手榴弾と兵隊の人権
「ラエに連合軍が攻めて来る!」
避難して来た負傷兵が教えてくれました。
院内は異様な雰囲気が広まって来ました。
ブナからワウ、サラモア。
連合軍は敗退する日本軍を追って西へ西へと移動して来ていると云うのです。
私は緒方軍医長に『これからの事』を尋ねました。
軍医長もその事に触れられるのが怖いのか、薄笑いを浮かべて居るだけです。
私が兵隊さんから聞いた話ですが、前線で病院が移動する際に、軍医達が『手榴弾』を机の上に並べて行くそうです。
私は軍医達が直接傷病兵に手榴弾を渡して回るのかと思っていました。
それだけは見たくないと思いました。
しかし机の上に並べて行くとは初耳です。
私はその違いを中村看護兵に聞いてみました。
中村さんは、こう答えてくれました。
「それが医療に携わる者が最後にする『傷病兵達の人権』に対する表現だ」
私は『人権』と聞いて驚きました。
私は兵隊さんには人権などは無いと思って居たからです。
中村さんは、
「私が付いた軍医の中で、手榴弾を直接傷病兵に手渡しした方は見た事が無い」
と言うのです。
最前線では「上官」が傷病兵に対し、
「他の兵隊の足手まといになるからジブンで処せ!」
と手榴弾を渡して回ると云う事は聞いて居ました。
机の上に手榴弾を置く事が、『死の選択肢と云う人権』。
手渡しは、
『選択肢の無い死の義務』。
最前線の負傷兵は、
「選択肢の無い死の義務」。
病院内の傷病兵は、
「死の選択肢と云う人権」。
私は看護学校の図書室で『詭弁』と云う本を借りて読んだ事があります。
兵隊サンは、まさにこの「詭弁」によって戦場に送り込まれたのではないでしょうか。
軍上層部の声の大きい男の方に罵声を浴びせられながら誤魔化され、数十万人の兵隊サンがこの戦場にやって来て、命を落とし「塵』と変わり果てる。
マッチ箱の中の一本のマッチ棒の様に、パッと燃えフッと消される。
まさに『消耗品』です。
「お国の為」と云う詭弁で、無理やり私達を納得させ、精神を鼓舞させ、そして最後は殺されてしまうのです。
もはや日本には、『人材も武器も飛行機も船も弾さえ無い』と云う事はほとんどの兵隊さんは分っている筈です。
このバカげた戦場で「抗命」する上官や指揮官も増えていると聞きます。
シラけてしまったこのニューギニアの戦いでは、いくら待っても「増援や救援」は来ないのです。
私達の帝国陸海軍は、このニューギニアの最後の戦線で、全ての航空機と艦船を廃棄するつもりなのでしようか。