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生者と死者に祝福を  作者: もこもっこ
第二章  転変
31/36

第9話 「Day of the dead ⑨」

やや長めです。







 




 どうしてこうなった、と太めの体を夏服である半袖の白ワイシャツとグレーのズボンに押し込んだ、丸顔の上に黒縁眼鏡を乗せた生徒――瀬戸健太せとけんた悔恨かいこんの念にかられた叫びを胸の内で上げていた。

 成すすべもなく棒立ちの状態となっている健太であったが、そんな彼が居る場所は音楽室の中であった。

 その音楽室内でまさに今、健太は理不尽な現実に直面するき目にい、只々うろたえるばかりの状態に陥っていた。


「――いいからゴチャゴチャ言ってねえで、さっさとその銃をこっちに渡せってんだよ。それとも一発ぶん殴られなきゃ分かんねえか、キモデブ。ああ?」


「け、けど、これは……」


「瀬戸、ぶっちゃけお前がその銃を持っていても皆は不安になるだけだし、いざって時にちゃんと動けるとも思えない。けどその点、須賀すがは違う。お前と違って喧嘩は強いし度胸も半端じゃないから、銃があればきっと皆の為に戦ってくれるはずだ。そうなると、どうしなきゃいけないかは自ずと分かるだろう? 空気を読めって」


「…………」


 苛立ちをあらわにした三白眼で健太を睨みつけながら不良ヤンキーよろしくドスの利いた巻き舌を飛ばすのは、須賀彰吾すがしょうごという名の、敏捷びんしょうさと強靭きょうじんさを兼ね備えた中肉中背のからだに危険な雰囲気を漂わせる男子生徒であった。

 そして言いよどむ健太に向けて諭すような口ぶりで話すのは、端正かつ愛嬌のある面立ちに加え、サッカー部のエースに相応しい引き締まった柔軟な肉体を有する青年――篠倉海斗しのくらかいとだった。

 畳み掛ける二人を前に閉口へいこうした健太は救いを求めて視線をさ迷わせるも、それは無駄な行為でしかなかった。


 この音楽室という場所で、健太に味方する人間などは皆無だった。

 それこそ悲劇のヒロインとして己の助けを待っている筈であった、人目を引く美貌と思春期ならではの魅力あふれる色気と抜群のプロポーションを誇る女子生徒――柏木菜月かしわぎなつきすらも、艶やかなロングの黒髪の毛先を指先に絡ませながら冷め切った眼差しを健太に向けるだけで、終始無言を貫いていた。

 また、今この場所に居る健太、須賀、海斗、菜月と同じ二年E組に在籍するスレンダーな体躯たいくに薄茶色のショートヘアと美麗な目鼻立ちが際立つ少女――新見彩花にいみあやかにあっては、幼馴染である海斗の方ばかりを気にして健太の事などまるで眼中にない有様であった。


(何で柏木さんを助けに来た僕が、こんな目にわなきゃならないんだよ……!)


 悔しさといきどおりに急き立てられる健太の頭脳に、今さっき起こった出来事の記憶がフラッシュバックした。

 事の発端は本日の昼頃、東京都練馬区朝日町にある健太の通う東京都立光台高等学校に銃で武装したテロリストグループが突如来襲し、多数の生徒や教師などを人質に取って立てこもるという事件が発生したのだった。

 日本の犯罪史上、類を見ないこの凶悪かつ重大な事件はテロリスト・人質共に大勢の犠牲者を生むこととなったが、その中で、主犯グループの一味がいかがわしい行為を目的として柏木菜月を教室から音楽室へと拉致するという暴挙が行われたのである。


 他方、諸々の事情から仲間割れの末に殺害されたテロリストが所持する、実包が装填されている自動小銃アサルトライフル――AK47とその予備弾倉(マガジン)を入手した健太は、囚われの身となった菜月を救出する為の行動を起こす。

 その動機こそ、スクールカーストの最下位に位置する健太が、最上位に君臨する菜月を危難から救うことで得られる多大な利益・・と、周囲に波及する強い影響力に他ならなかった。

 つまりは、いつも見下されいじめを受けている自分がヒロインに相応しい人気絶大の女子を華麗に救い出すことで、クラスメイトらの鼻を明かすと同時に不当な境遇からの脱却を、健太は目論んだのであった。


