旅立ちの時
イザークがお家の継承権の剥奪を言い渡されてから数年が経ち、10歳となった。
「ふむ、貴様ももう10歳か。時が経つのは本当に早いものだ。これでようやく貴様の世話も終わる」
「はい。今まで大変お世話になりました」
あたかも父ブルーノがイザークを育てたかのように話すが実際のところは、
(ほとんど世話係としか話したことないし、身の回りのお世話も全部世話係さんがしてくれてたんだけどね)
イザークからしたら父ブルーノから育てられた感覚など全くない。もちろん生活資金は出してもらってはいたし、それに関しては感謝している。だがそれはどこの家庭でもしていることとも言える。
平民の家だろうが、貴族の家だろうが関係ない。子供を育てるためにお金を使うことは一般的なことだ。と言うよりも必須だ。
つまり父ブルーノにお金以外で父親らしいことは一切してもらっていない。
逆に兄2人に関しては積極的に勉学を見てやったり、食事も一緒に摂り、心術を使った実践なども自ら教育していた。
勿論専門の教育係もいたのだが、ブルーノも自ら子供たちを見ると言って訓練などに顔を出していたのだ。
(うん、でももう僕には関係のないことだし、今からは今後どうやって生きていくかだけ考えよう)
そう思ったイザークはさっさとこの嫌な環境とおさらばする為、最後の挨拶をブルーノにする。
ちなみに兄弟たちは顔すら出していない。どこまでいってもイザークの居場所はここには無いのだと実感する。
「それでは父上、ここまで育てていただき感謝します。では」
イザークは軽く会釈をしてすぐにブルーノに背中を向けるとスタスタと歩いて行ってしまった。
その背中を見ていたブルーノは、イザークのあまりの潔さに正直なところ、面食らっていた。
もう少しゴネると思っていたのだが、実際は物凄く呆気なく立ち去っていった。
その、"お前がいなくても自分は生きていける"と言われているような様子に気に入らないものを感じはするが、1人分養う手間が省けるのも事実。
ブルーノは複雑な感情を胸にトボトボと屋敷に戻っていくのだった。
イザークがアーレンス家を出発して一時間ほど経った。
今イザークは今後の生計の立て方を考えている。普通の貴族嫡子ならなんの伝もなく家から放り出されれば路頭に迷うことだろう。
だが彼はいずれ放逐されることが分かっていたので、ならばとちょくちょく外出し、庶民の生活というものをその目で見て回ったのだ。このおかげでアーレンス領の平民たちからは勉強熱心で下々のことをよく理解しようとしてくれる素晴らしい後継者候補だと噂されていた。
そしてイザークは平民たちの暮らしぶりや仕事をいろいろと学ぶことができた。
結果的にこの視察は色んな意味で成功と言えるのだった。
(まぁ、どのみちもう家は継げないわけだし、今更評価が上がってもあまり意味はないけどね。でも庶民の仕事をたくさん知れたのは良かった。おかげである程度就職先の候補は決まったし)
そして候補の中でイザークでもできそうな仕事が、
(冒険者か、荷物運搬ぐらいかな。他の仕事は体の大きさが必要だったり、物凄く優秀な心術が必要だったりと色々条件が多いしね)
今の所、ほぼ無条件で所属できる労働環境といえばそのくらい。
ただ冒険者に関してはやはり強さが重要視される。自分でもできるのだろうかという不安は勿論ある。
しかしイザークは剣術や体術などは家の継承権を剥奪されるまでではあるが、英才教育を受けていたのだ。
それに加え、劣等と言われていてもちゃんと心術には目覚めている。これらの要素からイザークはそれなりに冒険者もいけるのではと考えているのだ。
心術を使うことによって出来ることは2つ。
一つ、身体能力がそこそこ上がる。
二つ、契約している竜とならば、一緒に戦うことができる。
この様な感じとなる。ちなみに今イザークが契約しているのは数年前に召喚した翠緑龍だ。契約していればどれだけ離れていても召喚できる。新しい竜を召喚したい場合は自分の現在地から最も近くにいて召喚できる竜が出てくる。どこまでやれるか分からないが、今のイザークは仕事を得なければ野垂れ死ぬのだ。
