第57話 再会と再開
翌日の朝十時過ぎ、桐明、令美、栄美は風社邸の敷地内にある庭園を歩いていた。天気は晴れで、陽射しが庭園の緑を色濃くしているように見える。
「……気持ちの良い天気だね」
桐明はそう言って深呼吸をする。木漏れ日が差す木々の間、彼の両脇には、お淑やかに、そして、嬉しそうに歩く双子の姿があった。
「とても、綺麗なお庭」
「手入れが行き届いてますね」
白と黒の双子がそれぞれに言う。桐明は、彼女らの楽しそうな顔を見て、自然と顔が綻んでいた。これまでの激しい日々が、遠い過去のように感じる。
三人は、ゆっくりと時間をかけて庭園を回っていた。制限されているとはいえ、三人揃っての貴重なおでかけの時間だ。少しでも長くとの思いが、足取りを重たくさせる。
桐明は、少し身体が熱っぽくなっているのに気づく。今までの疲れが出たのだろうか。
庭園の散策が終わり、三人は風社の屋敷に戻ってきた。紙透衣折が玄関で迎えてくれる。そして、彼女に案内されて、桐明たちは、豪華な食事が用意された和室に通された。
「有澄様から、ぜひ食事も三人で楽しんでほしいと。ご用意させていただきました。お召し上がりください」
メイド服の衣折は、丁寧な所作で案内しながら説明する。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
桐明がそう返した。
三人は、豪華な会席料理を楽しみ、忘れられない思い出をそれぞれの胸に刻んだのだった。
翌日から、桐明は体調を崩して寝込んでしまった。数日寝込むほどであった。黒髪の栄美は、彼の側でつきっきりの看病をして過ごす。銀髪の令美も側にいたが、有澄から頼まれた仕事で一時的に離れることがあった。
*
風社有澄は、ある人物と話をしている。
「任務、ご苦労様でした。問題ない成果です。さすがですね」
「ありがとうございます。有澄様のご支援がなければ、完遂は難しかったと思います」
その言葉に、有澄は満足そうに微笑む。
「ところで、望んでいる次の仕事ですが、あなたにとって役不足だと思いますよ。よろしいのですか?」
有澄が告げた。
「ご評価いただき、ありがとうございます。しばらくは、彼の支援をさせてください。風社家への忠誠と貢献は変わりませんので」
「まぁ、いいわ。あなたなら望むだろうとも思っていました。想定の範囲内です。ただし、あなたの諜報能力が必要となった時は、また助けてくださいね」
「……ありがとうございます。はい。もちろんです」
*
桐明は、やっと元気になった。ひどい風邪のような症状を数日間経験した。研究所でも忙しく実験をしていて具合が悪くなることもあったが、ここまでひどく寝込むことはなかったように思う。
桐明、令美、栄美の三人は、有澄に呼び出された。呼びに来たのは、紙透衣折。彼女に案内されて、初めてこの屋敷で有澄と話した和室へ再び訪れる。
「桐明さん、お加減はいかがでしょうか?」
「ご心配をおかけしました。大丈夫です」
「では、お約束どおり、お二人を封印させていただきます」
その有澄の言葉に、白と黒の双子は桐明に目を合わせる。
「大丈夫だ。令美、栄美。君たちの症状の原因は、必ず突き止める。なんとかする。だから安心して」
白と黒の双子は、うなずいた。有澄が二枚のカードを桐明に渡す。そして、桐明は左手に持ったカードで令美に触れ、右手に持ったカードで栄美に触れた。カードに宿る異能が発動して、二人はカードの中に収まったのだった。
「衣折」と有澄が短く命じた。
「はい。……桐明様、こちらにお二人のカードを」
桐明は二枚のカードを渡した。衣折は、用意されていた白い紙の上にカードを重ねて置き、丁寧に折り包み込んだ。そして、首から下げるカードホルダーに入れる。
「桐明様、こちらを管理いただけるようお願いいたします。もちろん肌身離さず」
彼は、メイドの言葉にうなずいた。
「では、桐明さん。わたしはこれで失礼します。お約束どおりに、衣折が研究室へ案内いたします。残念ながら、あの研究所ほどではありませんが、大学の研究室以上の設備は揃えてあります。一通りのことはできるはずです。必要なものがあれば、ご相談ください」
桐明は、有澄と別れ、衣折の案内についていく。衣折の話によると、風社邸の敷地内に研究室はあるという。
いわゆる離れというのだろうか。風社邸の外れにある大きな倉に着いた。
