1.勝負
聴覚に呼び出しの鐘の音――。
廊下を歩く佐伯涼介は視界の端に浮かんだウィンドウ群へ意識を移した。その一つが自己主張の橙色に踊っている。視点を移して凝視すると、問題のウィンドウがポップ・アップ。呼び出しの主は中城明美。
「明美か――出る」
音声入力で通話回線を開く。
『はァい、今どこ?』
天使を思わせる笑顔が視界に映った。本人そっくりだが映像はアヴァターだと涼介には判る。第一、背景に景色がない。
「『今どこ?』って気楽な話かよ」
涼介の口元が苦く歪む。
『あら、』
明美が心底意外げに、
『テニス部の部長くらい朝飯前だ~って言ってなかったっけ?』
「わ~か~っ~て~ん~ぞ~ォ、」
応じる涼介に低い声。
「どうせまた妙なヤツに言い寄られたとかぬかすんだよな?」
『なら、』
視覚の明美がむしろ嬉しそうに小首を傾げた。
『話は早……』
「否定しろよ!」
涼介の突っ込みが明美の語尾をぶった切る。
『だ~って、』
明美が唇を尖らせる。
『しつこいんだもの!』
「多すぎんだよ、隙が!」
今度は涼介、潜めた声が尖る。
「そもそも自覚あんのかよ?」
『え~?』
不服を絵に描いたような明美の顔。
『だって応募したの私じゃないもん』
「ノリノリだったじゃねェか!」
涼介がライブラリィから引き出して記録画像、通話回線にそれが乗る。
「クィーン獲っといて言う科白かよ、それが!」
つい先週――高校の学園祭。ミス・コンテストでトロフィを受け取る明美の姿。
『焚き付けといて言うことそれ?』
「いつ誰が焚き付けたよ!?」
『ああもう、ここじゃ大声出すわけにも行かないからそっち行くわ』
明美が周囲へ眼を配る。
『今部室?』
「今向かってる」
『……じゃそこ廊下!?』
「そうだよ!」
『信じらんない!』
潜めた声で明美が両の眉をひそめる。
『廊下でそんな大声!?』
「……誰のせいだ、誰の!?」
言われると、さすがに涼介も周囲の視線に意識を向ける。その声が心なしか気まずげに、
「そっちこそ廊下じゃないのかよ!?」
『音楽室へ逃げてきたとこ。教室なんかでぼんやりしてたら集中砲火のいい的よ』
「馬鹿か!」
思わず涼介が突っ込みを飛ばす。
「放課後の音楽室で一人っきりなんつったら……!」
『あ、誰か来た!』
「ほら見ろ、」
頭を抱える涼介に苦い声。
「言わんこっちゃない!」
『え、男子。こっち来る!』
明美の声が焦りを帯びる。
『ちょっとちょっと待って、何よそのマジな顔!?』
「待ってろ!」
涼介は足先を変えて音楽室へ。
「今行く!」
「ちょい待った!」
涼介が息せき切って音楽室のドアを開けた。
「……誰だか、知んないけど、早まるな!」
「邪魔するつもりか?」
男子学生が明美の前から振り向いた。涼介も顔は覚えている――文学部長。
「邪魔とか、そんなんじゃ、なくて!」
涼介が息を整えながら、
「……そいつはな!」
『言っちゃ駄目――ッ!』
明美の声が跳ね上がる。
「何まだそんなこと……」
涼介の声を圧して明美が叫ぶ。
『駄目――ッ! だからそれ言っちゃ駄目だってば――ッ!』
「無視とはまた失礼な」
文学部長の声が尖る。
「勝負するのか?」
「またかよ……」
顔面、涼介が覆って掌。
「勘弁してくれ……」
「邪魔するなら勝負しろ!」
文学部長が声を上げる。
「その気がないなら引っ込んでろ! さあ今決めろ、どっちにする!?」
「け~っきょくこうなるわけですか」
うんざり顔で涼介がぼやく。向かい合う文学部長はどう控えめに見てもやる気充分。自信のほどが滲むどころか溢れ返ってもはや始末のつけようがない。
「頑張ってね~」
言うだけの明美はただ気楽――かと思いきや、空中で忙しく指を動かし眼を踊らせて何やら作業に勤しんでいる。
「はいっと、準備完了! 覚悟はいい?」
「誰に言ってんだか……」
呆れ半分の涼介。
「いつでも来い!」
やる気満々の文学部長。
「じゃ、カウント開始! 3、2、1、スタート!」
「電脳戦!?」
夕日に浮かび上がる音楽室、裏返ったのは文学部長の声だった。
「そんな中城さん、こんなヤツの肩を持つんですか!?」
「えー……、」
入り口のドアを明けたままで涼介が頬を掻く。