とにかく行動あるのみというわけで、
(取り敢えず、冒険者ギルドに向かおう。無理そうであれば荷物運搬の組合に行けばいい)
早速方針を固めたイザークはアーレンス領の隣町に向かった。
身体強化をして歩いて半日と少しほどの距離なので大したことはない。これで嫌な記憶の元凶たちにも、ひとまず会わずに済むようになる。
肩の荷が降りたところで早速ギルドに向かった。
入った建物は思ったよりも質素。イザークの第一印象はそんな感じ。取り敢えず冒険者登録をしたいのでイザークはカウンターに向かう。
すると受付嬢の女性が彼に声をかける。
「あら、僕。何かご用かしら?」
イザークの彼女への第一印象はお淑やかそうなお姉さん。言葉遣いも女性らしく柔らかい。
「こんにちは。冒険者登録をしに来たのですが、僕でもできますか?」
イザークがそう言うと、周囲の空気が凍りついた。受付嬢も、夕方なので依頼の報告に来ていた冒険者も、皆が一瞬でイザークに視線を集めた。
イザークはいきなり周りの人間から集中的に視線を浴びせられたので、ビクッとしたが今は聞かなければいけないことがある。
「あ、あの、やっぱり出来ませんか? もし難しそうであればご迷惑をおかけするつもりもないので帰りますが……」
イザークの明らかに落胆と不安を入り混じらせた質問に、我に帰った受付嬢が慌てて否と言う。
「い、いえ! そのようなことはございません。年齢が10歳を超えてらっしゃる方であれば、どなたでもご登録いただけますよ! ただ、その、言葉遣いがあまりにも貴方のような年代の子供達とかけ離れていたので……その、」
「ああ、そう言うことでしたか。はい。お察しの通り貴族の出です」
「やっぱり、そうでしたか。でしたらご家族様の同意が……」
受付嬢が規則について説明しようとしたその時だった。
「おうおう貴族様! ここはおたくらの遊び場じゃねぇんですよ! 命かけて日々頑張ってる奴らの仕事場なのさ! 大人しくおうちに帰ってママのオッパイ吸ってなさいや!」
いきなりスキンヘッドの大柄な男がイザークに絡んできた。背中に大剣を担いでいるので、重戦士なのだろうと予想がつく。だが今はそんなことより、
(大丈夫なのこの人? さっきの話聞いてなかった? 僕貴族出身ですって言ったよね? なのに乱暴な言葉遣いで絡んでくるとか自殺願望者なのか?)
イザークはそんなふうに思ってしまう。なんせ、貴族が雇っている騎士や傭兵というのは心術がかなり優秀で、当然のことながら戦闘に関しても化け物染みて強い。しかも貴族自身も強い者が多いので、この男のように絡んだりでもしたら即行で倒されて罪人コースなのだ。
「はぁ、そんなことをしてしまうから冒険者は貴族に馬鹿にされるのです」
「あぁ? 喧嘩売ってんですかい? 買いますぜ?」
「いやいやそういうわけではないですよ。ケンカも売ってないし、僕自身があなた方を見下しているわけでもない。僕は別に身分の差などどうでもよろしいと思っていますからね」
「?」
イザークがそう言うと受付嬢と冒険者は驚いた顔をした後に困惑した顔になった。
「結論、僕が言いたいのは、貴方みたいに人様に横暴な態度を取る人間がいるから、他の真面目に働いている冒険者の方たちが特権階級者に見下されるということです」
「!? テメェ……さっきから黙って聞いてりゃ!」
「まぁ、実際貴方の態度は問題でしょ? 僕が相手でなかったら……言わなくてもお分かりいただけますよね?」
「ガキだからって優しく相手してやってたが、どうやら死にてぇらしいな! だったら遠慮なく……!」
イザークの態度に腹が立った冒険者の男が拳を振りかぶって殴りかかろうとした。
だが、
「なっ!?」
次の瞬間には男の喉元に木剣の先端が向けられていた。
「凄い……」
受付嬢は何が起こったか分からなかったが、目の前にいる小さな子供が大人の、しかも冒険者を相手に指一本触れさせないで圧勝してしまったのだということは分かった。
「なるほど。心術の恩恵による身体強化。意外と使えるね」
「お、お前一体何者だ!?」
「ん? 僕ですか?」
(んー、なんと答えようかな?)
