鉄屑と我楽多(兄・杉浦尚道・戦死)
私は千葉の田舎の百姓家の末娘です。
兄上(杉浦尚道・スギウラナオミチ)は『支那から南方の戦線に回された』と、田舎からジャワの病院に届いた手紙には書いて有りました。
この時期の南方戦線と云ったら「ビルマ」しか頭に浮かびません。
噂では「ビルマ(インパール)」も酷い所だと聞いています。
はたして兄上は生きて居るのでしょうか。
私は生きて再び、父や母、兄上達に会えるでしょうか。
多分、兄上も同じ事を考えて居る事と思います。
そう思わない兵隊さんなど居ない筈です。
そう思った時「一人の人間」に戻れるのでしょう。
ふと、兄上と田植えをしていた「あの頃」の事が頭を過りました。
玉砕しても、全滅したと伝わって来ても、運の良い人は「助かる」のです。
いいえ、運の悪い人が「助かる」のです。
この病院に収容された兵隊さん達は「運」にまで見放された、役に立たない修復不能の肉体だけの『鉄屑』の様な兵隊さん達です。
筵の上に放置された、我楽多なのかも知れません。
また高地の方から、凄まじい着弾音が聞こえて来ました。
杉浦尚道 陸軍上等兵(兄上)
(昭和十九年 印度コヒマにて戦死)