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〈ナグワル〉~森羅万象創造記~

作者: 伝記 かんな

森羅万象が、『法』と『人』を織りなす世界。

その世界の王は、森羅万象より授かった力を

人々に分け与え、旅路を繰り返す。


その『法』の力の事を、

その世界の言葉で〈ナグワル〉という。





そこは、名もなき遠い世界。


森羅万象が、『法』を成す世界。


森羅万象が、人を創造した世界である。



その世界を治める王は、

『法』を司り、同時に

生命を持つ全てのものから

祝福される存在だった。


王は、自らの足で世界を渡り歩き、

携えたその力を人々に分け与え、

世界の繁栄を築いていた。



その『法』の名を、

その世界の言葉で、〈ナグワル〉と言う。




                   *




〈ナグワル〉王は、世界の平穏無事を祈り、

『法』を伝えていくのが役目であった。

まごうことなき力の継承は、

旅先で出会った女性と手を取り合い、

その間に生まれた者に受け継がれていく。


子どもが生まれて10年経つと、

王は唯一の城に定住する。

齢10年を迎えた新王は、

王位継承を受けて世界の王に君臨し、

渡り歩く旅を始めるのだ。



この物語は、

現新王が王位継承を終え、さらに6年経った後の話である。





                   *




世界で最も神の領域に近いとされる場所、

通称・『ナギ・ヤラマの樹海』の近くに

小さな村がある。


『ジャスツール』の村には、

先代王から法力を授かった女性がいた。

その名を、“ディライカ”という。


力を授かった経緯は

現王の命を救った功績だというが、

本当の事を知る者はいない。


しかし、誰もその理由を詮索せず、

村人は彼女を慕っていた。

王に関する逸話は、

どんな理由であろうとも・・・・・・

触れずに、秘匿にしなければならない。



彼女の法力は、“調和”を司るものである。

力の発揮は主に、

縁結びや対立の和解などが多く、

彼女に相談することで

村は平穏無事に過ごせていた。





「ディライカさま。もうそろそろ

 王がおなりになる時期になりますね。」



村の外れに、香りのよい檜で造られた

小さな家がある。


今の刻は、太陽の木漏れ日が窓から降り注ぎ、

暖かな風が部屋の中を通り抜けていた。

その窓際で、

ロッキングチェアに腰を下ろしている少女がいた。

そよ風と共に揺れながら、

窓から見える樹海を眺めている。


風で舞う赤毛は柔らかく、

腰の辺りまで伸びていた。

その顔立ちは幼いが、

木々を映す翠玉色の瞳に灯る光は、

理知に満ちている。



「・・・・・・もう、そんな時期なのね。」



ぽつりとつぶやいた少女の声音は、

そよ風に揺らされた鈴の音のようだった。



「王は十と六を数えられたそうで、

 それはそれは凛々しく

 精悍であらせられるそうですよ。

 早くお会いしたいなぁ。」


ディライカの隣に立ち、

目を輝かせて言う少年がいる。

白に近い金髪は、窓から差し込む

朝日の光を浴びて輝いていた。

細身で長い足が印象強く、

大きな藍色の瞳は

青空のように澄んでいる。



その少年はディライカの召使で、

名を“エゾ”という。


王から法力を授かった者は、

森羅万象から使者を迎える事ができる。


ディライカはとある日、『ナギ・ヤラマの樹海』で

傷を負っていた鹿に出会った。

彼女はその鹿を手当てし、使者として迎え入れて

名前を与えたのである。

助けられた恩もあるが、彼はとても

ディライカを慕っており、

使者としての役目を喜んで引き受けている。


「ディライカさま。

 前々から疑問に思っていたのですが・・・・・・」


エゾは言いにくそうに、ディライカに尋ねる。


「なぜ、王にお会いにならないのですか?

 現王が戴冠されてから6年、

 全くお会いになられていない・・・ですよね?

