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吐息〜ねじれた愛〜5話



5.





 こいつは昔から、財布を持たなくても豪華な食事ができるような奴だ。テレビに出るようなアイドル顔負けの人気者で、クッキーなんかよりもすごい、山のようなプレゼントをもらうことだってあった。


 そんなことが可能なのは、かわいらしい顔に、10秒で年齢・国籍問わず、全ての女性を魅了してしまうあの魔性の笑顔のせいだ。それに、自分も満にめちゃくちゃ腹が立っても、あの笑顔には雪が溶けるように、怒りもおさまってしまったことが何度もある。男の自分でもこうなら、女性なら言うまでもないだろう。これは、ある意味天性だ。


 「締め切りいつなんだよ」


 玄暉はいつの間にかなくなってしまったクッキーの袋をきれいに折り、満の手に渡した。そしてすぐ、ノートパソコンに視線を固定させ答えた。


 「昨日」


 満は、ギョッとするような目つきで玄暉を見た。もし、自分のことだったら蒼ざめていただろう。しかし、玄暉は平然な顔つきで淡々と文字を打ち、あくびまでしていた。しばらく彼をまじまじと見ていた満は、不思議な表情で彼に尋ねた。


 「鬼婆が黙ってないはずだけど、何でお前、死んでねぇんだよ」


 「だって、会う事ないし」


 「…?」


 「二日間満喫にいたから、こうやって生きてるんだよ」


 玄暉の言葉に呆れるかのように、満は失笑した。


 「冗談だろ?」


 いくらなんでも、あんないい家を置いてそんなことをするかよと満は聞いたが、玄暉は黙って文字を打ち続けた。満の顔には、戸惑いの笑顔が浮かび始めた。


 「まさか、寝てもないのか?」


 「寝る?それって食べ物か?」


 「呆れた」


 歪んだ唇の隙間から本音が飛び出してしまった。呆れるぐらいしぶとい奴だ。しかし、玄暉は満の言葉が聞こえないのか、目の前のことに集中していた。玄暉の姿に満は、開いた口が塞がらなかった。


 ずば抜けた集中力と体力。それに突出した才能で、18歳の時、新春文芸で入賞してから、ベストセラー作家として名を上げ、期待の新人小説家となった。それに、工場で生産するかのように、次々と大ヒット作を世に出し、出版社からのラブコールが鳴り止まないのだった。


 つまり、人よりも早く出世したのだ。満は、彼の顔をじっと見つめた。何度見ても不思議で仕方がない。


 「何をまじまじ見てるんだよ」


 玄暉は眉間を狭ませて聞くと、彼が口を前に突き出し、すねたようにこう言った。


 「ったく、羨ましい奴だぜ」


 「邪魔するなら早く授業行け」


 「へいへい 、今ちょうど行くところでしたよ」


 満がふざけたように両手を上げてぴょんと椅子に飛び乗った。その瞬間、突然何か思い出した玄暉は、満の方を向き、ゆっくりと聞いた。


 「お前さ、大学で知らない女はいないって言わなかったか?」


 急な玄暉からの質問に、満がさっと彼の横にぴたりとくっつき、黒い眼を輝かせた。今まで女の「お」の字も聞いたことがない奴の口から、予想外の質問が流れ出たせいか、とてつもない好奇心にかられた満の目がいつの間にか厚かましい眼に変わっていた。


 「何だよ。お前の口からそんな質問が聞けるとはな」


満の厭味ったらしい言い方に、玄暉はもういいと言わんばかりに手を振り払った。満は、彼の姿に何か感じたのか、玄暉にピタリとくっついてはにやにやと笑った。


 「お前が知りたい女ってのは一体誰だ?この俺に任せとけ」


満が腕を掴み、だだをこねるように彼に返事を求めたが、玄暉はすぐさま話題を変えた。


 「授業行かないのか?」


 「お前さ、俺がどれだけしつこい人間か忘れたのか?」


 「……」


 「なぁなぁ~誰なんだよ~」


  玄暉はまるでスーパーで親にお菓子をねだる子どものように、自分の腕をブンブン振り回す彼に、深いため息をついた。こいつにさっきあんな質問をしてしまった後悔が、今更押し寄せて来た。


 「同じ学部の子なんだけど、柳原佳純っていう…」


 「柳原?国文学部のマドンナか?」


 1秒の隙もなく即答した満を見た玄暉は、呆れたように苦笑いをし、彼の頭をくしゃっと撫でた。


 「まったく、お前の頭の中を見てみたいもんだ」


 「俺の頭ん中はお前でいっぱいだぜ」


 「俺を困らせる人は、 鬼婆ひとりで勘弁だ」


 「あ!柳原だ!」


 急にどこかを指差し叫ぶ満に、玄暉はすぐさま彼の口を塞いだ。白い霧が垂れ込め始め、混乱した頭の中に押しつぶされそうになったのか、玄暉は複雑な眼差しで彼を下から上に睨みつけた。しかし、すぐ自分の意志とは関係なく、ゆっくり指を差した方を振り返る自分に、驚くしかなかった。