 そんな妄想じみた決意を胸に抱きつつ健太は、沢山の死傷者が床に転がる紛争地帯さながらの危険に満ちた廊下を進み、音楽室を目指したのだった。

 音楽室へ向かう途中、怖々と歩を進める健太が廊下の壁に背を預けて座る同じクラスの女子生徒――佐々木希(ささきのぞみ)を発見する。

 その時、健太は己と共に音楽室へ赴くことを希に対し提案するが、彼女は足首に重い怪我を負い足手まといになると申し立て同行を辞退したのだった。

 そこで健太は希を一旦その場に残し、音楽室の安全を確認してから再び助けに戻ることを約束する。一方、彼女はその約束を快く了承し、ぎこちない笑みを浮かべつつも健太の帰りを待つ道を選んだのであった。


 結論を述べると、音楽室までの道のりは順調といえたのだが、皮肉にも問題は目的地へ無事たどり着いた瞬間に勃発した。

 その問題とは、健太より先んじて音楽室へ到着していた先客らの存在であった。

 もちろん先客とは柏木菜月以外の者のことであり、それは篠倉海斗や新見彩花、更に健太が最も苦手とする人物の須賀彰吾だった。

 菜月を省いた他の三名が一緒に音楽室までやってきたのか、それとも別々に動いたのかは健太には判別できなかったが、少なくとも彼らの存在が自身にとって良い影響をもたらさない事だけは、出会った時点でどうしようもなく確信してしまった。

 音楽室に先着していた海斗と須賀の二人が様子をうかがいに廊下へ出ていたところ、偶然のタイミングで健太が現れたのであった。


 そこから先は、雲行きの怪しい方へとなし崩しに話が進んでいった。

 会話もそこそこに、健太を強引に音楽室へと引っ張り込んだ海斗と須賀は、とても友好的とは言い難い態度にて質問攻めを中で行ったのである。

 状況に流されるまま音楽室へと足を踏み入れた健太であったが、そこでようやく菜月との再会を果たす。だが菜月は危険をかえりみず助けに来た健太に対し、感謝や賛辞、そしてねぎらいの言葉を掛けるどころか一言も発せずに、ただ冷ややかな眼差しを投げるのみであった。

 当初の目的を果たすどころか、想定していた以上の最悪な状況に直面する羽目はめになった健太はすっかり気持ちがえてしまっていたが、それでもどうにか気力を振り絞って海斗や須賀との会話を続けていた。


 それは全て、菜月を始めとする場の全員に自分という存在の重要性をちゃんと認識してもらいたいという、健太の願望があった故であった。

 だがそんな願いなど、結局は無意味であり無駄だった。

 何と彼らは、健太が現時点で知り得ている情報を根掘り葉掘り聞いた後に、お前が持っているその銃を寄越せ、と言い出したのである。

 今までは鬱々とした感情を心の底で募らせながらも、愛想笑いを無理やり顔面に張り付けて協力的な態度を取り続けてきた健太であったが、流石に銃を渡せという要求に関しては素直に応じる訳にはいかなかった。


(……ていうか、篠倉が既に銃を持っているんだから、わざわざ僕の銃を須賀の奴に渡さなくていいだろ? 大体、どうしても須賀に銃が必要だったら、偉そうなことを言ってないで篠倉が自分の持っている銃をあいつに貸せば済む話じゃないか。まあ、こんな状況だし篠倉も自分の銃を手放したくないってのが本音なんだろうけどさ。それにしても――)


 思考を記憶から引き戻しつつ、健太は視線をさっと室内へと配らせた。

 音楽室の中には、菜月・彩花・海斗・須賀の四名の他に部外者の一名が血溜まりの床に転がっていた。

 一見して絶命していることが明らかなフェイスマスクを被ったその部外者こそ、学校を武装占拠した犯人グループの一味であり、菜月を教室から連れ出した張本人でもあった。


(このフェイスマスクの犯人を殺したのって、どう考えてもあのヤバい雰囲気を全身から漂わせていた長身の男の人の仕業だよな……。銃で武装した犯人を殺すなんて芸当、素手の篠倉や須賀の奴じゃいくら喧嘩が強くたって絶対無理な訳だし、柏木さんはもちろん論外。となると、消去法であの男の人が仲間のフェイスマスクを殺害したのは確実だ)