 今年もお会いにならないつもりですか?」


「・・・・・・」



ディライカは、窓から窺える木々に

視線を映したまま、微動もしない。

何も答えない主人を、

エゾは不思議そうに見つめている。


彼女は、小さくため息をついた。


「・・・・・・会わずとも、

 どれだけ立派な方か知っているし・・・・・・

 全く会っていないわけじゃないわ。

 戴冠なされる前に拝見したし、話だってしたわよ。」


「それじゃあなぜ、王になられてから

 お会いにならないのですか?」


エゾは、ますます首を傾げながら

ディライカに視線を送る。

彼女は視線を木々から外し、

翠玉色の瞳を彼に向けた。


「・・・・・・あなたは気にしなくていいの。

 私が会わないと言えば、会わない。分かった?」


ディライカの目力に圧されたのか、

エゾは肩をすくめる。

彼女は、ふぅ、と溜め息をつき、

再び窓の外に目を向けた。


「王が村をご来訪なされている間、

 私は樹海にいます。

 ・・・・・・いい?

 行き先を教えたら、駄目だからね。」


「・・・・・・保証はできません。」


「・・・・・・何ですって?」


「我らが〈ナグワル〉王に、

 森羅万象に属する私が逆らう事は

 できないからです。

 ・・・・・・今まで王は、

 ディライカさまのご意向を尊重して

 何もお尋ねにならなかったですが・・・・・・

 流石に、寛容な王も

 疑問をお持ちになると思います。

 今年こそ聞かれるのではないかと・・・・・・

 いつもヒヤヒヤしています。

 《どこにいる?》と聞かれたら、

 僕は答えますよ。知りませんよ。いいですね?」



必死に訴えるエゾは、

今にも泣きそうな様子だ。

鼻の頭が赤くなっている。


ディライカは椅子から立ち上がり、

エゾの頭にそっと自分の白い手を乗せる。

優しく撫でながら、ディライカは宥めた。


「・・・・・・ごめんなさい。

 無理なことを言って困らせてしまって・・・

 でも、私には思うところがあって

 王にお会いすることができないの。」


「・・・・・・ディライカさま・・・・・・」


「本当に、申し訳なく思っているわ・・・・・・

 でも、分かってほしいの。

 お会いできたその時に、教えるから・・・・・・」


エゾは彼女の意思に同意して、頷く。


「・・・・・・分かりました。

 でも、尋ねられたら答えますから。

 ごめんなさい。」


ディライカは、くすっと笑った。


「こちらこそ、ごめんね。

 ありがとう、エゾ。大好きよ。」


その言葉に、エゾは

ぱぁっと顔を輝かせて笑顔になる。


「僕も、ディライカさまが大好きです!」


ディライカは、ふふっ、と笑って

エゾの頭をくしゃくしゃと撫でた。



とんとん、と家の扉を叩く音が響く。


「・・・・・・こんにちは、ディライカ様。

 村長のファランドです。

 開けて頂けますか?」


ディライカは髪を整え、一呼吸置いてから答える。


「はい、今開けます。」



扉が音を立てて開いた先には、

一人の男性が立っていた。

茶褐色の髪は後ろで一つにまとめられ、

所々に白髪が生えている。


彼は、王の戴冠と同時に

この村の長を引き継いでいる。

齢40歳になる彼は、既に

村長としての貫禄を身に付けていた。



「・・・・・・どうなさいましたか?

 どうぞ中にお入りください。」


前触れなく、村長が訪問することは珍しい。

ディライカは疑問に思いながらも、

彼を招き入れる。

ファランドは会釈をして

家の中に足を踏み入れた。

エゾは、ハーブティーを入れる為に

台所へと消えていく。


ディライカは、テーブル椅子のある部屋に

ファランドを通し、椅子へ促す。

彼が腰を下ろすと、

自分も向かい合うように椅子に座った。



ファランドの表情は、明るいとは言えない。

ディライカは何かを察し、息を整えて

彼の言葉を待った。


「・・・・・・ディライカ様。

 王がもうじき、この村にご来訪なされる事は

 存じておられますね?

 私が申したいのは・・・・・・」


「・・・・・・はい。」


彼が何を言いたいのか、彼女は予測がついた。


先程、エゾが言った内容と

同じなのではないかと悟る。


「貴女さまはなぜ、

 王にお会いにならないのですか?