「そうですね。心術が劣等種だからと勘当され、生きるために職を探してるただの子供ですよ」
「劣等? 勘当? この強さで? はっ、ホント、やってられねぇな」
「とにかく、今回は僕が平民となっていたから良かったですが、もしこれがまだ現役の貴族だったら貴方、首が物理的に飛んでましたよ? もうこの件はここでおしまいにしましょう。貴方も依頼で疲れてるんでしょ? さっさと帰ってください」
男はイザークに軽く頭を下げ、トボトボと歩いて行った。
だがイザークにはまだやるべきことが残っている。
「というわけでお姉さん。僕は貴族の出ですが、今は貴族ではないのでお気になさらず登録をお願いします」
「あ、はい! ではですね……」
その後、イザークは色々と説明を受けていたのだが、問題が発生した。それは心術の問題だ。
劣等心術ではあまり討伐依頼が受けられないようだ。
冒険者は採取依頼や街中でのお手伝いなどの依頼もあるが、基本的には魔物を倒して素材と魔石を持ち帰り、換金するというのが一般的だ。
故に確実な強さが保証されている心術でないとあまり討伐依頼なども受けられないようだ。
冒険者が条件なしで仕事ができるというのはあくまで採取やお手伝い系の依頼の話だったのだ。
強さが必要な依頼ではある程度心術による選別は行われるという。
イザークはこの説明を聞いて苦虫を噛み潰したような顔をした。
(クソ! 調べが足りなかった! そんなところに落とし穴があったなんて……)
やはり劣等心術と言われるこの力を持っているだけで、自分はどんな場所でも、除け者にされるのか……
イザークはそう思わずにはいられなかった。
しかしイザークが冒険者という職業に目をつけたのは、何も条件が易しいからと言うだけではないのだ。と言うのも、イザークは領内の視察をしているときに、よく冒険者の話を耳にしていたのだ。自由にいろんな地域を旅したり、強い魔物と戦って素材を集めて強い武器を作ったりと、話を聞いていくうちにいつしか、そんな生活に憧れを抱くようになっていた。故に諦めたくなかったのだ。
「ごめんなさい、お姉さん。心術のことを話してませんでしたよね。でも、やっぱり僕は冒険者を目指したいのです!」
「あ、いえですから採取系やお手伝い系の依頼なら心術が心配であっても出来ますと……」
受付嬢が説得を試みるが、イザークは当然納得しない。彼の冒険者に対する憧れはその程度で収まるものではないのだ。
「いえ、僕はそういった仕事もしますけど、討伐依頼も受けたいのです」
イザークのその言葉に受付嬢は困り果てたような顔になった。イザークも流石に困らせすぎたか? とは思うものの引く気はないので、そのまま話を続ける態勢を崩さない。
しかし流石にイザークたちのやり取りを見てられなくなった人物が出てきたようで、カウンター裏から男が出てきて受付嬢にアドバイスをした。
「アリーセ、彼がそこまで言うんだったら、試験をしたらどうだい? さっきの冒険者とのやり取りを見る限り、別に弱いと言うわけではないようだしね」
男は30代半ばくらいで身長は175センチちょっと。肩にかかるくらいの銀髪を耳にかける感じで整えている。筋骨隆々というわけではないが、よく鍛えられた肉体だとイザークは思った。
イザークは目の前の男は誰なのだろう? などと呑気なことを考えていたが、受付嬢の方は驚いて後ろを振り返った。
「ギルドマスター!? どうしてここに!?」
「あぁ、驚かせてすまない。さっき用事で裏まで来てたんだよ。そしたらそこの小さな子が冒険者相手に勝ってしまうじゃないか。面白くてつい見てたんだよね」
イザークは2人のやり取りを見て心底驚いた。まさかギルドマスターなどという大物が関わってくるとは思ってもいなかったからだ。
イザークはしばし驚いたままだったが、受付嬢とマスターのやり取りは続く。
「見てたのなら早く助けていただきたかったです……私もこの子を応援したいけど、やっぱり心配でどうしようか悩んでたんですから!」
「あははは、すまないね。久しぶりに筋の良さそうなのを見つけたから、ついね、つい」
「はぁ〜。分かりました。試験ですね?」
「うん、それを本人が受けるのなら、そしてそれに受かったのなら歓迎してやればいい」
「承知しました。てことなんだけど、僕はどうする?」
イザークは何が何だか分からなかったが、とにかく試験を受けて合格すれば討伐依頼も受けられる冒険者として登録してもらえるというのだけは理解した。
そして当然彼の答えは決まっている。
「勿論、受けて立ちますとも!」
イザークがそう答えると、受付嬢は心配そうに。ギルマスは興味深そうに準備を始めてくれたのだった。