溶けたマネキン人形(山下源一郎・軍曹)
一日に何人の兵隊(患者)さんが亡くなるのでしょう。
今日もまた、筵のベッドから「名誉の戦死?」を遂げた兵隊さんが担架で運ばれて行きました。
そしてそのベッドは、直ぐに新しい壊れてしまった兵隊さんで塞がるのです。
今度運ばれて来た兵隊さんは「眼と口」以外は包帯で幾重にも巻かれていました。
その兵隊さんの毛布には『山下源一郎 軍曹』と書いて有りました。
山下さんは私を見て、こんな挨拶しました。
「すまんなあ。・・・なあ、看護婦サンよ。・・・・この顔で帰還しても、誰も俺だとは分らねえだろうなあ」
山下さんは火炎放射器で顔をヤラレ、酷い火傷を負っていました。
眼は開いたままで瞬きする事も、眠る事も出来ないのです。
人が眠らないと、どうなるのでしょう。
・・・起きているのです。
起きて居るとつまらない事ばかり考えてしまうものです。
山下さんが入院してから三日目の晩の事でした。
私が懐中電灯を照らし、兵隊さんの間を巡回していると、
「オイ!」
と声を掛ける方が居ります。
私が、
「ハイ」
と答えて振り向くと山下さんでした。
山下さんは私に、またあの日と同じ事を聞くのです。
「この顔で帰還したって、誰もオレだとは分らねえよな」
私はその言葉に返す言葉が思い当たりませんでした。
山下さんは私の答える『何か一言』を待っているようでした。
こういう時の看護婦はどの様に患者さんに応えるべきなのでしょうか。
いったい何と言って寄り添い、励ましたら良いのでしょうか。
「大丈夫ですよ。頑張りましょう」
でしょうか。
『山下さんは私の答えてを待っています』
刻む時間が聞こえて来ます。
私が応えられない事を察して山下さんが、
「殺してくれないか」
と言ったのです。
山下さんはジッと私を見詰め、唇を噛みしめています。
開いた眼尻からは涙が零れていました。
私の強く握った拳は震えて、汗で濡れています。
そして、
「失礼します」
と言って山下さんの傍を急いで離れようとした時、
小さく掠れた声でもう一度、
「・・・頼む、殺してくれ」
と言ったのです。
私は振り向けませんでした。
振り向ける筈がないじゃないですか。
振り向かず、
「出来ません!」
と答え、病院の外に走って出て行きました。
気が狂うほどの寂しさ・・・。
外は満天の星が、筵のベッドの病院を包んでいます。
こんな綺麗な星の下で人と人が殺し合って居るのです。
日本の兵隊さんは「大義」の為。
アメリカ兵隊さんは「自由」の為に。
そんな言葉は「こじ付け」じゃないでしょうか。
人間とは何と野蛮な動物でしょう。
動物は生きる為に、空腹を満たすために、子孫を残すために殺すのです。
人間は無理な『こじ付け言葉』で殺し合うのです。
戦争とは「殺されてしまうから殺す」のです。
刺殺し殺すのです。撃ち殺すのです。焼き殺すのです。
そして、無残にも負傷して生き残った兵隊さんは、
「殺してくれ!」
と叫ぶのです。
私はあの病院に戻るのが嫌に成りました。
病院には溶けた様な顔のマネキン人形が、いや、『山下軍曹』が、眼を見開いて私を待って居るのです。
壊れた兵隊さん達の苦しみの遠吠えは、此処まで聞こえて来ます。
一縷の望みも消え去ったこの南国の絶望の島『ニューギニア』。
この帰れない島で、私は壊れた兵隊さん達にどう向き合って行ったら良いのでしょう。
どう励ましたら良いのでしょうか。
死の順番を待って居る兵隊さん達に、
「頑張りましょう」
とは、あまりにも無責任で酷な言い方ではないでしょうか。
山下源一郎 陸軍軍曹
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)