 我々はディライカ様の意に沿って、

 ここ何年従ってきました。

 しかし今年はもう、隠し通せません。

 王の使者である雀が、書面を持ってきました。」



『雀』。


ディライカは、

心臓を掴まれたような感覚に襲われる。


『雀』は、王の使者である。


ファランドは、懐から小さな紙を取り出す。

それを彼女に差し出した。

紙は丸められ、葛の蔦でくくられている。


それを、ディライカは躊躇うように

ゆっくり受け取った。


くくられている蔦を丁寧に取り、

丸められた紙を指で広げる。

綺麗に書かれた文字を、

彼女は目に入れた。



“ジャスツールの〈ナグワル〉に会えることを、

 心待ちにしている。

 是非村長から、

 〈ナグワル〉に頼んでいただきたい。“



ファランドは控えめに、

ディライカに告げた。


「・・・・・・ここまで、

 王はご所望なされています。

 我々は、貴女さまが王に会われることを

 避けているようにしか思えません。

 ご所望なされる事を拒むことは、

 神に逆らう事と同じ。

 〈ナグワル〉である貴女さまが、

 それに逆らう事はできないはず。

 お察しになられているのなら、

 是非お召しになってください。」


「・・・・・・」



ディライカは、押し黙る。


―村長の言う事は、正論だ。

 むしろ、私がここまで意思を通す事に、

 狂気さえ感じるだろう。

 ・・・・・・でも。



「・・・・・・村長。申し訳ありません。

 避けていると思うのも仕方ないのですが・・・・・・

 意があって、私は拝顔するのを控えています。

 理由は、申し上げられません。

 私を追放してもらっても構いません。」


ファランドは、

思ってもない“追放”の言葉に驚愕する。


「とんでもない!

