小指の無い武次郎(前科3犯)
秘密の食料庫には、動ける兵隊さん達が浜から転がして来た大切な『食料樽』が整然と並べて置いてあります。
私も野嶋婦長も、当初これだけ有れば半年は持つと思っていました。
が・・・。
妙な事に、私が秘密の食糧庫の樽の中を確認に行くと、中身の食料が少しずつ減って行くのです。
誰かが何処かに『横流し』している事は明らかです。
私は婦長にお願いして毎晩、蚊に刺されながら食料庫を見張って居ました。
するとある晩の事。
あの板前出身の「土屋武次郎」が空の背嚢を背負って、食料庫に入って行ったのです。
暫くすると、いっぱいに成った背嚢を重そうに背負い、倉庫を出て来ました。
私は、
「武次郎サン? ・・・何をしていました?」
と、声を掛けました。
武次郎はその声に驚いて、一目散にジャングルの中に消えて行きました。
私は急いで食料庫の中に入ってランプを点けました。
すると、倉庫の中は味噌、醤油、塩、缶詰、マッチ、そして米が散らばっています。
不思議な事に「雑貨」と書いてある樽には手を付けていません。
雑貨樽の中身は「蝋燭、線香、提灯、骨壷、紐・・・」等です。
病院から消えた「武次郎」の事を、私はそれとは無く親戚のタケジロウさんに聞いてみました。
タケジロウさんは、あまり身内の事は喋りたく無さそうでしたが、少しだけ教えてくれました。
「実はね。・・・あの武次郎と云うアンちゃんは『前科モン』で取手じゃソコソコ、名の通ったヤローだ」
と言ってました。
そして、
「本当は親戚中に煙たがられていた男で、死んでお国の為に奉公して来い。二度と取手に戻って来るな」
と『三行半の万歳』をされて送り出された『入れ墨者』だと話してくれました。
私はいくら患者さんとは言えど、人をあまり信じてはいけないと、つくづく思いました。
その晩から巡回時は「財布・時計」などの貴重品は腹巻きの中にシッカリと仕舞って、紐を付けておく事にしました。中には『スリ』も居るからです。
軍隊とは、たとえ病院と言えども、魑魅魍魎がウヨウヨして居る所なのです。
確かに最初から刺青や小指の無い、顔や頭に傷の有る壊れた兵隊さんも居ましたから。
土屋武次郎(前科3犯)陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて行方不明)
戦後、千葉市栄町(闇市)にて検挙される。