「筒抜けなんですけど……」
「勝負ってことは、」
当の明美はと言えば、指先一つを顎へ添えるなり小首を傾げて言ってのけたものだった。
「種目は私が決めるのが筋ってものでしょ?」
「それはそうですが……」
文学部長が唇を噛む。
「……解りました。僕があなたを自由にしてみせる!」
「……俺、おとぎ話の魔女か何か?」
置いてきぼりの涼介に苦笑い。
「じゃ決まり」
明美は押し切るように宣してのけた。
「障壁は3層! 私の携帯端末、奥の秘密を先に覗いた方が勝ちよ!」
「楽勝だって」
涼介が明美の携帯端末へアクセス。暗号キィは伏せられているが、涼介がそれを意に介する気配はない。
「何の負けるか!」
第一の障壁を前に文学部長が気合いを入れる。
「駄~目だって強引に押し入っちゃ」
涼介が明美の好みから暗号キィを連想入力。
「こっちには奥の手が!」
文学部長が声をたぎらせる。瞳に勝利への確信をみなぎらせ、
「――必殺! 少女小説データベース!」
暗号キィも何もない、正面きっての物量戦。少女小説の定番単語を力に任せて押し込みにかかる。
「こんなこともあろうかと、端末は最新型に替えておいた!」
文学部長が笑みに白い歯を覗かせる。
「この僕が乙女心も知らずに来るとでも思ったか!」
「だ~か~ら、」
反して涼介は白け気味。
「これだから勘違い野郎は……」
言う端から文学部長が第1障壁を突破した。
「は!?」
涼介の声がすっぽ抜ける。
「おいおいぶりっ子の時代じゃねェぞ!」
「あ、しっつれいね~」
明美が返してジト眼を投げる。
わずかに遅れて涼介が手を変えた。明美の“趣味”、コンテスト応募時の公開プロフィールから単語を類推、引き当てたのは――『お花畑でつかまえて』。
「好きにはさせん!」
文学部長が張って妨害障壁。明美の端末のアクセス権、その一部なりと先に握った利を活かして侵入経路へ迷路を仕掛ける。
「うっわ、」
涼介が眉をしかめる。
「えげつねェことしやがって」
「相手も知らずに僕が勝負を挑むと思ったか!?」
文学部長に余裕の笑み。
「じゃ、手を変えようか」
涼介が矛先を変える。
「遅い!」
勝ち誇って文学部長。拳を大きく振りかぶり、
「――必殺! 洋菓子レシピ・データベース!」
「……よーもまー、」
むしろ呆れて涼介の声。
「だからあれがオトメゴコロってタマかよ……」
「ひっど~い!」
明美がむくれる。その間にも文学部長は第2障壁を突破した。
「残るは1つ!」
早くも勝ち誇る文学部長。
「おいおいおい、」
涼介の頬が苦く引きつる。
「どこまで猫かぶってる気だ?」
「吠え面かくなよ!」
文学部長の声に高揚。遂にはガッツ・ポーズさえ決めて、
「――必殺! 花言葉データベース!」
「その前にさ、」
涼介が鼻息一つ、
「手前の心配しような」
途端、接続が途絶えた。
「何だと!?」
文学部長が目を瞠る。
「ネットワークが落ちました~」
棒読みで告げて涼介。
「貴様、もしかして!」
文学部長がいきり立つ。
「これじゃ~勝負になりませんな~」
わざとらしく涼介が肩をすくめる。
「この卑怯者!」
文学部長は湯気でも上げんばかりに、
「貴様、負けそうになったからといって!」
「いやいや吠え面は、」
涼介は涼しい顔で、
「ネットワーク復旧してからかいて下さいって」
「神聖な勝負を投げ出す気か貴様!」
「勝者はこいつの秘密を覗いた方、ってことでしょ?」
余裕を見せた涼介が明美へ歩み寄ると、耳元で囁いて一言。明美の頬に咲いて朱、頷き一つ、
「うん、合ってる」
「何だとォ!?」
文学部長が顔色を失った。
「貴様、いつの間に!?」
「そっちの端末越しに侵入しただけ。まァ解りやすかったこと」
振り返った涼介が文学部長にピース・サイン。
「ヤラセだ! 出来レースだ!」
文学部長の表情が憤怒に歪む。
「第一貴様も貴様だ! クィーンの指定だからって電脳戦など!」
「はいはい、」
涼介はいきり立つ文学部長の背を押して、
「遺恨は残さずってのが勝負ごとのお約束ってやつでしょ~」
音楽室出口のドアを開ける。
「はい、さよなら~」
正論を衝かれて消沈しかかった文学部長が去り際に言い捨てた。
「この卑怯者の電脳部長!」