 そのような事をおっしゃらないでください!」



木のトレーに乗せたハーブティーを

運んできたエゾが、その大きな声に

びくっ、として立ち止まる。


彼女は、静かな口調で言葉を紡いだ。


「・・・・・・確固たる意思の所以、なのです。

 時がきたら、お話するつもりです。」


「王のご所望であっても?」


「はい。」


「・・・・・・命を、懸けてでもですか?」


「・・・・・・ご理解ください。」



ファランドの表情は、苦悩に染まっている。

エゾは見計らって、

ハーブティーが注がれたティーカップを

テーブルに置いた。

ディライカは真っ直ぐに、ファランドを見据える。


「村長の責任は、私が全部負います。

 ・・・・・・王が村にご来訪なされている間、

 不在にする事をどうかお許しください。」


「・・・・・・」



俯いて葛藤していたファランドは、

渋々首を縦に振った。


「・・・・・・分かりました。

 貴女さまは我々にとって、大事な方です。

 言う通りにします。

 ですが、どうかもう一度ご検討ください。」


彼はハーブティーに手を付けず、立ち上がる。

深々とディライカに頭を下げた後、

部屋を出て行った。


それを見送った後、

彼女は深い溜め息をつく。


「・・・・・・ディライカさま。

 大丈夫ですか?」


エゾは、ディライカの顔色が悪いのに気づき、

心配そうに声を掛ける。

眩暈がして倒れそうになるのを我慢し、

ディライカは微笑んだ。


「・・・・・・大丈夫よ。」



―もう限界なのかもしれない。

 でも、貫かないといけない。



王に相反する事は、

〈ナグワル〉であるディライカにとって

精神的にも肉体的にもつらいことだった。



誰も、彼女の苦悩を

理解する者はいなかった。



                   *



ディライカの両親は、

生きているかも

死んでいるのかも分からない。

彼女自身、出生を知る由がなかった。


村の長老・テランが言うには、

『ナギ・ヤラマ』の樹海のふもとで

赤子の彼女を見つけたという。

そのとき唯一、

銀細工の首飾りが一緒に添えられていたらしい。



<愛しの『ディライカ』に捧げる>



その言葉が、首飾りの裏側に刻まれていた。


長老・テランは、自分を村に連れて帰り、

村の子供と同じように

隔たりなく育ててくれた。

彼女はその恩を返したいし、

村の為に出来ることがあれば

喜んで引き受けてきた。


ディライカは、自分の首に提げられた

銀細工の飾りを手にする。

それを見つめながら、思いふけっていた。



―先代王は、自分に科せられた宿命を知った上で

 法力を私に授けてくださった。

 ・・・・・・現王の命を救ったなんて、口実。

 事実は・・・・・・

 私と、先代王だけが知っている。



ディライカは今年、現王と同じ年を迎える。

16歳になれば、立派な成人。

この世界では、

大人として認められる歳であった。


だからこそ、彼女は意思を貫きたかった。



「ディライカさま。

 本当に、お行きになるのですか?」


心配そうに見つめてくる、愛らしい使者。

ディライカは優しい眼差しを返して、

柔らかい笑みを浮かべる。


「・・・・・・ええ。迷惑をかけるわね。」


「迷惑だなんて・・・少しも思ってないですよ。

 ディライカさま。」


「・・・・・・後を、頼みます。」


寂しそうに、愛おしそうに見送るエゾに、

ディライカは手を振って

できるだけの笑顔を向けた。


慣れ親しんだ家に背を向け、彼女は

必要最小限の備えを背中に背負い、

樹海へ歩き出す。


食べ物も、飲み物も、樹海にある。

森羅万象の恵みと、得た英知が彼女にあった。

そして帰る為の道も、

樹海の木々たちが教えてくれる。


怖いものは、何もなかった。




                   *




ディライカが樹海に身を潜めて数日後、

ジャスツールの村に、

待望の〈ナグワル〉王が訪れる。

村民総出でそれを喜び、快く迎え入れた。


王が村に一歩踏み入れた瞬間、村民は

その取り巻く暖かい風に包まれた。


太陽のように輝く金色の髪は、

耳の辺りで稲穂のように揺れている。

深い緑の絹衣が風になびき、

颯爽と歩く姿は偉大さを感じさせた。

王の容姿を一目見ようと、

村民は頭を下げながらも

ちらちらと目に入れようとする。


王の背後を護る如く付いて歩く青年は、

使者の『雀』である。

切れ長の目に映る光は鋭く、

安易に近づかせないよう威圧している。



「おお、〈ナグワル〉王。

 ようこそご来訪なさいました。

 この日を、村民全員が心待ちにしていました。」


ファランドは村民から一歩踏み出て、

深々と頭を垂れる。

王は、清廉の瞳をファランドに向けた。


「久しぶりだな、ファランド。顔を上げよ。

 ・・・・・・村は、

 相変わらず良い空気が漂っている。

 それも、この村の〈ナグワル〉が

 正しく力を奮っているお陰だろう。」



ファランドは、

〈ナグワル〉の言葉に動揺した。

頭を上げることが出来ず、

冷や汗が、額から滝のように流れ落ちる。

その様子を察したのか、王は静かに問う。



「〈ナグワル〉のディライカは・・・・・・

 在宅か?」



ファランドは、どう答えていいのか迷った。


恐る恐る頭を上げて王の顔色を伺うが、

その表情からは何も得られない。

曇りのない青空色の瞳に、ますます

ファランドは冷や汗をかき、

苦し紛れに言葉を述べる。


「・・・それは・・・その・・・・・・

 ディライカさまは

 思うところがおありになるらしく・・・・・・

 不在でいらっしゃいます。

 私の説得がうまくいかず、誠に申し訳ありません。

 非常に頑なでありまして・・・・・・」



しどろもどろ答えるファランドに、王は

深い溜め息をついた。


「・・・・・・そうか。

 気にすることはない。やはりそうか。

 むしろ、先回りして頼んでしまった事を

 詫びないといけない。

 心労かけてすまなかったな。」


ファランドの顔に、血の気が戻る。

王のその一言で、

表情は安堵の色に染まっていった。


「とんでもない!もったいなきお言葉です。

 至らなくて、誠に申し訳ございません。

 詫びるなんて、恐れ多い事にございます。

 ささ、どうぞこちらへ・・・・・・

 ゆるりとくつろげる部屋を用意してあります。」


「ありがとう。」


王がファランドとともに去っていくのを、

村民は名残惜しそうに見送る。

王が去っていく姿は、暖かい風が

心地好く吹き抜けるような感覚だった。






王がジャスツールの村に訪れた、

その日の夜。

真円の月が、真上に差しかかった頃である。



ディライカの家の扉を叩く者がいた。

エゾは不思議に思ったが、

留守を任されている手前

出ないわけにはいかないと思い、扉を開けた。


来訪した人物を目の当たりにした矢先、

彼は慌てふためいて床に跪く。

額をこする程、深々と平伏した。


「あわわわ・・・〈ナグワル〉王、

 ご機嫌麗しゅうございます。」


少年の動揺する姿に、

王は微笑まずにはいられず、顔を綻ばせた。


「夜分遅くすまない。

 ・・・・・・顔を上げて立ちなさい、エゾ。

 お前のご主人様はどこにいる?」


「あう、そ、それは・・・その・・・・・・」



エゾは額を床に擦り続けたまま、

立ち上がろうとしない。


そんな彼の前に、王はゆっくりと跪く。


それに、大きく慌てて

エゾは思わず顔を上げた。


「あわわわ、王さま!どうかお立ちください!

