公爵家での生活
イザークが正式に公爵家の養子として迎えられ、朝食を済ませた後、早速今日から公爵家次男としての生活が始まる。目下のするべきことはと言えば、学園に入学できるように試験勉強をすること。
と言ってもイザークは既に子爵家で追放されるまでにかなりの英才教育を受けていたので、軽い復習で済むことが多い。読み書き算術、そしてこの国の歴史と文化。他にも心術に関しての基礎知識などなど、だいたいこれらをしっかり学んでいれば、学園には入れると言われている。
(後は学園に入ってから学んでおくと役立つ物の習得だよね? 確か……)
礼儀作法、ダンス、何かしらの武術(学園ではそれぞれに合った武道を指導してもらえる。槍を習っていたなら槍術を、剣を習っていたなら剣術を、体術が得意なら体術を生かしながら武器で戦う術をと言った風に)、楽器。
そして何よりも大事なのが、
"心術をできる限り鍛えておくこと"
というふうな感じである。やるべきことは多いが、必須の項目は既に子爵家でマスターしていたので、後はやっておくと良い項目を学ぶだけで良いわけだ。
(それならまだ楽かも! 楽器に関してはやるならピアノかヴァイオリンかな 前の家でもやってたし!)
このような感じでやることの方針も決まったので、イザークは家庭教師が待ってくれているという部屋に向かう。
その途中でとある心配事がイザークの頭をよぎった。
(冒険者の仕事、どうしよう……続けられるのかな?)
「今日の夕食の時に聞けば良いか……」
イザークはそう呟くと、今は学びの時間だと気持ちを切り替える。
コンコン
部屋に着いたので、イザークは扉をノックする。するとすぐに中から返事が聞こえてきた。
「はぁーい、どうぞ!」
「失礼します」
イザークが中に入ると、既にユリアンはスタンバイOKな状態だった。家庭教師は女性の先生のようだ。
「ユリアン、早いんだね」
「勿論さ! 早く始めよう! 僕は今日礼儀作法を学ぼうと思ってるんだけど、イザークはどうするの?」
「そうだな〜、僕は楽器を習いたいな」
イザークがそう言うと、2人とも感心したような顔になった。
「楽器ですか……珍しいですね。楽器は難しいので、あまりやりたがる方はいないのですが……」
「そうですか? 僕は出来たらカッコいいと思いますけどね。勉強や体術、礼儀作法などをしっかりと身につけていながら、実は楽器も得意だったりする。こう言うの、なんか隠れた武器! って感じがして好きなんですよ」
「素晴らしいお考えですね……私は身につけておくと得をする物としか思っておらず、そのように考えたことはなかったですわ」
「僕もだよ、そういうふうに考えると、楽しく学べそうだね!」
「でしょ!」
「うん!」
イザークとユリアンのそんなやりとりを見て、教師は母性本能がくすぐられたのか、微笑ましい顔で眺めていた。
「それでは、今日はお二人とも楽器にしますか?」
「え!? イザベラ良いの?」
「えぇ、せっかくならいつもよりやる気が出ているものを頑張った方が楽しいというものです」
「やったね、ユリアン!」
「うん!」
そうして結局2人は楽器を特訓することとなった。そして2人の強烈な集中力と、上達力に教師イザベラは舌を巻くのであった。特に普段はあまり楽しくなさそうに楽器を学ぶユリアンがのめり込んで学ぶ姿は、驚くしかなかった。
(イザーク様、ユリアン様に火をつけて頂き、ありがとうございます!)
