第7話 「Day of the dead ⑦」
長いです。
そして毎度のことながら、長文となったので分割しました。
二年E組の前方、教壇側の引き戸を静かに開け放った後、獰猛な野生動物を想起させる、徹底的に無駄を省いた鋼の肉体を長身に宿した男が、ゆっくりと教室内へ足を踏み入れた。
間もなく三十歳を迎える彫深い容貌の持ち主であるその男は『ファング』という暗号名で呼ばれており、それはとある“組織”から与えられたものであった。
だがそれも、自身が所属する“組織”――『研修所』から抜け出してしまえば執行者としての暗号名など、それこそ無用の長物に違いない、とファングは視線の先に立つ標的を捉えながら刹那に思考を走らせていた。
標的は二名であった。
そしてその二名の標的は、新左翼党派に属す暴力革命に傾倒する活動家であり、また東京都立光台高等学校で生徒や教員などを人質に取って立てこもり日本政府に要求を突き付けている、武装集団“革命軍”のリーダーである飛田泰章の部下だった。
そんな素顔をフェイスマスクで隠し、自動小銃のAK47で武装する犯人グループの二人の男を前にして、ファングは内に殺意を秘したまま開けた引き戸を後ろ手で静かに閉めた後、泰然と歩を進める。
フェイスマスクを被った男達は、右手に把持した消音器付きの自動式拳銃H&K Mk23 ソーコムピストルを背中に隠して歩くファングの姿に何ら不信感を抱く様子はなかった。
下劣な欲望に目を眩ませている二人のフェイスマスクは、これまで巧妙に仲間を演じ続けてきたファングの思惑など全く気付くことなく、教壇脇の黒板前で肩を寄せ合いながら締まりのない顔で突っ立っていた。
一方、教室に監禁されている人質の生徒達にあっては、一体この次は何が起きるのかと、ファングの一挙手一投足を緊張の面持ちで食い入るように見詰めていた。
衆目に晒されつつも、フェイスマスクの男らが並び立つ場所にファングが近づく。その歩調は決して速いものではなかったが、隙は皆無であった。
悪人を処断する“正義”の執行者として、幼少期より過酷な訓練を経てきたファングは高度な殺人技法と共に、感情の制御も完璧にこなす術をも心得ていた。
故に、標的を前にして尚、微塵の殺気を発露させぬファングに対し、フェイスマスクの男らが一切の警戒心を持たずに話し掛けるのも当然の流れといえた。
「よお、あいつは?」
「……ああ、今ごろ奴は女と死ぬほど楽しんでいるだろう」
フェイスマスクの片割れがにやにやと唇を捻じ曲げながら訊き、それにファングが無表情で答える。
その質問は、人質の女子生徒に対して黒い欲望を滾らせ、卑猥な行為に及ぼうと音楽室の方へ移動したもう一人の仲間のことを尋ねたものであったが、既に彼はファングの手で命を絶たれ物言わぬ死体と化していた。
平然と嘘をつくファングであったが、しかし己の性欲が先行するフェイスマスクの男らはそれを全く疑う素振りを見せずに視線を動かすと、女を物色する会話をし始めるのだった。
「なあ、お前はどの女にするかもう決めているのか?」
「おお、そりゃもちろんさ。俺はさっきの生意気なクソガキを止めようとしていたショートヘアの女に決めている。何せ顔や体つきが俺好みの上に、その女をあのガキの目の前で犯せば最高に楽しめそうだからな」
「へっ、寝取りってやつかよ。まったくいい趣味してやがるぜ。――なあ、アンタもそう思うよな…………って、は?」
傍らに立つファングへ話の水を向けるフェイスマスクの男であったが、しかしそれは眼前に突き付けられた金属製の筒――消音器がいきなり出現したことで思考に空白が生じ、酷く間の抜けた声を上げる結果となった。