 健太の脳裡に一瞬、底冷えのする眼光と抜き身の刃の如き殺伐たる気配を総身に宿した長身の男の記憶が再生された。

 共だって菜月を教室から連れ出した後、フェイスマスクの犯人を音楽室で殺し、更に教室へと戻って来るや否や仲間であるはずの他のフェイスマスクの犯人らを容赦なく銃で排除した謎の男。

 男に何の目的があって仲間を裏切ったのか健太には皆目見当もつかなかったが、ともかく篠倉海斗が手に入れた銃――AK47については、音楽室の中で死んでいたフェイスマスクの男から奪取した物であろう事に疑問を挟む余地はなかった。


「おいデブ、てめぇ人が話をしている時によそ見なんかしてんじゃねえよ。お前、もしかして俺のこと舐めてんのか? クソ豚が銃なんざぶら下げて、何をしようってんだよ。あんま調子こいてんとブチ殺すぞ、ああ!?」


 怒気を相貌にみなぎらせた須賀が、口をもごもごさせ未だ態度をはっきりさせない健太の方へと、掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。

 健太の意識は、須賀の怒声によって瞬時に孤立無援の現実へと引き戻された。


「須賀、やめろって。なあ瀬戸、お前が俺達に教えてくれた通り、今は緊急事態なんだ。このまま音楽室ここに閉じこもって警察の助けを待っていても正直、俺は駄目だと思う。だから積極的に動く為にも、お前の銃が俺達に必要だってことは理解できるよな」


 海斗が距離を詰めようとする須賀の前に体を割り込ませつつ、顔を引きつらせて身を固くする健太に対して一方的な要求を述べた。

 常日頃から怒りの沸点が低い須賀と比べれば、海斗の性格や語調は遥かに温和であり柔和でもあったが、詰まるところ健太の銃を取り上げようとしている点では同じ穴のむじなに違いなかった。

 そんなあまりにも理不尽な申し入れに対し、とうとう我慢できずに健太が反論の声を絞り出すのだった。


「じゅ、銃に関しての知識や扱いなら多分、篠倉君や須賀君よりも僕の方が詳しいと思う。だからこの銃は、僕が持っていた方がきっと皆の役に立つと――」


「悪いが運動音痴のお前じゃ、もし戦いになったとき足手まといになるだけだ。そりゃ銃の事なんて俺らは全然詳しくないけど、それでも俺はサッカーで、須賀の方はボクシングで体を鍛えている分、万が一相手と殺し合いになった場合でもそれなりに動ける自信はある。何よりも瀬戸、お前は皆を守る為に人を殺せる覚悟はあるのか?」


 健太の言葉を遮り、海斗がいきり立つ須賀を手で制しながら真剣な眼差しで問いを発した。


「そ、それは……」


「俺はある。柏木や彩花を守る為なら、テロリストだろうが何だろうが俺達の害になる奴は誰だって殺す。……あんな思いをするのは、二度とごめんだからな。須賀だってきっとそうさ、だろ?」


「へっ、当たり前だ。邪魔する奴は容赦しねえ」


 言いよどむ健太の前で海斗が険しい表情で悲愴な決意を述べた後、次いで話を振られた須賀があざけるように口端を持ち上げ自信たっぷりな声音で言った。

 そんな二人の態度を目の当たりにして健太は、英雄ヒーローになりたいと渇望する一方で、誰かを守る為や己の信念を貫き通す為に他者を傷付ける覚悟が足りてない事を自覚せざるを得なかった。

 かといって、クラスの中でたった一人自らの危険をかえりみず菜月を犯人から守ろうとした海斗の方はともかく、須賀の方にあっては返事に深刻さや重みといったものが全く感じられなかったことから、健太はやはり自分の銃を譲り渡す気にはなれなかった。


