武器は釣竿(金田さん)
私達は釣りをしていた『彼岸の兵隊』サン達に合流しました。
彼等の小集団には階級などは有りませんでした。
案の定、一人の兵隊さんが肩を負傷し、洞窟の壁に寄り掛かって休んで居ました。
朝鮮出身の崔軍医が、アカチンとピンセットで蛆をとりの除き、ガーゼと包帯で簡易処置をしました。
幸い、弾は腕を貫通していました。
夕方、私達は久しぶりに飯盒でメシを焚き、獲物の魚を焼いて食べました。
私は「此岸の幽霊」が「彼岸の人間」に助けられた様な、妙な感じがしました。
コメ(米)は、洞窟の隅に置かれたの五つの背嚢に、溢れるほど有りました。
私達は白メシの米粒を噛みしめながら、生きている『喜びと幸せ』に浸りました。
緒方軍医長は、此処まで来た経緯を彼等に説明していました。
彼岸の兵隊さん達は、笑いながら聞いていました。
そして、話しをしている内に彼等は元第二十師団(朝鮮半島出身)の兵隊さんだと云う事が分かりました。
同じ故郷の出身の寡黙な『崔軍医』も、同郷だと聞いてとても会話がはずんでいました。
皆さん、とても和やかな兵隊さんばかりでした。
その中に『金田さん』と云う、歳の頃なら三五歳位の方が居りました。
金田さんは、緒方軍医長が『赤十字の旗』を振って居たので安心したと言ってました。
そして、フィンシハーヘンが攻撃された時の事を話してくれました。
私達(ラエの病院からの患者)が移動した後、直ぐに砲撃が始まり、暫くして陣内にオーストラリア軍が攻め込んで来たそうです。
金田さん達の部隊は這々の体でジャングルの中に退却、そこで部隊は解かれたそうです。あとは点々バラバラに散開し、遊兵に成ってしまったと話してくれました。
部隊が解かれた時、部隊長の最後の言葉が、
「生きていたら、また何処かで会おう」
と、淋しい事を言ってたそうです。
金田さんは更に話を続けました。
「ジブン達は、今は兵隊ではありません。武器は捨ててしまいました」
と言うのです。
「米は重いし、弾の無い『かさばる銃』は杖にもならない。戦う事と生きる事を秤に掛けたら全員が銃はいらないと云う結論に達しました」
と言ってました。
「アレ(銃)を捨てたら洗脳が解けたかの様に、とても身体が軽く成った」
とも言っていました。
軍医長も、大笑いしながら金田さんの話を聞いていました。
事実、私が周りを見回しても武器らしいモノは何一つ置いてありません。
目立ったのは「竹の釣り竿」が洞窟の隅に「数本」立て掛けてあった事です。
竿には布切れで各人の名前を書いて縛ってあります。
野嶋婦長はそれを見て、
「釣り竿には各自『コダワリ』が有りそうですね」
と金田さんに尋ねました。
金田さんは野嶋婦長の声を聞いて驚いてました。
姿服装や動作からして、まさか『女性』だとは思わなかったそうです。
金田さんは隣に座っていた私の事もジッと見詰めて、
「もしかして、・・・アナタも女性ですか?」
と聞いて来ました。
私は、
「はい。看護婦です」
と答えました。
皆さん、非常に驚いていました。
緒方軍医長は、
「この二人は女性ではありませんよ。化け物です。近寄ると喰われますよ」
と言ったら皆さん大笑いをしてました。
暫く冗談話は続きましたが、緒方軍医長が頭の良さそうな金田さんに、これからの事を尋ねました。
すると金田さんは突然、希望の持てる様な?話しを語り始めたのです。
それは、
「この下に在るマダンの陣地には連合軍は攻めて来ません。連合軍はマダンまで攻める意味が無い」
と言うのです。
「日本軍の飛行場は全て潰してしまったしダンピールの兵糧攻めが功を奏し、もはや島の東の日本軍には戦闘意欲が無く、これ以上、連合軍はそこに勢力を執られるべきでは無い」
と読んでいる様でした。
そして、
「むしろ連合軍は、西のアイタペ、ホーランジアの日本陣地からビアク島方面に矛先を進めて行く筈です」
と言うのです。
いろいろと話しを聞いて居る内に「金田さん」と云う方は実は、『参謀部付けの任務』に携わって居た方だと分かりました。
そして、兵隊をやって居た時の階級は『大尉』だと話したのです。
これには私達も恐れ入りました。
「作戦のプロ」と、「人を救うプロ」が此処に集まって居るのです。
私は地獄の曇り空の中から『輝く仏様』が現れたのかと思いました。
こうなると故国までの遠い道程に、一輪の大きな灯りが見えて来た様な気がしてきました。