第71話 近接と接近
ジョーカーは少し沈黙した後、告げた。
「……警察には失望している。事件すら無かったことにされた。この街には、『消された悲劇』がある」
由記子は、ジョーカーの仮面をつけた横顔を見つめた。そして、返す。
「私は……昔、警察に救われたわ。だから、信じている。正確には、一人の真摯な警察官にだけれどね。荒れていた時期で、世界の全てが敵に見えた時期だった。彼は私を気にかけてくれて、語りかけてくれて、堕ちないように救ってくれた。もう、彼はこの世にはいないのだけれど」
由記子の言葉を聞いて、ジョーカーは皮肉めいたことを言う。
「だが、由記子、君は警察から追われる身だ。今、指名手配されている。それでも信じるのか?」
ジョーカーの言葉で、由記子は苦笑した。
「彼と同じ志で、市民を守っている警察の人たちはいる。それは間違いないと思うの。それに、私の場合は濡れ衣よ。……でも」
「でも?」
「……この街は、特別政策指定都市になって十年余り。その間に急速に発展を遂げた。私は……この女神ヶ丘市は、何かの実験場にされているのではと感じている。直感なのだけれどね。人々の命を軽んじる、巨大な悪意が潜んでいると思う」
由記子は、ジョーカーと目が合った。仮面の奥の瞳から悲しみと怒りを感じる。左半分が泣いているようで、右半分が怒っているような仮面。仮面の下もその表情なのではと錯覚する。
「……由記子。私の敵は、その巨大な悪意だ」
ジョーカーが告げた。
「……『消された悲劇』というのと、あなたが追っている『灰の財団』は関係しているの?」
由記子は問いかけた。答えを待つ。
「…………。少し、語りすぎた。まずは、タイラントから情報を得るのだろう?」
由記子は、うなずいた。そして、これ以上詮索できるほど、まだお互いの関係は深くないと判断する。
「タイラントに接触するのも大事だけれど、追われる身もなんとかしないとね。先にそっちの防衛策を張る。ほんと、あなたがうらやましい。電気が通じるところから逃げて、隠れられるもの」
「……。では、また」
ジョーカーは軽く手を振ると、近くの街灯へ電気の身体を忍ばせて去っていった。由記子もこのコンクリート製造会社を後にしたのだった。
*
一日後。土曜日の昼間だった。
流灯凛花は、鉄海区の片隅にある商店街に来ていた。シャッターが降りている店が目立つ。都市の再開発対象にならず、さびれていった商店街だ。その片隅にあるゲームセンターを目指していた。
今日の服装は、スポーティとカジュアルの間くらい。パンツ姿で動きやすい格好だった。左手には腕時計端末をつけている。腰には小さめのウエストポーチ。両手が自由になっている。合気道が得意な彼女にとって、万事に備えられる格好だった。
『眠らせ姫』。
いつの間にか、凛花はそう噂される存在になっていた。女神ヶ丘にはびこる異能犯罪者を倒してきた経緯で、そう呼ばれるようになったのだ。
相棒の法条計介は、今この場にはいない。バディとして活躍する時は、いつも彼はそばにいない。法条は遠隔で支援する役割なのだった。彼の異能はかなり特殊なものだからだ。
つまり、凛花は臨戦態勢でこの場に来ている。しらゆきこと、白峰由記子から連絡を受けた形だった。
目的地であるゲームセンターに着いた。
五階建てのビルで、一階はゲームセンター。二階はビリヤード場となっているらしい。指定された三階へ向かう。店内の階段を上がっていく。客は全くいない。
三階は喫茶スペースになっていた。自販機が並べられている。ベンチ、テーブル、イスが配置されている。簡易的な休憩所のような場所だった。
凛花は、イスに座っている人物を見かけて声をかける。このフロアには一人しかいなかった。
「由記子さん」
その声に気づいて、彼女は凛花に手を振った。凛花と由記子は、待ち合わせをしていた形だった。
「わるいね、こんなところまで。ここは人払いして利用できる秘密の場所なんだ」
凛花は首を横に振る。
「いえ、指名手配になっているのは知っています。それから、法条くんはここにいます。護衛できる態勢で来ました」
左腕の腕時計型端末を、由記子に見せた。彼女はうなずく。
相棒の法条は、電子機器に魂を憑依して自由に操れる異能だ。寝ている状態でないと使えない異能であるため、彼はこの場に同伴できないのだった。
「ありがとう。送ったメダルで伝えたとおり、藤平紫乃の殺人容疑は濡れ衣だ。そして、私が異能者であることは相手に知られている。相手というのは真犯人と……おそらく指名手配を指示した人物にもだ」
由記子の口調は、いつもとは少し違っていた。凛花たちのボスという立場だからだった。言葉を続ける。
「そして、警察は異能犯罪者に対しては、特殊人材派遣会社と協力して事件捜査を行なっているらしい。異能者を雇っている形だと思っていい」
「ということは、警察からの異能者に追われている立場ということですね」
「そうだ。そして、真犯人も異能者だ。君たちにお願いしたいのは、警察の捜査網を撹乱させること、追ってくる異能者の無力化だ。まだ捕まるわけにはいかないからね」
凛花はうなずいた。左腕の腕時計型端末の画面も点滅した。
「真犯人は、私と新しい相棒でなんとかするつもりだ。紹介したいところだけど、あいにくとシャイな人物でね。そばにはいるのだが」
「わかりました」
凛花はそう応えると、法条から共有されていた情報を由記子に伝えた。異能者を判別し位置情報を把握できる『スティグマ・システム』のこと、そのシステムをハッキングして由紀子の位置情報を混乱させていることをだった。さらに、法条から頼まれていた携帯端末を、由記子に渡す。連絡手段としてだった。
「情報共有、ありがとう。とんでもないシステムがこの街にあるのだな。だが、これでタイラントが私を異能者と見抜いたカラクリがはっきりした」
今度は由記子が自由の森公園で起きたことを、凛花たちに伝えた。
「コンクリート使いの異能者……が、真犯人」
「ああ。そのとおり。そして、私たちが求めている情報を持っている。そうだ。メダルは何枚か渡しておくよ」
由記子は、雪の結晶が描かれたメダルと、りんごが描かれたメダルを数枚、凛花に渡した。その時、凛花の腕時計端末に文字が表示された。
──警察が雇った異能者から『異能の使い方』を奪ってもいいか?
「……それはやめておこう。『眠らせ姫』の異能で、一時的に無力化する形でできれば頼みたい。理由は、犯罪者でないからだ。むしろ市民を守る側の異能者だろうし」
──OK。
凛花と由記子は、ゲームセンターの建物から出た。そのタイミングで声をかけられる。
「こんにちは! 白峰由記子さんですか?」
天然パーマがかかった丸みショートで明るい茶髪の若い女性だった。凜花と由記子からすこし離れたところにいる。距離にして十五メートルくらい。
その女性は、白いパーカーにデニムのジャケットを羽織り、ショートパンツというカジュアルな格好をしている。首からパイロットゴーグルを下げていた。
そして、その女性の後方、少し離れたところに、メガネをかけた紺色のスーツ姿の男性もいた。




