名前が無い(故 小野玄一郎・上等兵)
『岡田邦宏上等兵』と云う兵隊(患者)さんが、私にこんな事を話してくれました。
岡田さんも「アメーバ赤痢」に罹っていました。
岡田さんの部隊は、ブナに上陸後、『ポートモレスビー作戦』に参加したそうです。
ポートモレスビーの町は「あの高い山」を超えて、ラエとは反対側に在る大きな港町です。
ある日、ガダルカナル島から沢山の増援部隊が合流して来たそうです。
岡田さんが増援部隊の兵隊に餓島(ガダルカナル島)の戦の事を聞くと、誰も無口に成ってしまうと言うのです。
まるで『箝口令』でも敷かれているかの様だったと言ってました。
それでも一人、『小野と云う上等兵』が内緒でこんな事を話してくれたそうです。
「実はな。オレはあの島でいっぺん死んでしまったんだ。だから名前の上には『故』が付いているのよ」
岡田さんは驚いたそうです。
小野サンは今ここに生きて居るのに、(故)小野玄一郎 上等兵にされてしまったと言うのです。
輸送中の船の中で点呼を取った際、ジブンの名前が呼ばれ無かったので後で部隊長に確認すると、名簿には「故(戦死)」と書かれてあったそうです。
ジブンと同じく名前を呼ばれなかった兵隊は十人ほど居たらしいのです。
小野サンも最初は「そんなバカな話しがあるか」と思ったそうです。
岡田さん達の部隊は暫くブナに待機して、数十人の小隊を残し、いよいよポートモレスビーへ出発の命令が下ったそうです。
ニューギニアの山頂には「雪」が残っていたそうです。
ニューギニア島は赤道の近くですよ。
そんな島に雪が? 岡田さんは信じられなかったと言ってました。
ようやく山を越える寸前、部隊に突然「転進の命令」が下されたそうです。
岡田さん達は『ポートモレスビーの攻略』はどうなったのだろうと戸惑ったそうです。
後ろには連合軍(敵)が迫って来てます。
転進の途中、岡田さん達は「コゴタの陣地」で連合軍と鉢合わせになったそうです。
それはとても激しい一戦だったらしいです。
しかし兵隊達の疲労と火力の違いで、岡田さん達は惨敗してジャングルの中に散開して行ったそうです。
そこからが『まさに地獄』だと言ってました。
岡田さん達部隊は小さなグループに分かれ、ジャンルの中を彷徨い、非常に「厳しい戦い」を強いられたそうです。
厳しい戦いとは『腹を満たす戦い』だと言ってました。
糧秣(食料)は全て無くなり、動くモノは何でも有り難く食べて命を繋いだそうです。
そこで岡田さんは『野垂れ死ぬ』と云う死に方を初めて見たそうです。
岡田さんが同僚の兵隊を観察して居ると、
『小便を垂れ流す兵隊はその日に。顔に表情が無い兵隊は生きて二日。返事を返さなく成った兵隊はいつの間にかジャングルの中へ消えて行く』
こう云う法則が出来上がったそうです。
中には『立ったまま死んでいる兵隊』も居たそうです。
ある部隊の兵隊は、隠れ家の洞窟の外にネコの額ほどの畑を作り、「芋」や「野菜」の栽培を試みたそうです。
しかし熱帯の気候で、葉や茎の方が早く延びしまって肝心な芋や野菜には実が付いて無かったそうです。
岡田さん達残留小隊の中にあの餓島の「(故)小野上等兵」も居たらしく、岡田さん達にいろいろと生きる為のコツを教えてくれたそうです。
ある夜の事、(故)小野サンの指導の下、敵の補給天幕テントに食料を調達(泥棒)に行ったそうです。
何とか成功して急いで洞窟(隠れ家)に戻る途中、(故)小野サンが敵の仕掛けた鈴紐に足を引っ掛けてしまったそうです。
途端に敵の「見張り塔」から探照灯を照らされ、一斉に十字砲火を浴び、岡田さん達は一目散に逃げたそうです。
(故)小野サンには申し訳が無いが、置いて逃げたそうです。
ところが洞窟に戻ってみると、(故)小野サンが洞窟の前に立って笑って居たそうです。
それを見て岡田さん達は目を疑ったそうです。
(故)小野サンの足はちゃんと二本付いていたそうです。
(故)小野サンは笑いながら、
「自分は名前の上には『故』が付いているから死なないんだよ」
と冗談を言って笑って居たそうです。
餓島からの転進して来た兵隊さんは奇妙な方ばかりだったそうです。
『幽霊部隊』とでも言いましょうか・・・。
岡田邦宏 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
小野玄一郎 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)