 ふとその瞬間、健太の脳に鋭刃たる存在感をかもす謎めいた長身の男の姿が、再び横切った。

 あの男は悪者で、健太にとって脅威以外の何者でないのは疑いようがなかった。

 教室での仲間殺しや、逃げた人質が殺到する廊下での苛烈極まる銃撃戦を目撃した健太は、男の危険性を十分過ぎるほど理解していた。

 だがそれでも、あの冷徹で冷酷で冷静な長身の男ならば、こんな時だって一切ブレずに徹頭徹尾、周りの余計な声に惑わされることなく己の道を突き進むだろうと健太は思った。


 ――それこそ、英雄ヒーローではなく反英雄アンチヒーローとして憧憬どうけいの念すら抱いてしまう程の傍若無人ぼうじゃくぶじんな力強さで。


 その時、刹那の間に現状から意識をらしていた健太の耳朶じだに人声が触れた。

 はっとした健太が慌てて視線を動かし、声主の姿を探し求める。


「瀬戸くん、危険を承知で私を助けに音楽室まで来てくれた事は凄く感謝しているわ。でも海斗・・の言う通り、万が一を考えてその銃は貴方が持つより須賀くんが持っていた方が、色々な面で効率的だと私は思うの。皆で無事に学校から脱出する為にも、ここは協力し合わなくちゃ。ね?」


「か、柏木さん……」


 今まで黙したまま冷たい目線を投げるだけであった柏木菜月が、出入口扉からやや離れた場所に居る健太や海斗らの方へと静かに歩み寄りながら、説得の言葉を発したのだった。

 そして艶のある唇を笑みに形作りこちらへと近づく菜月の姿を見た健太が、驚愕に歪めた顔で愕然がくぜんと彼女の名を口にする。

 他方、不意に湧いた菜月の声を耳に拾った海斗は、後ろに首を巡らせて健太と同じく彼女の名を呼んだ。


「柏木」


「もう海斗・・ってば、そうじゃないでしょ? 私のことは“菜月”と呼ぶってさっき約束してくれたじゃない。もう私達の仲は只のクラスメイトって訳じゃないんだから、変な遠慮は駄目よ。それに、新見さんのことは呼び捨てで私は違うなんて不公平だわ」


「いや、違うんだ。別に深い意味はなくて、ただ彩花の場合は小さい頃からの顔見知りだからつい癖で……ああ、ごめん。俺が悪かったよ菜月・・


「ふふ、素直でよろしい」


 艶美えんびな微笑を口元にたたえた菜月が海斗の前に立つと、甘えるような上目遣いと声音で二人だけの会話を展開し始めた。

 そんな中、まるっきり蚊帳かやの外に置かれてしまった健太は何となく動かした視線の先に、呆れ顔の須賀と気色ばむ彩花の姿をそれぞれ捉えた。

 健太の胸裏きょうりに焦燥、不安、後悔、疑問といった感情の波が次々と押し寄せ、荒れ狂うように渦を巻いていた。


 焦燥――こんな所で愚図愚図している暇はなかった。怪我ゆえに動けず廊下へ置き去りにしてきた、健太が戻ってくるのを一人待っている佐々木希の下へ、一刻も早くおもむかねばならない事。

 不安と後悔――不穏な空気が流れる目の前の者達に、協力し合うという概念があるとは到底思えなかった。また所詮、健太は脇役モブでしかなく、菜月ヒロイン海斗ヒーローの間に入り込む余地などは最初はなっから絶無であった事。

 そして疑問――海斗が菜月を助ける為に音楽室を訪れたことに関しては、全く不自然ではなかった。だが、幼なじみであり普段から海斗と親しげな彩花はともかくとして、須賀がこの場に居合わすという点がやはり解せなかった事。


(多分、篠倉と新見さんは一緒に音楽室へ来たんだろうな。でも須賀の奴はそもそもどうしてここに居るんだ? 普段から見てて篠倉と須賀の二人は別に友達って感じじゃないし、やっぱりちょっとこの場に居るのは妙な感じがする。たまたま、偶然? それとも実は柏木さんのことが好きで救いに来た、とか? うーん、にしてはちょっと……)


 音楽室に集う顔ぶれの関係性について思惟しいする健太であったが、しかしそれは無造作に距離を詰めてきた須賀に胸倉を掴まれたことで中断を余儀なくされた。

 いきなりの事態に目を白黒させる健太を両腕で引き寄せた須賀は、息がかかる程に顔を近づけながら犬歯を剥き出しにして恫喝どうかつの言葉を吐き出した。


「てめぇはよ、さっきからよそ見ばっかしやがって随分余裕じゃねえか、おぉコラ! 分かってんのか、キモデブ。誰もお前に期待なんかしちゃいねえんだよ。だから今すぐその銃を俺に寄越せ。それとも、てめえの顔面に一発ぶち込まれなきゃ素直に渡せねえってんなら、喜んでやってやんよクソ豚! ああっ!?」


