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彼岸の兵隊

 川を下る壊れた兵隊さん達。

前を歩く兵隊さんの頭を見ながら、ウツロな目をしてフラフラと歩いて行きます。

まるで何かに吸い寄せられる様に。

私は前を歩く兵隊さんにカスレた声で、


 「頑張りましょう。ウエワク迄はもう少しですよ」


と声を掛けました。

何の反応もありません。

私もそれ以上の声は出ませんでした。


 「バサッ」


・・・音がしました。

列の中ほどを歩いていた兵隊さんが倒れました。

私は急いで傍により、


 「大丈夫ですか! しっかりして下さい」


私は涙を流しながら叫びました。

杉下スギシタさんと云う『上等兵』でした。

野嶋婦長も来て、


 「杉下上等兵、起きなさい!」


と気合いの入った声を掛けました。

杉下さんはニッコリと笑って立とうとしましたが無理の様でした。

緒方軍医長も急いで杉下さんの傍に来て診ています。

河村、原の両看護兵も杉下さんの周りを囲み、励ましていましたが、残念ながら息を引き取りました。

兵隊さん達は自分の事以外に考えられない様で、亡くなった杉下さんを茫然と見て居るだけでした。

軍医長達は杉下さんの遺骸を川まで引きずって行き、流しました。

私はただ震えて見ているだけです。

もう涙もでません。

暫く歩いて行くと、緒方軍医長が立ち止りました。

そして、前を歩く旗手(赤十字の旗)の伊藤衛生兵に、


 「おい、少し休もう」


と小声で言いました。

兵隊さん達は、川岸に打ち上げられた流木に腰をおろしました。

誰も何も喋りません。

私は人数を数えてみました。

緒方軍医長とワタシ達を入れて七名、兵隊さんが九名、全部で『十六名』に成ってしまいました。

「ラエの病院」を後にした時は、百名近く居た歩ける兵隊さん達。

今は私達病院関係者を入れてもたった十六名しか居ないのです。

皆、この川の向こう岸、彼岸ヒガンに逝ってしまったのです。

私はふと川の向こう岸(彼岸)を見ました。


 「?」


釣りをしている『兵隊さん』が二人居ます。

私はとうとう、自分も精神までやられてしまったのかと思いました。

すると軍医長が、


 「あそこに居るのは日本兵じゃないのか?」


と言いました。

腰を下ろして居る兵隊さん達も、それを聞いて呆然と二人の日本兵を見ています。

すると、一人の日本兵が魚を釣り上げました。

と、マングローブの林の中から五~六人、ボロボロな軍服をマトった日本兵達が笑いながら出て来ました。

私は狐に摘まれた様な感覚に襲われました。

それはまさに『遊兵』です。

幽霊ではない「ユウヘイ」なのです。

軍医長は伊藤衛生兵の握る『赤十字の旗』を奪い力いっぱい振りながら、


 「おーい!」


と声を掛けました。

向こう岸の兵隊さん達も「赤十字の旗」を振る私達に気付いたのか手を振っています。

すると一人の兵隊さんが私達に、釣った魚を数匹投げてよこしました。

私達と兵隊さん達は急いで『此岸シガン』に落ちた魚を拾いに行きました。

軍医長は、


 「ありがとう。アンタ達は何人居るのだ?」


と声を掛けました。

すると、


 「十人居ます。フィンシハーフェンの残兵です」


と言う返事が返って来ました。

その姿は髭や髪は伸び放題で、まるで私には『原始人』の様に見えました。

多分、私達も相手から見たらそう見えたのでしようが。

そして彼等は緒方軍医長の持つ『赤十字の旗』を見て、


 「医療班ですか? クスリはお持ちでしょうか」


と聞いて来たのです。

軍医長は、


 「アカチンと馬油なら持ってます」


と答えると、彼岸ヒガンの兵隊さんは驚いた様に、


 「アカチン? お願いします! 足をヤラレタ仲間が居るのです」


と返して来ました。

私はこの「やり取り」を聞いて居て、これはもはや完全に軍隊では無いと思いました。

緒方軍医長は赤十字の雑嚢から『アカチン』をヒト瓶取り出し、魚のお返しに向こう岸に投げました。

向こう岸の兵隊さんはアカチンの瓶を手に取り、高く上げて、


 「助かりました。何か欲しいモノは有りますか?」


と尋ねて来ました。

緒方軍医長は、


 「欲しいモノだらけです。糧抹(食料)はお持ちですか?」


すると、


 「持ってますよ。沢山あります。逃げ出す時にカッパラってきましたから」


と、笑いながら元気よく答えて来ました。

それを聞いて軍医長が、


 「それは良い! 私達と一緒にこの川を下って、ウエワクまで行きませんか」


と言いました。

すると、


 「この川はハンサまで続いています。ウエワクはもう一つの先の川を渡らなくては行けません。その川の下流のハンサには日本軍の陣地は在りません。自分達と合流して『マダン』に行きましょう。マダンはまだヤラレていません」


緒方軍医長以下全員が驚き、そして動揺しました。

壊れた兵隊さん達は全員、緒方軍医長を見て、


 「軍医長殿、マダンに行きましょう。あの兵隊達と合流してマダンに行きましょう!」


そして、私達はあの『彼岸ヒガン』に居る兵隊さんの言った『マダン』に最後の希望を託したのです。

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