仲間である筈の男が銃を自分達に向けている、という理解不能な状況に陥った二人のフェイスマスクは、火急の事態であるにも関わらず咄嗟の反撃はおろか身じろぎひとつ取れぬまま、ただ呆けた表情で目の前の光景を見詰めるのみだった。
そこから先は、まさに一瞬の出来事であった。
ファングの右手の中にある、消音器をねじ込んだ45口径ソーコムピストルが振動すると同時に、教室内に圧縮空気が漏れる音が響いた。
刹那、銃口から発射された45ACP弾がフェイスマスクの男の眼底を貫き、脳を破壊した。
至近距離で顔面に高威力の弾丸を叩き込まれたフェイスマスクの男が、もんどり打って倒れる。
その時点で、ようやく仲間が撃たれたことを認識したもう一人のフェイスマスクが激しく動揺しつつも、突如敵と化したファングを射殺すべく、手にしたAK47を構えようと動く。
が、しかしそれよりもファングの動作の方が早かった。
フェイスマスクの男が射撃体勢を整えるより先に、ファングは両手で保持した拳銃を相手へ向けると、照準を胸部に合わせた状態で引き金を二回続けざまひいて、二発の弾丸を男に撃ち込んだ。
確実な致命傷を敵に与える為のダブル・タップという射法によって、連続二発の45ACP弾を胸に受けたフェイスマスクの男は、眼球がこぼれ落ちそうになるぐらいに両瞼をかっと見開き、のけぞるような姿勢で勢いよく床に倒れた。
市販のミリタリーベストを着込んだフェイスマスクの男の胸は真っ赤に染まり、飛散した血は、床だけでなく周囲に着席している生徒の衣類や机にまで付着した。
何の容赦も躊躇もなく、瞬く間にファングは二人の敵を排除し終えた。
無論、強力な弾丸で頭部に風穴を開けられた男と、心臓近くの部位に二発くらい体組織を吹き飛ばされたもう一人の男は、床にくずおれた時点で既に息絶えていた。
床に転がったまま微動だにしない二人のフェイスマスクを見下ろすファングの双眼には、一切の感情を排した絶対零度のきらめきが冷たく光っていた。
そして、事の一部始終を目撃してしまった二年E組の生徒達は、先ほど自分達の担任教師がテロリストの手によって処刑された光景をも凌駕する、あまりにも衝撃的かつ理解不能な状況に頭が真っ白になり、誰もが唖然とした顔で固まっていた。
全ての音が遠ざかり、異様なほどの重苦しい沈黙が教室を支配していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
息苦しい静寂が教室内を満たす中、使用された拳銃から漂う硝煙の臭いとむっとするほどの血生臭さによって、度の強い黒縁眼鏡を掛けた肥満体型の生徒――瀬戸健太は額に浮かび上がる冷汗と共に、こみ上げてくる吐き気を必死に堪えねばならなかった。
不自然なまでに静まり返った空間に響く音は、銃から弾き飛ばされた空薬莢が床へ落下した際に生ずる甲高い金属音と、席でじっと息をひそめているクラスメイト達が生唾を飲み下す微かな音ばかりであった。
(な、何なんだよ一体……!?)
今しがた起こった出来事に、健太は口の中が乾いていくのを感じつつも、混乱する頭で懸命に状況を把握しようと努めていた。
先ほど、クラスのアイドル的存在である女子生徒――柏木菜月を無理やり教室から連れ出した二人の武装犯人の内、黒地の戦闘服に身を包んだ長身の男が一人だけ戻るや否や、仲間である筈の二名のフェイスマスクを撃ち殺すというあまりにも信じ難い光景が展開されたのである。
そのせいでこの場に居る誰もが放心状態の中にあったのだが、健太の場合は、それを含め更に別な心配が胸中に渦巻いていた。
(柏木さん大丈夫かな。今の感じだと、あの男の人と出て行ったフェイスマスクの犯人も生きている可能性は低そうだけど、彼女もまさか一緒に始末されちゃったんじゃ……。くそっ、僕にもう少し勇気があれば彼女を救えたかもしれないのに……!)
