第94話 風の声
シャインは、階段を上がりきって、目の前にある扉を開けた。ウィルの事務所がある五階建てのビル。その屋上への扉だった。後にはジョーカーがついてきている。
屋上へ出た。心地よい夜風が吹いている。
ビルの屋上は、ムードランプのような、間接照明のような、ほんのりとした明るさがあった。ビルが隣接している駅前ロータリーの賑やかな光が下から照らしているのだった。
少し進んだところで、シャインはふり返る。夜風に流されないしっかりとした声量で、ジョーカーに告げた。
「涼風お姉ちゃん」
じっとジョーカーの仮面を見つめる。仮面の後ろで緑色のツインテールが風になびいてた。何も答えてはくれない。
再び、晴れ女は声をかけた。
「……涼風お姉ちゃんは生きているって、信じていた。……この街で探せば、きっと会えるって信じていた」
しばらく、また沈黙が流れる。
ジョーカーは、仮面の下、自分の顎のところに右手をあてた。カチリと小さな音が鳴った。
「…………咲輝。あなたが、生きている。そんなことがあるなんて……信じられなかった。うれしかった。咲輝は、あの時、私の腕の中で息を引き取ったから……だから……」
その声は、変声器をとおしたものではなかった。柔らかい女性の声だった。
シャインにとって、懐かしい声。咲輝にとって、聴き馴染んだ声。
ずっと探していた姉、涼風の声だった。
「涼風お姉ちゃん……。さっき手を繋いでくれた時にわかったんだよ。いつも私を助けてくれる、お姉ちゃんのあたたかい手だって……」
シャインは、微笑みながらも泣きそうな顔になっていた。
バチバチと音が鳴って、ジョーカーは電気の身体になる。シャインを飛び越えるように軽く跳んだ。屋上の防護柵の上に静かに降り立つ。
そちらへと、シャインはふり返える。いくつかの水滴が、街の灯りできらめくように舞った。
「……どうして、そんな格好をしているの? どうして、顔を隠しているの?」
「…………『いちのひ』の復讐」
「復讐?」
「……あの惨劇は、あの悲劇は、なかったことにされている。この街で、『いちのひ』は最初からなかったことにされている! 私以外、みんな死んだ。支え合っていたのに、生きるのに懸命だったのに。なぜ、奪われた? なぜ、死ななくてはならなかった? なぜ、終わらなくてはならなかった? ……絶対に、絶対に、許せない!!」
ジョーカーの怒りは、閃光をまとった放電となって、夜空をひび割るように縦横に走った。閃光と共に轟音もほとばしる。
「…………お姉ちゃん。……私は、生きていたよ。死ななかった」
「だが、みんなはもう帰らない。もう誰もいない。あの場所はもう……ない」
変声した声にもどっていた。
シャインは、しっかりとした声で告げる。
「……でも、……私がいるよ」
自らの胸にあてた右手は強く握られていた。シャインは、ジョーカーをじっと見つめる。
「あの時、奴らは言った。『よかった。とりあえず、成功だ。一人は生き残った。灰の財団の期待には、なんとか応えられた』って。そして、咲輝を抱いて泣く私を、強引に引きはがしたんだ。無理やり連れていかれた」
ジョーカーの独白は、続く。
「私は……異能が、憎い! こんな力を授かるために、みんなは犠牲になったの? 『パイトニサム』がなんだ? 私たちは、その前に苦しみ、そして次々に死んだ。私はみんなを守れなかった! 救えなかった! 支え合って生きてきた、みんなを!」
再び、閃光のような電撃が空へと放たれた。先ほどよりも強力な電撃だった。
「……だから、復讐する! 『灰の財団』を滅ぼす! ……そして、この街に隠れている『魔女』という元凶も、必ず見つけ出して…………殺す!」
「…………涼風お姉ちゃん」
「私は、道化師。理の外にいる復讐者。……咲輝、あなたはこの街を出なさい。そして、私のことはもう忘れなさい」
そう告げると、ジョーカーは電気の身体となって、ビルよりも少し低い外灯に跳び移った。シャインは屋上の防護柵から覗く。ジョーカーがふり返った。
声を絞り出そうとした。だが、その前にバチバチと音を立てて、ジョーカーは消えてしまった。
「………………」
シャインは、言葉をなくした。静かに防護柵から手を離して、両膝を折った。両手を顔に当てて、うずくまる。悲しむ声を夜風がさらっていった。
*
とぼとぼとした足取りで階段を降りる。シャインは、事務所のドアを静かに開けた。
そこには、レインが待っていた。来客が去ったので、片付けをしていたようだ。
「…………二人で、話せたか?」
シャインは、こくりとうなずいた。事務所は静まり返る。しばらくして、晴れ女はやっと口を開く。
「……涼風お姉ちゃんでした。懐かしい声を聴くことができました。……でも、仮面は取ってくれませんでした」
「そうか」
「お姉ちゃんは、道化師は、『いちのひ』の復讐をするって。『灰の財団』を滅ぼすって。そして……元凶となっている『魔女』を殺すって」
シャインの声は沈んでいた。うつむいて、肩を落とす。
レインはすこし黙っていた後、告げた。
「…………陽向咲輝。お前だけだ。絶望の影に包まれて、闇に堕ちようとしている彼女を救えるのは。照らし出して、つかめ」
その言葉を聞いて、顔を上げた。レインと目が合う。やさしい顔をしていた。
シャインは、姉が握ってくれた手を見る。静かに深呼吸をした。そして、言葉を紡ぐ。
「レインさん、涼風お姉ちゃんと再会するという約束、果たすことができました。…………でも、でもですね。もう少しだけ、付き合ってもらえますか?」
「……ああ。かまわない」
シャインは、わずかに微笑んだ。レインが確かめるように問う。
「誓いは、忘れていないよな?」
「…………。はい。太陽は泣きません!」
その言葉にうなずいたレインが、右拳を突き出した。シャインはそれに合わせて、右拳を突き出す。拳と拳が軽く触れる。グータッチだった。
晴れ女は、精一杯の笑顔をつくる。それに応えるように、雨男も微笑む。
彼女の涙の跡を、彼は見なかったことにした。
雨のち晴れの事件簿 第一部完
【作者より】
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。本作については先のお話も構想しておりますが、一度休載とさせていただこうと思います。
書籍化しプロ作家になることを志している身として、新しい作品を書き、公募やコンテストに挑戦したい考えでございます。ご理解いただければと思います。
いつも読んでくださる読者の皆様がいたから、ここまでお話を進めることができました。たいへん感謝しております。
再開の際は、週1〜2回の更新ではなく、毎日1話ずつ公開のような短期集中連載の形で一気に楽しんでもらえたらなと考えています。しばらくお待ちください。
最後に、さしつかえなければ、本作への好評価やご感想をいただけると嬉しいです。
2025年8月24日 凪野晴




