第1話 森の村
小さな村だ。
いや、村とは言っても都市部から離れたところに、民家がまとまっているようなそんな村ではない。
森の中にポツンと存在していて一見ただの小屋だと見紛うような見た目をした家に僕らは暮らしている。
僕らが住むこの森の中にはそういった小屋が点在していた。
その小屋にはやはり暮らしている人がいて、ごく普通に生活をしている。
そして、その森ならではなのか、一応コミュニティーも存在しており、点在している小屋に暮らす人々の繋がりを僕らは”村”と呼んでいる。
村に名前はなく、ただ村と呼ぶとこの森の中に点在する小屋がある一帯の事なのだと、僕らは無意識のうちに理解している。
「ばあちゃん、スーリア草ここに置いとくよ」
僕は、背中に背負っていた籠を玄関先に下ろしながら言った。
籠の中にはまだ朝露で湿っているスーリア草でいっぱいになっている。
スーリア草はすり潰して風魔法と一緒に練りこむと、膝の痛みによく効く塗り薬になる。
僕らが住むこの森の中には、こういった薬草が豊富で、よく摘みに出掛ける。
薬草だけではなく、花や動物たちも多く、自然に恵まれた環境だ。
今日も朝からスーリア草を摘みに行くようばあちゃんに頼まれていた。
「あいよ。じゃあ次は、パヒカナ草を籠いっぱいに摘んできておくれ」
「えぇー!? 今帰ってきたばっかなのに! ちょっと休憩させてくれよ!」
「バカ言ってんじゃないよ! 今日の予約は夕方までビッシリなんだから休んでる暇なんかないよ!」
そう言って僕の頭にげんこつを食らわせてきた。
ばあちゃんは村では有名な魔法使いだ。
特にばあちゃんの作る魔法薬はかなり効能が優れていて、よく効くと評判だ。
ばあちゃんはいわゆる魔法薬剤師で、この自宅を店舗として薬屋を営んでいる。
そして、僕の育ての親であり、魔法の師匠でもある。
お店が暇な時間だったり、お店を閉めた後だったり、さらには休日も魔法の修行をさせられる。
それもかなりスパルタだ。
過酷な修行に何回気絶させられたか、もはや数えきれない程となっている。
ある程度魔法が使えるようになってからは、お店の手伝いもさせられ、もう僕に安息の日はなかった。
(きっと今日もお店を閉めた後、魔法の修行をさせられるんだ……)
そんな事を思いながら、僕はため息交じりに、「いってきまーす」とだけ一言残し、また別の籠を背負い家を後にした。
(えーと……パヒカナ草、パヒカナ草……)
僕はばあちゃんに頼まれたパヒカナ草を求めて、山を少し下った湖の近くに来ていた。
パヒカナ草は綺麗な水辺にしか生えない薬草だ。
綺麗な水辺と言えばこの森ではこの湖以外に無く、飲み水としてこの湖に度々水汲みに来ることがある。
ただ、そこまでわかってはいてもパヒカナ草は他の植物とは違い、成長しても三センチ程度の葉しか生やさない。
そのため、普段通りに立って周りを見渡すだけでは見つけにくい。
だからこうして、中腰でよく目を凝らしながら探していくといった作業になる。
「籠いっぱいに摘んできてくれって、何時間かかるんだよ……腰に効く薬も後で作ってもらおう」
そうブツブツと独り言を呟きながら、パヒカナ草を探していると、背後から声を掛けられた。
「君、この辺の住民かい?」
僕は中腰のまま声のした方へ顔を上げると、そこには銀色の鎧を身に纏い、腰には剣を携え、ヘルメットを脇に抱えた一人の男性がいた。
この辺りで銀色の鎧姿で出歩く人間と言えば、帝国騎士しかいない。
「は、はい! アイティ・クリムと申します!」
僕はすぐさま帝国騎士に向き直し、片膝をついて顔を伏せた。
帝国騎士については、ばあちゃんからよく聞かされていた。
帝国騎士に会ったときは、無礼の無いように接しなければ殺されると。
なんとも穏やかではないが、そのときのばあちゃんはかなり険しい顔で言ってきたため、これだけはしっかり守らないといけないと、僕も子供なりに理解した。
それと同時に帝国騎士に対して、少しばかり憧れもあった。
昔、ばあちゃんに読んでもらった絵本の中で、騎士と言えば英雄として描かれていたからだ。
僕も将来帝国騎士になりたくて、絵本が読み終わった後、
「ぼく、おとなになったら、きしになってばあちゃんのことまもる!」