「だ、だけど、でも……ぼ、僕にはどうしてもこの銃が必要なんだ。さ、佐々木さんも怪我で動けないし、廊下でもし何かあったら……」


「は? だったらそれこそお前が銃を持ってても意味ねーだろ。大体、何かあったところでトロい上に人を撃つ覚悟もないキモオタじゃ、戦うどころかただブチ殺されて終わりだろうが。それとも何か? てめえは俺に銃が扱えねえと思ってるから舐め腐って言う事を聞かねえのか? え、どうなんだよ、おいっ!!」


「ち、違うよ……」


 切れ長で一重(まぶた)の鋭利な目つきにてガンを飛ばす須賀が、健太を締め上げながら巻き舌でまくし立てる。

 それに対し健太は、汗混じりのふくよかな頬肉をプルプルと震わせて苦しげな否定の声を絞り出すのが精一杯の有様だった。

 反論は出来なかった。元々、菜月を自らの手で救出するという目的で音楽室まで来た筈が、海斗に先を越されてしまった上に、あまつさえ当のヒロインが己を必要としていないのだから、ここに健太の居場所など無かった。


 故に、健太が頭に描いていた当初の計画……自分が囚われの美少女を救い英雄ヒーローとなる願望は、悪いテロリストを無双し華々しい活躍をするという妄想は木端微塵こっぱみじんに打ち砕かれ、またそれに伴い銃を所持する意味も意義も失われてしまった。

 筋肉質の両腕で胸倉を掴み凄味を利かせる須賀が怖かったのもあるが、しかしそれ以上に菜月と海斗のイチャつきっぷりを直接目にした今、健太の奮起する気力と心は完膚なきまで打ちのめされてしまい、もはや反論の言葉すらも虚しく空回りするばかりだった。

 それに加え、健太にとっては実に業腹ごうはらなことではあったが、確かに須賀の指摘通り、佐々木希を助けるだけなら銃など不必要であった。ましてや人を撃つ覚悟に乏しい健太では尚更といえた。


(もし犯人のテロリストと出会っても、馬鹿みたいに交戦的な須賀と、ヒーロー気取りの俺主人公だぜ的な篠倉がきっと率先して戦うだろうから、人に銃を向ける度胸もない僕に銃は必要ないよな。……結局いつもこうだ。もう、どうだっていいよ……)


 諦念が、深甚しんじんな徒労感が健太の精神をむしばみ、全てを投げやりな思考へと転換させた。

 僅かに視線を動かし他の者達の動向をうかがうも、海斗に菜月、彩花の三人にあっては健太と須賀のやり取りを興味なさげにただ黙って見ているだけだった。

 健太は惨めさと情けなさで涙腺が緩みそうになるのを何とか堪え、至近距離に顔を近づけている須賀に向かって、肩に掛けた負い紐(スリング)付きのAK47を差し出すように持ち上げると言った。


「わ、分かったよ。銃を渡すから、手を離して……」


 青ざめた相貌で引きつった愛想笑いを浮かべた健太が、か細い声で銃を渡す旨を申し伝えると、須賀は口角を吊り上げて「それでいいんだよ、デブ」と吐き捨てた後、ようやく掴んでいたワイシャツの胸元から手を離してAK47を受け取った。

 こうして、英雄ヒーローを夢見てなけなしの勇気を振り絞りヒロインである菜月を救うべく音楽室へおもむいた健太であったが、理不尽で非情な現実の下、願望を果たすどころか悪夢のような最悪の形で“力”の象徴たる銃を失ったのだった。

 その原因たる者達こそ、健太の優しさや人としての尊厳を、無自覚な悪意で踏みにじるクラスメイト達に他ならなかった…………。



「さあ、そろそろ行こう。菜月、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫よ。海斗が私のこと守ってくれるって信じてるから」