「外観は倉になってございますが、内は最新の研究設備が整ってあります。地下室もあり、同様にです」
伏目がちなメイドが、倉の入口でそう言った。
そして、研究室となっている倉へと入っていった。外観からは想像つかない、まさしく小さな研究所という内装だった。白い壁、空気清浄機と空調が効いている。研究所では見慣れた設備や機材、実験器具が並んでいた。
「ユニオンセルにございました実験サンプルも、搬入してあります」
そう言って、衣折は地下へと案内する。彼女は、地下室の一角にある極低温の冷凍庫の前で、軍手をした。その手で冷凍庫を開ける。こびりついている氷の欠片が散り、冷えた空気がもやのように白くなる。
彼女が手に取ったサンプルには、見慣れた字が刻まれいた。桐明自身の筆跡。サンプルの識別番号が書いてある。そして、それは一つだけではなかった。冷凍庫の中にはおそらく全てのサンプルがある。綺麗に整理整頓された形で格納されていた。
「どうやって……これらを?」
桐明は、思わず口にした。
「そのことについては、後ほどご紹介させていただくスタッフにご確認ください」
メイドは、桐明に見せたサンプルを冷凍庫の中へと戻しながら言った。
研究室の設備は、比較的新しいものが取り揃えられているようだった。使われた形跡もなさそうだ。ということは、『魔女細胞』の研究のために、風社は設備を整えたということなのだろうか。
地下室から上がってくると、研究室に、白衣を着た女性が立っていた。
その立ち姿には見覚えがあった。白衣の女性が告げる
「お久しぶりです。といっても数日ぶりですね、桐明さん。紙束栞です。引き続き、研究のお手伝いをさせていただきたく思っております」
そう言って、彼女はお辞儀をした。
「か、紙束さん? どうしてここに?」
「令美さんに、連れてきてもらいました」
その言葉に、桐明は驚く。
「紙束は、ユニオンセル生物学研究所に潜入し、諜報活動をしておりました」
伏目がちなメイドが説明してくれた。それに続く形で、白衣の彼女は言う。
「すでに見ていただいたと思いますが、実験のための研究サンプルは、私の異能で搬入させていただきました」
桐明が、その言葉を聞き目を丸くする。彼女は静かに続ける。
「私の異能は、紙や紙で包んだものを宛先に送るものとなります。ユニオンセル生物学研究所では、何回か紙に書いたメッセージを送らせていただきました。紙で何かを包むとその状態を維持した形で送ることができます。それで、ここへと実験のための研究サンプルはお送りいたしました……」
続いて聞いた説明によると、両手で持てる程度のものであれば、紙に包むことで瞬時に送ることができるのだそうだ。そして、例のタブレット端末については中身を複製したものを、紙束の異能でここに送っていたという。
「万が一、桐明様とタブレット端末が風社邸に届かなかったとしても、ある程度、目的を遂げるためでございました。お気を悪くされたら、申し訳ありません」
側にいるメイドが、紙束の説明を引き継ぎ述べた。桐明は気を悪くするどころか、好奇心から質問をする。
「どうやってタブレット端末やIDカードを、あの研究所の中へ持ち込んだのですか?」
「有澄様の異能です。タブレット端末などをカードに収め、郵送して研究所に届けていただきました」
そう言われて、桐明はカードに格納されているものを出す場合は、異能者本人でなくてもできることを思い出す。そして、首から下げているカードに触れた。有澄の異能によって封印された白と黒の双子。その二枚のカードを紙で包んだことにも気づく。
「ひょっとして、これもですか?」
「はい。万が一カードが燃えることなどがないように、私の異能をほどこした紙で包みました」
栞の言葉に、衣折もうなづく。それはつまり、不測の事態でカードが破損するなどのリスクを最小化させるためだ。
桐明は、カードホルダーを右手で軽く掴み見つめた。そして、顔を上げて栞の顔を見た。簡単に目が合った。
「紙束さん。……研究を再開しましょう。またよろしくお願いします」
桐明は、胸に秘めた決意と共に、栞に告げる。目が合った彼女は、応えた。
「はい。どうぞ、よろしくお願いいたします」
魅力的な笑顔だった。
桐明は思う。……彼女の顔を思い出せないということは、もうないだろう。




