死の待合室(小山 勲・上等兵)
インパチェスの花の上にたくさんの「極楽蝶」が休んで居ます。
その兵隊さんの毛布の名札には、『小山 勲上等兵』と書いて有りました。
毛布の下は褌だけで、垂れ流した水便で汚れていました。病名は『アミーバ赤痢』。
小山さんの問診票から
小山 勲(28歳)
彷徨中、葉っぱに溜まった水を飲んでいた。一緒に居た仲間も同じ症状。お婆さんから、「ミミズを乾燥させて食べると良い」と聞いた事があるので試す。効き目は無し。
私が小山さんの問診をしていると院内から軍医が出て来ました。
此処からは私が見ていた小山さんと軍医との会話の様子です。
軍医は私の書いた問診票を見て、
「オマエ、動けるじゃないか。動けるのなら戻って戦って来なさい」
と言いました。
『戻って戦って来なさい・・・』
小山さんはその言葉を聞いて憮然と軍医を睨んでいました。
しかし、そこまで・・・。小山さんは机の上で気を失ってしまいました。
私は痩せた小山さんを支え、病院の一番奥の筵に寝かせました。
小山さんの隣りに寝て居る兵隊さんを見ると、毛布には『吉田 猛上等兵』と書いてありました。
吉田さんはだいぶ熱が高いらしく、汗と震え、そして咳が止まりません。
野村婦長が傍を通ったので吉田さんの病名を尋ねました。
マラリアで、すでに治療の施し様が無いと言うのです。
周りを見回すと吉田さんの様な兵隊があちこちに居りました。
私は控え室に戻り、野村婦長さんに薬の事を聞いてみました。
すると「薬は無い」と言うのです。
暫くして看護兵の河村さんが吉田さんの所に来て、名前を数回、誰何しました。吉田さんは何の反応もありません。河村さんは吉田さんの瞳孔を覗くと、「ダメだな」と「一言」言い残し、軽く合掌して医務室に戻ってしまいました。私は『ソレ』を見て恐ろしくなりました。
その日の夕方、吉田さんは息を引き取りました。
私は思いました。此処はもはや病院ではない。閻魔サマの裁きを待つ、ただの『死への待合室』だと。
私は医務室で河村さんに、「この病院には何人くらいの兵隊さんが居るのですか」と尋ねてみました。
河村さんは苛立った表情で私を睨み、「それを聞いてどうする」と言いました。
私は返答に困り、「失礼しました」と謝りました。
すると河村さんはため息まじりで、「五百位だ」とボソッと答えました。
この筵を敷いただけの病院に五百名もの兵隊さんが寝かされているのです。
私が知らされているこの『病院の体制』は、
軍医が三名
「緒方光照軍医長・崔 純一・渡辺道尚」
看護兵三名
「河村順平・原 圭介・中村 悟」
看護婦三名
「野嶋愛子婦長・高山陽子・私(杉浦仁美)」
衛生兵二名
「伊藤尚弥・松本純一」
のたったの『十一名』です。「十一名」で約五百名もの兵隊さんを診る?そんな事は到底無理ではないでしょうか。
赴任した日から数日経ったある日の事。
野嶋婦長と私、緒方軍医長が苦しむ兵隊さんを診てる間に、隣りの片手片足の無い『笹田雄一郎軍曹』と云う兵隊さんが息を引き取りました。
昼間より夜の方が悲惨です。
兵隊さん達の叫び声と腐った肉の臭い、垂れ流しの糞尿の匂いで眠れません。
この病院でグッスリと寝て居る兵隊さんは、耳の聞こえない兵隊さんか脳をやられた兵隊さん、精神を病んだ兵隊さん、亡くなる寸前の兵隊さんと亡くなっている兵隊さんだけではないでしょうか。私はつくづく蚊に刺されながら外で寝ていた方がましだと思いました。
朝に成ると朝食が出ます。でもそれは、数えるほどの米が沈んだオモユが一杯回るだけです。これでは兵隊さんに力が付くわけがありません。奥の方で、大声で喧嘩している声が聞こえます。
「オマエは手がネー(無い)んだから飯は喰うな! 早く死ね!」
「何ッ! キサマ上官に向かって何を言うか!」
一杯の粥の取り合いでもしているのでしょう。
まさにここは人間の理性を欠いた『餓鬼の世界』です。最初は正常な兵隊さんも、三日居たら気が変になってしまうでしょう。
小山さんの隣に、頭に包帯を巻いた『西村龍平伍長』と云う兵隊さんが寝てました。
西村さんの所に問診に行くと、「何とか歩ける兵隊は、よくこの病院から脱走して行く」と話してくれました。私は驚いて、「ダッソウですか!?」と聞き返すと西村さんは、「脱走してジャングルの中に消へて行くんだ。そして二度と戻っては来ねえんだよ」
私は『死に場所を探しに行ったのだな』と直感しました。
後日、私は河村さんに居なくなった兵隊さん達の事を尋ねてみると、「近くのジャングルの中で、蔓で首を吊って死んでいる兵隊を何体も見た」と言ってました。ラエの病院とは、なんと云う恐ろしい所なのでしょう。
小山 勲 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
吉田 猛 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
笹田雄一郎 陸軍軍曹
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
西村龍平 陸軍伍長
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
つづく