「ああ、もちろんさ。何があっても君は俺が守る。どこの誰だろうが、汚い手で菜月のからだに触れようとする奴は絶対許さない。安心して俺に任せてくれ」

「海斗……凄く嬉しい。でもそんなカッコいい台詞を私に決めちゃって良いのかしら? こう見えても私、独占欲はかなり強い方よ? まして、好きな人なら尚更ね」

「別に構わないさ。だって俺は前から菜月のことが……」


 ロイヤルミルクティーばりの甘ったるい雰囲気を作り出す海斗と菜月の会話が、ラブソングを奏でる楽器のように音楽室の中を流れた。

 すると、柳眉を逆立てた彩花が自分の幼なじみと、やたら熱烈なアプローチを海斗に仕掛ける菜月へと大股でずんずん近づき、突き刺さるような刺々(とげとげ)しい眼差しと険しい声音でまくし立て始めた。


「ちょっと海斗、さっきからやけに柏木さんと親しげな様子だけど、あたしのことは放置なわけ? それに柏木さんも、今まで海斗のことなんか全然見向きもしなかったくせに、ここにきて随分急な心変わりよね。何? ひょっとして、命懸けであなたを助けようとする海斗の姿に感激して惚れちゃったとか? いいえ、そんなの絶対あり得ない。悪いけど海斗は騙せても、あたしの目は誤魔化せないわよ」


「騙す? いきなり割り込んできてその言いぐさは、ちょっと酷くない? それに、いくら新見さんが海斗と幼なじみの間柄だからって、人の恋愛事情に土足で踏み込むような真似はそれこそあり得ないと思うけど。大体、以前から海斗のことはちょっと良いなって思っていたし、危ない目に遭ってまで私を守ろうとする彼の姿に好きな感情が芽生えたとして、それの一体何がおかしいの? 変な嫉妬心を剥き出しにして言いがかりをつけるのは止めてよね。不愉快だわ」


 気心が知れた幼友達の乱入によりまごつく海斗を差し置き、白い面差しに微かな苛立ちの色を浮かべた菜月が挑戦的な目つきで彩花を見据え、冷ややかな反論をぶつける。

 そんな菜月のふてぶてしい態度を目にした彩花は、表情をより一層険しくさせた後、続けて激憤に駆られた言辞を相手に向かって吐き捨てるのだった。


「はっ! 何が言いがかりよ、白々しい。本当は好きでもないくせ好きなフリして、海斗を都合よく利用しようと考えているあんたの方がよっぽど腹黒で不快だわ。海斗の幼なじみとして、そんなの絶対あたしが許さな――」


 その時、突如腹に響く爆発音が彩花の語尾を断ち切った。

 驚愕を顔に張り付けた海斗、菜月、彩花の三人の視線が音の発生源へと向けられた。

 視線の先で、嬉々とした声と狼狽うろたえた声が同時に湧いた。


「おぉ、すっげえ! 本物はガチで迫力が違えな。マジ最高っ!」

「あ、危ないから、むやみやたらに銃を撃っちゃ駄目だよ。もし誰かに弾が当たったりでもしたら、大変な事になっちゃうから」

「あぁ? んなことてめえに言われねえでも分かってんだよ、クソデブ。なに偉そうに指図してんだ、あ? くだらねえこと抜かしている暇があったら、さっさとそのクソだせぇバッグを渡せや。予備の弾が入ってんだろ?」

「う、うん。いま渡すよ……」


 後先考えずに自動小銃アサルトライフルのAK47で試し撃ちを行う須賀に対し、健太が遠慮がちな注意を促すも、素直に聞き入れるどころか逆に怒気を含んだ言葉で威嚇される始末であった。

 しかも須賀は、健太から銃を受け取る際に抜け目なく所持していたスクールバッグについても詰問を行い、バッグの中に四本の予備弾倉が入っていることを知り得たのだった。

 須賀の粗暴で無思慮な物言いに健太は辟易へきえきしながらも、かといってその感情を表に出せば、間違いなく相手がキレて暴力に訴えてくるのは明白であった。

 故に健太は出来るだけ須賀を刺激しないよう、無理やり引きつった笑顔を浮かべて肩掛けしていたスクールバッグを外し、素直に要求に従った。


「須賀、あんた音楽室の壁に穴を開けてなに喜んでんのよ、馬っ鹿じゃないの!? 子供のオモチャじゃないんだから、少しは慎重に物事を考えて行動しなさいよっ。もしその銃で私達を怪我でもさせたら、犯人だけじゃなくあんたも警察に捕まるんだからね!」