 本当に彼女なのか?しかし、彼の期待を無残に踏みつけるように、その先にはガタイのいい男衆が通り過ぎていた。玄暉は歯ぎしりをしながら、怒りに満ちた目で満を見た。


 「お前……」


 「おいおい、柳原にマジで興味あんのかよ⁉」


 彼の反応を見て、疑惑は確信に変わった。こいつも男だったのか!新しいおもちゃを見つけた子どものように、満の目はきらきらと輝いていた。


 「うるさいな」


 玄暉は、彼の目を刺す勢いで、鋭く睨みつけてはその場から一気に立ち上がり、ノートパソコンと筆記用具を仕舞い始めた。このまま、満とくだらない話をしていたら怒りが込み上げてしまいそうだった。一秒でも早くその場を避けるかのように、玄暉の手は素早く動いていた。


 「おい、まさか怒ったんじゃないよな?」


 「いいからお前は早く授業に行け」


 玄暉が冷たくそうひと言い、自分横を通り過ぎる玄暉を見た満は頭を掻いた。冗談が過ぎたか?申し訳なさで急いで彼の後を追った満の目には、ぴたっとその場に立ち尽くしたまま、どこかを見つめている玄暉の姿が入った。


 何事かと思い、彼の肩ごしに視線の先を見つめた。柳原?突如、嘘のように現れた彼女の姿に満は驚きながらも嬉しかったのか、大げさに玄暉の肩を何度も叩いた。


 「ほらみろ、本当だっただろ?」


 満の行動にも玄暉は魂が抜けたように、学生食堂のある建物の中に入っていく佳純の後ろ姿をぼんやり目で追っていた。そして、じっと立っていた玄暉が急にかばんを下ろし、ノートパソコンを出しては満に渡しながらこう言った。


 「これ、編集長に渡してきてくれ。確定版は、一番最新のフォルダに入ってるって」


 「おい、何で俺にこれを…」


 「頼んだ」


 玄暉はそう言い捨て、かばんを肩にかけるや否や佳純の後を追った。それと同時に、満の目尻が微かにゆがんだ。見慣れないながら妙な感覚。思わず苦笑いがこぼれた。


 「あいつマジだったのかよ…」


 女の前では顔色一つ変えない奴が、どこか落ち着かないながら緊張しているとは。そんな姿にカウンターパンチを喰らったような気分になった。


 「なかなか、面白いじゃないか」


 玄暉が恋をしている…。それも男に一切目もくれないという柳原にだ。興味深い組み合わせだ。彼の口には、いつしかいたずらに満ちた笑みがかかっていた。




* * *




 ここ数日間、風邪を引いていたせいで佳純の顔は痩せこけていた。ぼんやりした目で、学生食堂に着いた佳純は、一目では入りきれないくらいたくさんのメニューが並ぶサンプルケースを凝視していた。食欲はなかったが、薬を飲むために渋々メニューを決めた。そして、佳純は食券を買うためにかばんの中にある財布を探し始めた。


 「カレーでいいですよね?」


 手にした財布をかばんから出した佳純は、背中から聞こえて来た聞き慣れた声に不思議そうな目で後ろを振り返った。どこかで見たような顔だったが、すぐには思い出せなかった。食券機に近づく彼に気づいた佳純は、一歩横に移動した。食券を買いながらじっと自分を見つめる彼に首を傾げた。


 「学食で一番おいしいのがカレーなんですよ」


 佳純は、手に持っていた食券一枚を男が渡してきてようやく思い出したのか、目を大きく見開いた。大きいが横に長く伸びた目は、柔らかい曲線を描き、その笑顔が自分に向かっていた。通り過ぎる人々の目が留まるほど、幼い少年のような姿。佳純はぎこちなく挨拶をした。


 「こ…こんにちは」


 「久しぶりですね」


 玄暉がずうずうしく笑った。佳純は急な状況に困惑したのか、戸惑った表情で小さく頷いた。


 「あ…そうですね」


 「学生食堂は初めてですよね?」


 突拍子もない質問に、佳純は頭をひねった。


 「え?」


 「唐揚げ定食は学校で一番まずいメニューで有名なんですよ」


 後ろに立って彼女がどんなメニューを選ぶのか見ていたのか、玄暉はメニューに書かれた「唐揚げ定食」の文字を指差してはそう言った。佳純は目をぱちくりさせた。いつからいたのだろうか。押し寄せる恥ずかしさに、彼女は耳たぶを触った。