そうばあちゃんに伝えると、ばあちゃんは一瞬どこか悲しげな表情をして、「うん。ありがとうね」と一言だけ言った。
そのとき一瞬見せた悲しげな表情の真意はわからないけど、ありがとうと言ってくれた事に、その時の僕はすごく嬉しかった事を覚えている。
「子どもがそんなに畏まらなくて大丈夫だよ」
そう言われて僕は恐る恐る顔を上げると、帝国騎士が僕に向かってニコッと微笑みかけてくれた。
僕の緊張は少しだけほぐれ、やっぱり騎士はかっこいいなと思った。
「クリム君。エパルグさんという方はご存じかな?」
僕はその騎士からばあちゃんの名前が出たことに驚いた。
ばあちゃんは魔法薬剤師として有名なのは知っていたが、まさか帝国騎士にまでばあちゃんの名前が知られている程有名だとは予想外だった。
そこまで思った後、ばあちゃんがさっき言っていた事を思い出した。
(そういえば、今日は夕方まで予約がいっぱいだって言ってたな……この帝国騎士もお客さんなのか)
「あ、お客さんでしたか。エパルグは僕のおばあちゃんです。この道を登っていけばお店に着きますよ」
僕は、下ってきた道を指さしながら言った。
「あーいや、客ってわけではないんだ。聡明な魔法使いがこの辺りにいるって聞いてね。少し気になって来てみただけなんだ」
「そうだったんですか」
「ここは空気が澄んでて気持ちいいね」
帝国騎士は二回程深呼吸した後、湖の方を眺めながら独り言のように言った。
「この森は自然豊かで、薬草も豊富なんですよ。精霊たちもいつも元気に遊んでますよ」
「へえー。精霊が」
精霊はこういう自然豊かな場所に生息していて、この森の中ではどこにでもいる存在だ。
少年少女のような見た目をしていたり、小人のような見た目だったり、はたまたシャボン玉のようにふわふわと浮いている光の玉だったり、姿かたちは精霊によって様々だ。
かくいう僕の家にも少女の見た目をした精霊が一人住んでいる。
この村では各家庭に一人は精霊がいてもおかしくない程、精霊は僕らの生活に溶け込んでいる。
なのに、今日は精霊の姿も見えず、声も聞こえないこの状況に違和感を覚えた。
(そういえば、今日は精霊たち見てないな……)
「それでは私はこれにて失礼するよ。まだ、任務中でね」
そう言うと帝国騎士は、背中のマントを翻し、都市部に向かい山を下りて行った。
帝国騎士の背を眺め見えなくなるまで見送った後、僕は再びパヒカナ草を摘む作業に戻ろうと中腰になった瞬間、また背後から声を掛けられた。
というよりも乱暴に言葉を投げつけられた感じだった。
「あんた、バカじゃないの!? なに、帝国の騎士なんかと仲良く喋ってんのよ!」
聞き覚えのある声だった。
今度は振り返らずともわかる。
声だけで姿かたちが想起出来るほどに馴染み深い声だった。
「なんだよ、いきなり……」
僕は、落胆した感情を含みつつ言葉を返し、今度は片膝はつく必要もないため、直立し声のする方へ向き直した。
そこには、やはり見慣れた姿があった。
少女の姿で黒く長い髪を靡かせる彼女は、精霊のアイナティットだ。
アイナは三年前から僕らの家で一緒に暮らしている。
「いい!? 帝国はあたしたち精霊の敵なの! だから他の精霊の子たちも隠れていたの! だから帝国の奴らとは仲良くしたらダメ! わかった!?」
「はいはい……わかったよ」
そう言いながら僕は、中断していたパヒカナ草探しを再開した。
まったくうるさい精霊だ。
アイナはその可愛らしい見た目とは裏腹に言葉遣いが荒々しく、上から目線で話しをする。
まるで小さいばあちゃんだ。
「それよりお前もパヒカナ草を摘むの手伝ってくれよ。まだ一つも摘めてないし、この分じゃ帰れないよ。またばあちゃんに叱られる……」
「嫌よ。それはあんたの仕事でしょ? あたしはこれから、他の精霊の子たちと遊びに出掛ける予定があるの」
「……そうかよ。夕飯までには帰って来いよ」
そう言ってアイナと別れた後、僕はパヒカナ草を探し続けた。
結局籠いっぱいに摘むことは叶わず、帰宅したときには日が暮れていた。
予約してくれていたお客さんに薬の調合が遅れた事を謝罪した後、雀の涙程のパヒカナ草で何とかやり過ごした。
もちろん、その後ばあちゃんにこっぴどく叱られた。