空中戦
私と野嶋婦長さんが兵隊さん達の包帯を洗って干していた時の事です。
何処からか戦闘機の爆音が聞こえて来ました。
病室の兵隊さん達は、とうとう来る時が来たかと思い耳を澄まして爆音を聞いています。
緒方軍医長と看護兵、衛生兵達は急いで病院の外に出て行きました。
すると戦闘機が赤十字の旗が翻る真上で、空中線を始めたではないですか。
軍医長は急いで病院に戻り、大声で筵に横たわる兵隊さん達に向かって叫びました。
「ゼロ戦だ! 皆出て来い」
それを聞いて、動ける兵隊さん達は急いで外に出て来ました。
野嶋婦長も上空を見つめながら包帯を握りしめ、気持ちを昂らせていました。
私は空中戦を目の当たりにするのは生まれて初めてです。
ましてやそれが『ゼロ戦の勇姿』となると。
あの「ゼロ戦」は何処から飛んで来たのでしょう。
兵隊さん達はまるで「大川の花火」を観るかの様に感動していました。
中でも緒方軍医長は傍から見ても「異常」でした。
椅子を持ち出し、色ガラスを眼鏡に当てて上空を見ながら怒鳴っています。
後日、中村看護兵から聞いた話ですが、軍医長は学生時代に剣道部の副将をやっていたそうです。
その腕前は「免許皆伝」だと言う話しです。
私も野嶋婦長もそれを聞いて、あの時の「異常さ」が何となく理解出来るような気がしました。
空中戦は約二十分ほど続いたでしょうか。
最初は一対一の接戦でしたが、暫くして敵機は加勢を頼んだ様で、「三対一」に成りました。
軍医長はそれを見て「異常さ」が頂点に達した様でした。
「こらーッ! テメー等、キタネーぞー。回れ〜、右だッ! そうだ・・・よ〜し、腹を狙え、ハラを。ハラだ、バカ者ッ! 上を見ろ、上に一つ居るぞー、あッ! あ〜あ。おッ! ヤッタ、ヤッタ、おい、見たか、ヤッタぞッ! さすがゼロ戦だ」
敵の一機の翼から、煙りが出ています。
すると、緒方軍医長は松葉杖の兵隊さんの肩を力いっぱい叩いたのです。
まるで自分が戦闘機の飛行兵に成ったかの様でした。
叩かれた兵隊さんは軍医長を見て、怖がって病院の中に戻っしまいました。
上空では、敵の戦闘機が無茶苦茶に機銃を乱射しています。
ゼロ戦は空高く上昇し、翻って残る一機に、猛然と機銃を乱射しました。
見事、敵機の尾翼から煙りの筋が見えます。
しかしゼロ戦の捨て身の戦法も、後から追って来た敵戦闘機の猛弾に翼を撃ち抜かれ、残念ながら煙の帯を引いてジャングルの中に落ちて行きました。
それを見ていた緒方軍医長は非常に落胆。
肩を落として俯いてしまいました。
しかし、・・・何を思ったか、
「おい、落ちたゼロ戦を見に行くぞ! まだ操縦士が生きて居るかも知れん」
と言ったのです。
助けに行こうと言ってもこの迷路の様なジャングルの中。ましてや壊れた兵隊さんばかりです。
助けてもらいたいのはこちらの方です。
私は、軍医長は気が狂ったのかと思いました。
すると軍医長が、
「良いから俺に続けッ! 命令だ。歩ける者は一緒に来い」
と強要するのです。
仕方無いので崔軍医と原看護兵、野嶋婦長の三人を残し、私達病院関係者と兵隊さんの有志数人は、緒方軍医長の命令に従いました。