「お、おう、悪ぃ。まあその何だ、いざって時に使えなきゃヤベぇからよ。動作確認の意味でついだよ、つい。俺が、あや……新見のことを傷付けるような馬鹿な真似をするわきゃねえだろ。な?」


「ふん、どうだか。すぐキレるあんたが銃を持つなんて、あたしは不安で仕方ないわ。とはいえ、非常事態だからしょうがないんだろうけど……」


 まなじりの切れ上がった鋭い眼差しで須賀を睨みつけた彩花が、つかつかと勢いよく浅はかな男子生徒の前へ歩み寄り、次いで激しい口調で非難の言葉を叩きつけた。

 その様子を見ていた健太は思わず、彩花に怒鳴られてブチ切れた須賀が彼女に対して横暴な振る舞いを行うのではないかと危惧きぐするも、結果的にそれが杞憂きゆうに終わったことで意外の光景を見た気がした。

 そこで健太は、溜め息交じりで懸念を口にする彩花の言葉に便乗するような形で、須賀に注意喚起しようと口を開いた。


「あ、あの須賀君。分かっていると思うけどそのAKは今セミオートの状態で、セレクターレバーを一番上に動かさない限り安全装置が掛からないような仕組みになっているから、普段は指を引き金から離しておかないとあ――ぶぇっ!」


 危ないと言おうとした健太の言葉は、不意に顔面へ飛んできた拳によって濁ったうめき声へと強制転換させられた。

 殴打の衝撃で黒縁眼鏡は顔から外れて床へと落ち、熱を持った鼻孔からは血が流れ出て肌や白ワイシャツを赤く汚した。

 僅かに遅れた思考で須賀に横っ面をぶん殴られたと脳が認識した時には、痛みそのものより心理的なショックの大きさが身体に影響を及ぼし、健太は腰砕けの状態でへなへなと両膝を床につくのだった。


「てめえ、なに調子くれて俺に説教垂れてんだ、あ? クソ豚がぐだぐだとオタ知識を披露してご満悦かってんだよ、舐めてんじゃねえぞコラァッ!!」


 須賀の罵倒の声が頭上から降ってくる。

 垂れ流れる鼻血を手で押さえた健太は涙でにじむ視界にて、AK47の銃床バッドストックを地面につき、更に銃身部分を左手で鷲掴みにした状態で、自分を見下ろすように仁王立ちする須賀の姿を捉えた。

 須賀が放ったのはフック気味の右の拳であり、それが健太の左頬に打ち込まれたのであったが、しかし殴られた当人にその事実を知る余裕など皆無だった。


「ちょ、ちょっとあんた、いきなりなに暴力振るってんのよ! 彼、怪我しちゃったじゃないっ」


「あー、はいはい、わかったわかった。……おい、篠倉ぁ、こんな場所でいつまでも愚図愚図してねえで、さっさと行こうぜ」


「……ああ、確かにそうだな。菜月、行こう。彩花も遅れるなよ」


「分かったわ、海斗。あ、でも、心配なら新見さんはここに残って、怪我している瀬戸くんのお世話をしていた方がいいんじゃないかしら?」


 突然の暴力沙汰を目の当たりにした彩花が狼狽ろうばいした声を上げるも、だが須賀を始め、海斗と菜月の三人は怪我を負った健太に全く関心を抱くことなく音楽室の出入口の方へと向かう。

 一方、彩花にあっても心配げな面持ちで健太を見やっていたがそれもほんの一瞬だけで、無言のまますぐに目線を外すと、小走りで海斗らの後を追うのだった。

 間を置かず、健太以外の四人の背中が廊下へと続く音楽室の出入口扉に消えた。


 健太が床に落ちた自分の眼鏡を拾う。

 手の震えが止まらなかった。

 涙が止まらなかった。

 制御不能な感情の奔流が心を千々に乱した。


 健太の慟哭どうこくが、血臭が漂う音楽室の中にこだました――――















大変遅れました。いつもながらお待たせして申し訳ございません。

後、当初の予定とは大幅に異なり、今回で終わらせることが出来ませんでした(泣)

それもこれも自分の未熟さが原因でございます(´;ω;`)

なので、次こそ本当のホントに健太くん編(?)は終わりです。

次話は番外編最終話と、いよいよ黒幕さんご登場です。お楽しみに!^^ノ

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