 「食券を出して、あそこに座っててください」


 「い、いいえ。それにこれは…」


 ごそごそと、財布からお金を取り出そうとした佳純を見た玄暉は、断りの意味で首を横に振った。


 「この前、僕のせいでずぶ濡れになってしまったので、これはちょっとしたお詫びです」


 「あ…そんな気になさらなくてもいいのに…」


 「とっても気になりましたよ。ボイスレコーダーの件は、今度しっかりお礼させてください。あ!お断わりはお断りですよ」


 佳純は困った表情を作った。こんな厚意を受けるためにしたわけではないのに、かえって迷惑をかけているのではないかと、申し訳ない気持ちになった。佳純は決まりが悪いのか、食券を何度もいじっていた。その姿を見ていた玄暉はくすりと笑った。


 見れば見るほど不思議な人だった。じっくり顔を見ていると、何を考えているのかはっきりわかるため、自分が次にすべき行動が何なのかわかった。玄暉は、佳純が手に握りしめている食券を急いで奪い取り、佳純の背中を押しながら言った。


 「それじゃあ、先に席取っておいてくれますか?カレーは僕が持って行きますので」


 「自分のは自分で…」


 「ほら、あそこ。人が押し寄せて来るでしょ? 早くしないと立ち食いすることになっちゃいますよ」


 玄暉がギャグっぽくそう言うと、佳純は仕方なく隅にある席に着いた。その姿を玄暉がほほえましく見ては、カレーを取りに向かった。予期せぬ佳純との出会いに心が高鳴った彼の顔から、笑顔はなかなか消えなかった。


 そうして5分ほどが過ぎ、両手がおぼんで塞がった玄暉が、佳純のいる席へ来た。


 「どうぞ」


 「いただきます」


 湯気がもくもくと出る料理を前に食欲が湧いたのか、佳純がスプーンを持ってカレーを食べ始めた。思ったよりおいしい。満足げに玄暉をちらっと見た佳純は、急に頭の中で彼の第一印象が思い出された。


 縁取り眼鏡をかけ、しわだらけの服のせいで地味に見えていたが、今日は全くの別人を見るようだった。


 眼鏡を外し、シンプルなVネックのシャツに、ユニークな模様が入ったカーディガンを羽織ったその姿は、可愛らしい顔とよく似合っていた。通り過ぎる女子生徒たちが思わず振り向いてしまうくらい、素敵に見えた。新たな一面に何度も彼を見てしまった。


 「何か顔についてますか?」


 佳純の視線を感じた玄暉は、顔を上げてそう言った。一瞬、彼と目が合ってしまった佳純は驚き、顔を激しく横に振った。


 「いえ…そうじゃなくて」


 「……?」


 「違う人みたいで…。初めて会った時と今と」


 佳純が自分の目の周りをつつきながらそう言い、玄暉は咳払いをした。この数日間、編集長と鉢合わせないために、野良猫のような生活をしていた時のことを思い出した。瓶底メガネ に、しわしわの服を着ていたから、大層格好悪かっただろう。


 玄暉の口からは深いため息が出た。どうしてよりによって、あの時に佳純に出会ってしまったのだろうかと。


 「ははっ! あの時はちょっと、事情がありまして。普段はあんなみすぼらしい恰好しませんよ」


 とぼけるように笑いながら言う彼が面白いのか、佳純が小さく笑って見せた。その姿に胸がときめき、玄暉は無意識に彼女の視線を避けてしまった。初めての感情。玄暉は必死に平然なふりをしては、口を開いた。


 「あの日は無事に帰れましたか?」


 玄暉の質問に、明るい光を放っていた佳純の顔は、またたく間に暗くなっていった。彼女の反応に、 玄暉は何か深刻なことでもあったのかと思い、心配げに尋ねた。


 「何かあったんですか?」


 佳純は、自分なりに精いっぱいの笑顔を作ってみせた。


 「いえ、お兄ちゃんが学校の前まで迎えに来たんです」


 お兄ちゃん?玄暉は、あの日慌てて家を出て行った佳純の姿を思い出した。


もっと詳しく聞きたいところだが、まだそんな質問をするほどの仲ではないと思い、口を閉じた。


 「あの…ひょっとして19歳ですか?」


 玄暉が注意深く聞くと、佳純は口の中に残っていた食べ物をごくりと飲み込み、こう答えた。


 「はい」


 「それじゃあ、同い年ですね!」


 佳純は小さく頷いた。


 「僕たち、敬語やめませんか?」



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