第4話 締結のキス
僕とアイナは魔法陣の中央に到着すると、向かい合って座った。
僕の目の前にはどこにでもあるごく普通のナイフが一本と、水が入った銀色の盃が用意されていた。
同様にアイナの目の前にもナイフと盃が用意されていて、一人一セットということだろう。
ふとアイナの方を見ると、説教を受けた後だからか膨れっ面で僕を睨みつけていた。
「言っておくけど先に憎まれ口を叩いてきたのはそっちなんだからな」
僕がそう言うと、アイナはこれでもかっていう程膨れっ面をさらに膨れさせた。
そして、はぁーっとため息を溢した後、説教を受けて少し頭が冷えたのか意外にも謝罪してきた。
「……悪かったわよ。というかあんたわかってんの? おばあちゃんは軽く言ってたけど、この儀式は精霊にとっても人間にとってもすごく重要な事なのよ?」
「わかってるよ。正直お前に命預けるのはかなり不安だけど、断ろうにもばあちゃんがかなり説得してきたろ」
そう。僕とアイナは説教の後にどうしても不安を拭いきれなかったため、ばあちゃんに儀式の中止を直談判していた。
だが、ばあちゃんは「今後の為にこれは避けて通れないんだよ。頼むから騙されたと思って言う通りにしておくれ」と言って、僕らの直談判を受け入れてはくれなかった。
「それにばあちゃんがあんな風に頭を下げるなんて初めてだったんだ。普段は口うるさいばあちゃんだけど、僕はばあちゃんを悲しませたくはないからな」
「……わかったわよ。でも、その、本当にあたしでいいの……?」
「ん? なんだよそれ。お前しかいないだろ」
「……っ!? そ、そう……あたししかいないんだ……」
アイナはそう言って顔を赤らめ俯きながらボソッと言った。
僕はアイナが何て言ったか聞こえなかったが、アイナは続けて何かを決意したように、急に立ち上がり僕にこう言った。
「いいわ! あたしがあんたのパートナーになってあげる! 感謝しなさい!!」
(ほんとこいつはいつも偉そうだな……)
そんな事を思っていると、魔法陣の外側から早く準備を進めろと急かす声が聞こえてきた。
「おい、わかったから早く準備するぞ! ちんたらしてるとまたげんこつが飛んでくる」
「そ、そうね……」
そしてアイナは座り直し、僕らは説教の後にばあちゃんから教わった、儀式の流れに沿って準備を始めた。
とは言っても複雑な事は特になく、用意されていたナイフで指先を軽く切り、流れてきた血を唇に塗り、さらに水の入った盃に数滴垂らす。
そしてばあちゃんに合図を送って誓約式魔法の儀の詠唱を始めてもらう。
《この恵まれし地に生きとし生ける精霊達よ……アイティ・エパルグの名のもとに命ず。血を棒げし彼の者らの誓約を見届け、永遠の祝福を。》
そうばあちゃんが呪文を唱えると、辺りに立ち込めていた霧が渦を巻くように晴れていき、僕らの周りに次々と精霊たちが現れ始めた。
そして、盃の中の水が上昇気流の様にはるか上空へと立ち昇り、僕とアイナの水が交わっていくのが見えた。
全ての水が交わりきったところで、水は一度大きな塊となりそして爆散し水滴となって、辺り一帯に雨のように降り注いだ。
水滴の一滴一滴が太陽の光によってキラキラと輝き、まるで宝石の雨が降っているかのようだった。
「ちょっと! あたしの条件を言うわよ!」
ばあちゃんの繰り出した魔法に目を奪われていた僕にアイナは呼びかけた。
僕は慌てて返事をし、アイナの声に耳を傾けた。
「あたしからの条件は三つよ。日の光をしっかり浴びること! どんなことがあってもあたしを守ること! そして一日三食あたしにちゃんと食べさせること!」
思わずぽかんとした顔になってしまった。
僕は日頃のアイナを鑑みて、相当無茶な条件を提示してくると思っていたからだ。
傲慢さの裏に見え隠れする愛くるしい優しさは、実にアイナらしいなと実感させてくれた。
僕はそんな条件内容に思わず吹き出した。
「ぷっ! あははは! なんだよそれ!」
「う、うるさいわね! ……で、どうするの? 同意するの!?」
「もちろん同意するよ!」
僕はアイナにそう告げると、アイナは少し照れ臭そうにニコっと微笑んだ。
そして、最後の仕上げに僕らはお互いの左手の甲にキスをした。
その直後唇に塗られた血が左手の甲に移り、甲の上で踊るように円を描いて魔紋へと変化した。
「それが締結の魔紋よ。これからあんたはあたしの条件を順守しないと、その魔紋があんたの心臓を止めようとしてくるからね。あんたが死んだらあたしも死ぬんだからちゃんと順守しなさいよ!」