 私ごときものの為に

 膝をつけるなんて、おやめください!」


「それでは、お前も立ってくれるか?」


「・・・・・・うう、は、はい・・・・・・」



エゾは泣きそうになりながらも、立ち上がる。

王は一緒に立ち上がり、笑みを浮かべた。


「お前も心労が耐えないだろうな。

 ご主人様がこうも頑固だと・・・」


「申し訳ありません・・・・・・私では、

 引き止める事ができませんでした。」


「良いのだ。

 ・・・・・・彼女の意思は、覆らないようだな。

 今まで見逃してきたが、私にも限界がある。

 会う事を避けられている理由を

 聞かなくては、収まらない。

 それに・・・・・・私はもう成人を迎える。

 彼女と会って話したい理由も、押し通せる。

 ・・・・・・エゾ。

 彼女の居場所を教えてくれないか?」



来た。

もう、逃れられない。

ごめんなさい、ディライカさま。


エゾはそう思い、頭を垂れて告げる。


「・・・・・・ディライカさまは、

 『ナギ・ヤラマの樹海』の奥地にいらっしゃいます。

 ・・・・・・拝願せず避けている理由を、

 その時がきたら教えると、おっしゃいました。

 だから、どうか・・・・・・

 ディライカさまをお許しください。」


ひたむきに主人を庇う彼に、

王は温かい眼差しを向けて頷いた。


「分かっている。

 私は彼女を咎めはしない。

 彼女は意思を持って、私に抗っている。

 それは尊重するが・・・・・・

 王である前に、私は一人の男だということを

 彼女は理解すべきだ。」


きびすを返して歩いていく

その後姿を、エゾは目を逸らすことなく

温かく見送った。



王の言葉に、愛が籠められている。


その事に気づいて、彼は期待する。



ディライカさま。

王は、貴女さまのことを・・・・・・






その頃、ディライカは樹海の深い所まで

足を運んでいた。

大きな木の幹に背中を預け、

膝を抱えて座っている。


ほう、ほう、と梟の声が響き渡っていた。


ディライカにとって、木々の存在は、

かけがえのないものだった。

深夜である今は黒々とし、

襲ってきそうなくらい鬱蒼としているが、

彼女は息をつける程くつろいでいた。


樹海の奥地は、空が見えない。


しかし、真円の月が浮かぶ今夜は

深緑を潜り抜け、彼女のいる所まで

淡い光が届いていた。



ディライカは、ふと、

人影を見たような気がした。


まどろんでいたが、

その気配にしっかり目を開ける。


はっとした。

その風、その空気。

思い当たる人物は、一人しかいない。



ディライカは立ち上がる。


その場を立ち去ろうとした瞬間、

有無を言わせない声が響いた。



「待ってくれ、ディライカ。」



その声に、ディライカは囚われた。


翠玉色の瞳は潤み、長く柔らかい彼女の赤毛は

その暖かい風に包まれ、舞う。



「・・・・・・こちらを向いてくれないか?」



その優しいお願いに、

ディライカは心を乱された。

自分の背後にいる、声の主の方へ振り向く。


〈ナグワル〉王の顔には、

安堵と嬉しさの笑みが浮かんでいる。


その微笑みが、彼女にとって

どれだけ心苦しいものであるか。



「やっと会えた。

 ・・・・・・一段と綺麗になったね。」


「・・・・・・」



ディライカは俯く。


―暗くてよかった。

 顔が赤くなっているのを、悟られずに済む。



彼女は、王の顔を

まともに見ることができなかった。

その風、その空気、どれをとっても

〈ナグワル〉である彼女には

神々しいものだったから。



「ディライカ。なぜ僕を避ける?