イザークは知らぬ間にイザベラから尊敬の念を抱かれていた。本人はピアノの練習に必死だが…。
そこからは淡々と1日のスケジュールが進んでいった。午前中は楽器。一通り、曲の通しが早く終わったので、午後からは礼儀作法。そうして過ごしていくうちに、あっという間に夜となった。
「ただいま〜」
「お帰りなさい、貴方」
「お帰りなさい、父上」
「お帰りなさい」
アンネリーゼ、ユリアン、イザークの3人でしっかりと出迎える。荷物を使用人に預けると、早速全員で食堂に向かう。オットーの帰る時間は普段から19時ぐらいと少し遅めなので、帰ってきたらすぐ夕食になることが多いのだ。
全員が席についたことを確認すると、オットーが言葉を発する。
「さて、全員揃っているようだし早速いただこうか」
「「「はい」」」
そうして皆が夕食を食べ始めた頃、イザークは今日の午前中に気になっていたことをオットーに聞くことにした。
「父上、ひとつよろしいでしょうか?」
「ん? なんだい?」
「僕は今年学園に入学させてもらえるとのことでしたが、それに際し、ひとつ気になっていたことをお聞きしたくて」
「勿論良いとも」
「ありがとうございます。では、学園に入学すると、冒険者のお仕事に関してはどういった感じになるのでしょうか?」
「あぁ、そのことだね。すまないね、大事なことなのに伝え忘れていたよ」
「いえ、大丈夫です」
イザークとしてはむしろ、ちゃんとそこに意識を向けていてくれてたのかという気持ちの方が大きかった。
「そうか、ならその事についてたが、学園は基本的に学生の労働が認められているんだ。何せ学費が高いからね。貴族なら問題はないだろうが、働かないと学費は払えても生活費を賄えない学生は大勢いる」
「今の言い方ですと、貴族ではない人も学園に入学すること自体はできるのですか?」
「勿論だよ。規模の大きな商人の家の子とかがそれに当たるね。でもやっぱり貴族が通う学園はほとんどの学生が貴族だね。平民の家となるとやはり経済力がないと、そもそも入学試験のための勉強もさせてやれない家庭がほとんどだ。教育にはお金がかかるからね」
「なるほど、ではたまたま勉強できる環境があってお金がない人などはどうなるのですか?」
「良い質問だね。そういう子達は取り敢えず試験は受けさせてもらえるんだ」
その言葉にイザークは驚いた。
「そうなのですか?」
「あぁ、入学試験は上位20名までの中に入れれば、特待生として扱われる。特待生になれた者は学費が免除される。そして準特待生制度もあり、これは50位以内の者に与えられる権利だ。この場合、学費が半額になるんだ」
「なるほど。優秀な者であれば、貴族や商人の家の子でなくても学園に通う資格は与えられると」
「そう言うこと。いくら貴族や商人の家の子でも試験に落ちれば入れないわけだし」
「確かに」
「まぁ、と言っても貴族で落ちる子はほぼいないけどね」
(ほぼいないと言うことは、たまにいるわけか。お金と環境がありながら何やってるんだよ……)
「話が少しズレたが、結局のところ、学費が免除されても家からの仕送りが期待できず、働かないといけない学生もいるんだ。そんなわけで学園では労働の自由が認められているんだよ。だから冒険者はやめなくても良い」
「そうなんですね……良かった」
「……」
イザークは冒険者の仕事をやめなくても良いと知って、安心したが、オットーは何かいいたげな顔をしている事に気がつく。
「あ、あの。どうしました?」
「ん? あぁ、いやその、なんだ……イザーク」
「はい」
「冒険者は絶対に辞めたくないか?」
「はい。出来れば」
そこまで言ってイザークはオットーが言わんとしていることを理解した。つまり、
(僕は養子であったとしても、公爵家次男という事になっている。だからなるべく危険なことはしてほしくないと言ったところかな?)
「ははは、その様子だと私が君に、出来れば冒険者はあまり続けてほしくないと思っているのが分かってしまったようだね」
「はい。しかし公爵家次男ということならば、当然かと」
「? あぁ、確かにそれもあるけどね。でも本当のところはもっと違う理由だよ」
「?」
「単純に死んでしまうかもしれない、そういう可能性があることはできればしてほしくないってだけさ」
「!?」
(まさか純粋に心配でやめて欲しかったと……。ははは……)
イザークとしては困惑状態だった。今までこれほどまでに人に大切にされたことは無かったので、自分が周りからどれくらい大事に思われているかというのを自覚できないのだ。
しかしながら、実際にその気持ちに触れてみると、
(なんで心地いいんだろうな……オットー公爵とは、いや……父上とはまだ出会って間もないけど、既にここの家族として大事にされているのが伝わってくる。ありがたいな)
しかし、イザークとしてもそこはあまり譲りたくないところなのだ。試験に通ってまで、勝ち取った席だからだ。
「ありがとうございます……。しかし僕としてもこの職業は過酷な試験を通ってまで勝ち取ったものです。ですから……辞めたくはありません」
「……ふふ。そうか。いや、それならいいんだ。私もそんな気がしていたんだ。すまなかったね」
「いえ、ご心配いただいているというのは物凄く理解してますので」
「そうか、それならば……良しとしよう」
オットーはそこまで言うと、急に笑顔になり、さぁ食べようと言ってこれ以上イザークを止めはしなかった。イザークとしてはここまで自分の気持ち、自分のやりたいことを尊重してくれる今の家族が、より好きになっていくのを実感するばかりだった。
(さぁ、明日からはどんな日々が待っているのかな?)