「わかってるよ。それにお前を守ることが条件に入ってるんだから否が応でも順守することになるだろ」
そう言いながら僕は魔紋が描かれた左手を空にかざして眺めた。
よく見ると赤い血の色をしていた魔紋が白色に変化していた。
「なんか色変わってない?」
「それは精霊の属性によって色が違うの。火属性だとオレンジ色、水属性だと水色って感じね。だから属性を持つ精霊としかこの儀式はできないの」
「へぇー。そういえばアイナの属性ってなんなの?」
「あんたそんな事も知らないで契約したの!? あたしは光よ! 光!」
「ふーん」
そう言って僕は空にかざした左手をまた眺めた。
そして左手から空に焦点を合わせると、もうすでに雨は止んでいた。
かざした左手を下ろし辺りを見渡してみると、さっきの宝石の雨が周りの木々を輝かせ、精霊たちも心なしか踊っているかのようにふわふわと僕たちの周りを囲んでいた。
空には虹がかかり、まるでそれら全てが僕らを祝福しているようだった。
それから僕らはいつもの修行を開始した。
アイナと契約した僕は、契約のメリットの事もあってやっと魔法が使える事に嬉々として修行に取り組んだ。
しかし、現実はそう甘くない。
魔法が使える喜びに浸る時間は一瞬で消えた。
僕が発動したい魔法のイメージとアイナが僕に発動させようとする魔法のイメージが全くもって噛み合っていない。
だから、僕が意図しない魔法が発動してしまっているといった状況だ。
「だから違うって言ってんだろ!!」
「何よ!! あんたの魔法のイメージなんか知るわけないでしょ!?」
そんな僕らを見てばあちゃんも呆れて頭を抱えてしまっている。
それもそうだ。
僕らはかれこれ儀式の後からずっとこの調子だ。
もうすぐ日が暮れそうになっている。
「いいかい、クリム。契約をする前も契約をした後も大事なことは精霊との信頼関係なんだよ。お互いがお互いに歩み寄らなければ、一生そのままだよ」
(そんな事言われても……)
結局ばあちゃんの助言もむなしく、思うように魔法を扱えずその日の修行は終わった。
――――
「べリウス様、準備が整いました」
赤い綺麗なロングヘアーを右肩に流し、キリっとした目をした女性団員がべリウスへそう告げた。
帝国式敬礼である右手の握り拳を左胸に当て直立しているその姿は、べリウスだけではなく他の団員たちの目にも凛々しく見えた。
辺りにはべリウスを先頭に三百程の騎馬隊が隊列を組み待機していた。
団員達は皆武装しており、これから戦場に赴くかの如く静かに且つ燃える闘志を胸に秘めながら出陣の指示が出るの待っていた。
「ジーナ君ご苦労様。退路は既に断っているね?」
「ええ。抜かりなく。しかし三百程度の兵で問題ないのでしょうか……?」
ジーナと呼ばれたその女性団員が、兵の少なさを案じてべリウスに言った。
「ああ。問題ないよ。昨日立ち寄った際に、いろいろと見て回ったけれど三百もあれば十分事足りるよ」
「しかし――」
「それ以上は、やめておきなさい。君の身が危ないよ」
「し、失礼致しました!」
そう言ってジーナはその場から引き下がり、自分の隊列へと戻るため駆けていった。
その光景はべリウスがいかに畏怖を集めているかが見て取れた。
しかし、部下の進言を一蹴するのではなく、しっかり受け止めるその姿勢は、畏怖だけではなく部下からの信頼も厚い事がわかる。
その信頼とカリスマ性こそが、べリウスがこのライリー帝国直属のマリウロス騎士団の団長へと選抜された所以だ。
また、その知略の高さからライリー帝国の参謀をも務める人物でもある。
そんなべリウスが放った”問題ない”の一言は、誰に言われるよりも安堵する言葉だろう。
そして、べリウスは右手を挙げた。
その瞬間辺りは、静まり返り、団員たちは指示を聞き逃さぬようべリウスの声を待ち、目線はべリウスの右手を見据えていた。
べリウスは両目を閉じ、一度深呼吸をした後、両目を見開きそれと同時に右手も前方へと下ろされた。
そして、一言「出陣!」と叫び、全団員に向け出陣命令を出した。
それに答えるかのように、団員たちは「おおーー!!!」と雄たけびを上げながら隊列は前進し始めた。
べリウスが下ろした右手が指した先と双眸が見据えるその先はとある場所へと集中していた。
そしてべリウスはニヤリと不敵な笑みを浮かべながら誰に聞かせるわけでもなく静かにこう言った。
「第二次魔女狩り……執行だ……」