伝染病(増える骨壷)
インパチェスの花の上に「極楽蝶」のツガイが舞って居ます。
その日の午後、私が医務室(医局)の前を通ると軍医達の話し声が聞こえて来ました。
立ち止まって聞いていると、病院内で『伝染病』が発生したらしいのです。
私も最近、担架で裏の「火葬場」に運ばれて行く兵隊さんが異常に多い事に、少し気に成っていました。
婦長に尋ねると、
「伝染病です。アナタも気を付けて下さい」
と言われました。
この病院の『誰か』が「感染源」らしいのでが、調べるすべが無いそうです。
思い当たる事と言えば、一週間前に病院の前で倒れて居た「五人の兵隊さん」ではないかと言うのです。
五人を筵のベッドに寝かせた時から、その恐ろしい病気が蔓延したそうです。
渡辺軍医が受付の原(看護兵)さんに呼ばれ、倒れた五人の兵隊さんを問診した時の話しです。
その中の一人が、『戦闘中に寒気がして咳が止まらなかった』と言うのです。
それだけではなく五人は『数回、吐いて気も失った』そうです。
当初、渡辺軍医は「マラリア」と診断したのですが、マラリアにしては熱はあまり上がらないし咳が止まらない。
ただの風邪かも知れないと軽く考えて居たらしいのです。
ところが数日経って、病院内に同じ様な症状の兵隊さんが異常に増え始めました。
緒方軍医長もこれはおかしいと、症状の出た兵隊さん達を一つの部屋に「隔離」して様子を窺って居たそうです。
すると、咳き込んでいた兵隊さんは三日以内に亡くなってしまうと言うのです。
軍医長達も手の施しようもなく、ただ見送るだけだったそうです。
今日も沢山の故兵隊さん達が隔離室から担架で裏庭の火葬場に運ばれて行きます。
病院の奥に設けられた「長机の祭壇」には、小さな白い陶器の骨壺が無数に並びました。
一ヶ月も過ぎた頃でしょうか。
この病院の約五百名の兵隊さんが「三百名」にまで減ってしまいました。
生き残った兵隊さん達は『淘汰された人間』とでも云うのでしょうか、このニューギニアの地に適応してしまった人間の様です。
いずれにしてもこう云う状況下で、生き残れた兵隊さんは、病に於いては終戦まで生き残れる「耐性を持った人間」に生まれ変わってしまった様です。
私は最初に受付で五人を問診したと云う原(看護兵)さんに、詳しい話しを聞いてみよう思いました。
以下は、原さんが受付で五人を問診した時のお話です。
『この風邪の様な症状の五人の兵隊は、半月ほど前に部隊長の命令で、山の下に見える土民達の村に食料を調達に行ったそうです。家を訪れ、持参した「晒木綿一反」と引き換えに、「ニワトリ、子豚、芋、塩と軒下に吊るした干物と「酒」」を調達して来たそうです。この『干物』と言うのは、「カエル、ネズミ、ヘビ、トカゲ、コウモリ」などで、土民が言うには「薬」と言っていたそうです。兵隊達が「明日は最後の突撃」だと言う晩、土民が薬だと言っていた「干物」を酒の肴に、だいぶ酔ったそうです。翌朝、数人の兵隊が、体が痺れて力が入らなかったそうです。中の一人が、どうも昨晩の食い物のせいではないかと思ったそうです。他の兵隊も同じ物を食べて酒を呑んでいたのですが、何の異常のない兵隊も居たそうです。上官は戦闘中、震えている兵隊を見て、「だらし無い兵隊だ! 足手まといに成るから此処に残れ!」と言ったそうです。『此処に残れ』と云う事は、死ねと云う事と同じです。残された兵隊達はフラフラに成りながら、ようやくこの病院の入り口に辿り着いて気を失った。と話したそうです』
緒方軍医長の診立てでは、多分、その『干物』に起因しているのではないかと話ていたそうです。
戦病死
(昭和十九年東部ニューギニアにて多数)