 ・・・・・・僕が嫌いなのか?」


「・・・・・・滅相もございません・・・・・・」


その問いかけに、

ディライカは泣きそうになる。


青空色の瞳が、ディライカを捉えて放さない。

彼女はそれに逆らうことも、

抗うこともしなかった。



ぶつかり合う視線。

硬直した空間が支配する。


そよ風が、促すように木々を揺らした。


ディライカは、瞳を潤ませながら告げる。



「・・・・・・王が、手を取り合う方と

 お会いになり、ご婚礼をあげられるまで

 会わないつもりでした。」


「君は、僕の言った事を忘れたのか?」



その問い掛けに、

ディライカは、ぐっ、と唇を噛む。


―忘れるわけがない。

 むしろ、それが原因で

 ここまで意地になった。



「僕が王に就いたら、

 君を迎えに行くと言ったはずだ。」


「私は、ふさわしくありません。」


「そんな理由で、今まで避けてきたのか?」


「・・・・・・」


王の眼差しは、貫かんばかりだった。

揺るぎない青空色の瞳が、

彼女の心を見透かすように向けられる。


「君は皆と違う。

 その貫こうとする固い意思。

 皆は僕に逆らうことをせず、

 自分自身を押し殺してしまう。

 ・・・・・・だが君は、

 僕を人として見てくれている。

 話してくれる。

 そして自分の意思で、

 僕から逃げようとしている。」


「・・・・・・」


「・・・・・・君以外の女性は、考えられない。」



ディライカは白い頬に涙を伝わせる。



―・・・先代王。

 もう私は、

 隠し通さなくてもいいのですか?



ディライカは手の甲で流れる涙を拭い、

王を真っ直ぐに見つめ返す。

その翠玉色の瞳には、

深い哀愁が浮かんでいた。


「・・・〈ナグワル〉王。

 私の宿命は、

 貴方さまに添い遂げる事ではないのです。

 私は・・・・・・この世界を揺るがす、

 近い未来に起こる脅威を調和するために、

 存在する者。

 この命は、その為にあるのです。」


「・・・・・・どういう事だ、それは。」


「先代王から賜りしこの『力』は、

 この世界を護る為。そして私の宿命。

 ・・・・・・どうかご理解下さい。」



王はしばらく、

ディライカを見つめていた。


その表情から、心情を読み取る事はできない。

沈黙のまま自分を見つめ続ける王に、

ディライカは耐えるように俯いて

小さく震えながら立ち尽くす。



「・・・・・・君の心は?」


ぽつり、とこぼれる低音の鈴。


「君は女として、僕をどう思っている?」



その質問は、ディライカの胸を貫く。

答えようと口を開いたが、息しか出てこなかった。


「例え、君に課せられた宿命があったとしても、

 人を想う事には関係ないだろう?

 それは、どうなのだ?

