、

 「何を言ってるのですか、辻さんはまだ生きていますよ」

と言ってやりました。

 「・・・准尉さんですか?」

と尋ねると、

 「そう書いて有ったか。・・・生前はね」

と力無く答えました。

 「准尉さんと云う事は、学徒出身の方ですか?」

 「ガクト? そんな事はどうでも良い」

 「・・・怒っているのですか」

 「怒って何かいないよ」

 「・・・どちらの大学でした?」

 「うん? 芸大だった。ゴッホに成りたくてね」

 「ゴッホ?」

 「知ってる?」

 「はい。耳を切った画家サンですよね」

 「そう。でも、もう無理さ。このカラダじゃね」

私は辻さんの横たわる姿を見ました。

右腕は見えません。

 「・・・腕ですか」

と聞くと、天井を見詰めたまま薄笑いを浮かべ、

 「足もね」

と顔をしかめて答えました。

私は毛布で覆われた辻さんの『下半身』を見ました。

片方の足先に掛けられた毛布の厚みがありません。

 「地雷ですか?」

辻さんは小声で、

 「自分の埋めた地雷を踏んじゃってね。兵隊としては失格だ。バカなんだよ、バカ」

辻さんは力なく笑いました。

 「・・・災難でしたね。何処で飛ばされたのですか?」

 「ブナだ。そこで足と腕を捨てて来たんだ」

笑って答えました。

私は驚いて、

 「え? ブナから? その傷で?」

 「うん?・・・そうだ」

噂によると、ブナで戦った兵隊さんは『全滅』したと聞いてます。

 「ここまで百キロは有るでしょう?」

すると辻さんは私の方に顔を向けて、

 「よくここまで来ましたね。かな? そうだよね。・・・ようやくここに辿り着いて、この待合室でその先に逝くバスを待って居るんだよ」

 「バスを待つ?」

 「そう。あの世行きのバスさ」

私は辻さんにどの様な言葉を返して良いのか分りませんでした。

天井を見詰め話を続ける辻さん。

 「人間の運命って不思議だね」

私は黙って辻さんの話しを聞いていました。

 「最初、僕は死んで居たんだ。すると闇の向こうから奇妙な兵隊が二人歩いて来てね。一人は不思議と糧秣(食料)をふんだんに持っていてね。たしか、『ノムラ』と言ったかな? ノムラと云う男はもう一人を『ハヤシ』と呼んでいた。二人はブナで戦闘機にやられたそうだ。そのハヤシと云う兵隊が僕を背負ってこの病院まで来てくれたんだ。あの二人が居なければ僕はとっくにこの世には居ないな」

 「で、その方達はどちらに?」

 「その方達?・・・。それがこの病院の前まで来ると、『後はバスが迎えにきます』と冗談を言って消えてしまったんだ」

私は驚いて、

 「バス? 消えた? まさか幽霊じゃ」

すると辻さんは、

 「そうだな。あれは幽霊だ。幽霊が幽霊を背負ってこの待合室まで来たんだ」

そう言って、辻さんは天井を見て笑って居ました。


 辻 信雄陸軍 准尉

 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

                           つづく

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