 僕は、男として君に好意を持っている。

 君は女として、僕をどう思っている?」


「・・・・・・」



戸惑いと、困惑の波が

ディライカを飲み込む。

俯き、押し黙った。



さわさわと、深緑が風と踊っている。


王は、ディライカの方に歩き出す。

それに気づくことなく、彼女は苦悩していた。


その距離が、暗闇の中でも

表情が分かるくらいに近づいた時、

ディライカは、はっ、とする。


後ろに下がろうとした時は、

既に遅かった。


王は、逃げようとしたディライカの細腕を取る。

掴まれたその手から温かさが伝わり、

彼女は眩暈を覚えた。


「教えてほしい、ディライカ。」


「・・・・・・」


青空色の瞳が、

ディライカを真っ直ぐに映している。

その瞳から、逸らすことは許されなかった。


鏡のように、自分の姿が見える気がした。



―・・・私は今、

 どんな顔をしているのかしら。

 こんな情けなくて、弱々しい自分・・・・・・


 まさか、こんな日が来るなんて。



「・・・わ、たしは・・・」


身体が熱い。

まともに呼吸も出来ず、

心臓は口から出そうなくらい

激しく鳴っている。


そんなディライカを、

揺るぐ事無く〈ナグワル〉王は見据えていた。


細腕を取る温かい手は、

決して放そうとしない。

力強さも感じた。


燃えるような、強い意思をぶつけられる。



「・・・・・・許されません・・・・・・」


やっと口から出た彼女の言の葉は、

周りの木々のざわめきに

消え入りそうなくらいだった。


「・・・・・・ディライカ。」


そんな彼女の名を、王は大切に紡いだ。

ディライカは、首を振って訴える。


「許されないのです。私はふさわしくない。」


「君の心を知りたいのだ。僕は。」



王の口調は、穏やかだ。

その眼差しも、陽だまりのように温かい。

彼女を包み込む風は、彼の

想う気持ちから生まれている。


一人の男としての目。


彼女は、鼓動を波打たせる。


想いをぶつけてくる目に

少女は戸惑い、動揺した。

今まで生きてきた中で、初めての感情だった。

苦しい。

だけどそれは、

核心に近い答えを秘めている。


ディライカはもう、

その瞳から逃げる事ができなかった。


自分の想い。

今まで押し殺してきた自分の姿。



―想ってはならない。

 そう、自分に言い聞かせて、逃げて、誤魔化して、

 何とか保ってきたというのに・・・・・・

 こんなに、脆いものだなんて・・・・・・



ディライカの翠玉色の瞳に、

小さな光が灯る。

王は、その光を捉えて微笑んだ。


「今僕は、やっと在りのままの自分で

 君と話せて、とても嬉しいと感じている。

 会いたい気持ちをずっと我慢して、

 王の役目を果たしてきた。

 君にとって・・・・・・

 今の僕はどう映っている?

 王という姿か?一人の男か?」



ディライカは、瞳を潤ませながら

その眼差しを受ける。



「君を想っていた。ずっと。

 ・・・・・・ディライカ。君を愛している。」



―・・・・・・不釣り合いだ。

 私の命は、この世界を救うためにある。

 全身全霊をかけてみんなを護ろうと。

 そう、誓った。

 そんな私だ。

 そんな私を、

 王は伴侶として迎えようとしている。

 こんな、私を。



「君がこの世界を救う命として

 存在するならば、それを僕が伴侶として

 受け入れるのはおかしい事か?」



神々しい声音に包まれ、

自分に向けられる愛情を一身に受ける。


ディライカは立っていられなくなる程、

王の言葉に衝撃を受けた。



王の、もう片方の手が

ディライカの片頬に置かれる。

彼女は、目を大きく見開いた。


胸が痛い。苦しい。


抗う力を、もう失っていた。

二人の距離は、息がかかるくらいに近づく。

彼女は堪らず、目を逸らす。


「・・・・・・私は、どうなるのか不安です。」


囁く彼女の声音を、

愛おしそうに聞き届けて

王は微笑む。


「・・・・・・僕は、ようやく君と会えて、

 想いを伝えられて。期待しかないよ。

 これからの旅に。」


「・・・・・・世界は、救えるのでしょうか。」


「君が、僕の傍にいてくれたら。」


―先代王は、許してくれるのかしら。


「・・・・・・お傍に、いても良いのですか?」


「それを願っている。強く。

 ・・・・・・だから、聞かせてくれ。

 君の口から。」


想いを。

そんな余韻を含んだ吐息は、とても甘く感じた。



もう、隠せない。

ディライカは、観念する。



「・・・・・・お慕いしております。カイサさま。

 お会いした時から・・・・・・ずっと。」



王の名前を告げる事は、

想いを受け入れたという意思表示である。


この名前を渡され、胸の中に刻み、

今までずっと生きてきた。

どんな形だとしても、

この名前とともに命尽きようと思っていた。



「ははっ・・・・・・

 嬉しいな。こんなに嬉しいとは・・・・・・」


心底から嬉しそうに笑みを零す王は、

とてもあどけなくて愛らしかった。

それを間近で目に入れ、

ディライカは顔を綻ばせる。


「私も嬉しいです・・・・・・

 想いを口にできる日が来るなんて・・・・・・」



言葉が消える。


互いに瞳を貫く程見つめ合った後、

自然に瞼を閉じた。



世界が、祝福する。


二人が繋がる、この時を。




                   *




城の寝室にいた先代王は、二人が結ばれた事を

夜風の囁きで知る。



彼は笑みを浮かべた。


二人が試練を乗り越え、

繋がる時を心待ちにしていたのだ。


ディライカに『法』の力を授けた所以は、

試練を与える為の口実だった。


強く惹かれ合い、強く想い合うこと。

王と〈ナグワル〉を超え、

在りのままの姿で求め合うこと。



二人が幸せになるように。



彼の願いが、籠められていた。

















最後までお付き合いくださり、

心より深く感謝致しますm(__)m


この物語を乗せるタイミングが、なかなか無くて・・・・・・

クリスマス企画にしよう!と思い立った所存です(*^-^*)


少しでもほっこりして頂けたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  面白いです! 最後の2人のシーン、愛と責務の狭間で揺れる心情、特に好きでございます。
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