健太にとって、学校を武装占拠したテロリスト達がクラスの女子生徒(美少女に限る)に対して卑猥な行為に走る事態など、全くもって想定の範囲内であるだけに、何の行動も起こせなかったことが悔しくて仕方がなかった。
それこそ、健太が好むラノベやアニメの物語に登場する主人公のように、どこまでも力強く、例えどんな逆境の中であろうとも不屈の闘志を貫く存在になりたかった。
とはいえ頭の片隅では、何の特殊な才能を有さない己など、非情な現実の前では脇役でしかないことも、健太は諦めの感情と共に自覚していた。
(けど、あのとき柏木さんを助けようと声を上げたのは、篠倉の奴しかいなかったんだよな、結局。悔しいけどあの時、僕は何も出来なかった……)
菜月が犯人に連れて行かれる直前、クラスの中で唯一犯人に歯向かった男子生徒が、サッカー部のエースを張る篠倉海斗であった。
無鉄砲な性格や、性別・学年に関係なく人望の有る海斗の方が己などより、よっぽど主人公らしいなと思いつつ、健太が目線を僅かに動かした丁度その時、たった今二人の仲間を無慈悲に射殺した長身の男が、おもむろに把持する拳銃の消音器を銃口から取り外している姿を視界に捉えたのだった。
(何で今、消音器をわざわざ外すのかな?)
そんな疑念を抱きながら、健太が目線を戻して対象となる犯人の動きを凝視する。
すると相手の男は次いで、右脚に装着しているレッグホルスター及び左脚のマガジンポーチに拳銃と外した消音器をそれぞれ仕舞った後、その場にしゃがみ込んで所有者を失った自動小銃のAK47を一挺、床から拾い上げたのだった。
その不穏な行動に健太やクラスの生徒達はぎょっとした顔になるが、対して当事者である長身の男の方は、ごく自然な動作でAK47を軽くチェックした後、よく通る低い声でこともなげに言い放った。
「全員、今すぐ教室から出ろ」
それは、決して怒鳴る訳でも脅迫する訳でもなかったが、有無を言わせない語調であった。
しかしその言葉はあまりに突飛かつ予想外なものであった為、健太を含めた生徒全員が状況を呑み込むことが出来ずに、口をあんぐりと開けて固まってしまうのだった。
一方、厳めしい雰囲気を身に纏う犯人の男は、放心する生徒らの様子など全くお構いなしで言葉を継いだ。
「小僧、お前が気に掛けていた女は無傷だ。助ける気があるなら音楽室に行けばいい」
その場でAK47の銃床を肩付けにし、銃口をカーテンが閉じられている窓ガラスの方に向けた男が、表情を一切動かさずに告げる。
小僧とは、先ほど柏木菜月が連れて行かれる際に反抗の態度を示した篠倉海斗のことであり、男は海斗の方に背を向けたまま言葉を放ったのだった。
他方、突然の助言めいた呼び掛けに困惑の表情を浮かべる海斗であったが、男の口からそれ以上何かが語られることはなかった。
男が発する低い声音は途切れ、緊張を孕んだ暫しの沈黙が室内に充満する。
その時、窓際から少し離れた場所で、外側の窓上方に向けてアサルトライフルを構える男の姿に目が釘付けとなっていた健太は悪い予感を覚え、額に大量の冷汗を浮かばせていた。
そして次の瞬間、誰もが身動ぎ一つ取れぬ状況下において、健太の予感は現実のものとなった。
凄まじい破裂音が空間を蹂躙し、その場に居る全ての者の鼓膜を圧迫した。
フルオートでばら撒かれたAK47の7.62ミリ弾がカーテンごと窓ガラスを粉々に砕き、天井に数々の穴を穿つ。
弾丸によって粉砕されたガラスや天井材の破片が、窓際やその付近に座る生徒達の頭上へと降り注ぎ、教室内には悲鳴と破砕からなる不協和音がこだました。
AK47の銃身の先端に閃く発火炎と共に、途切れることなく排莢口から空薬莢が排出され、席上で必死に身をすくませ頭を抱える生徒らの足下に転がっていく。
そして数十発の弾丸を無造作に消費した後、ぴたりと銃撃を止めた男が、重く短い命令の言葉を喉から圧し出した。
「出ろ」
狭い空間内に轟いた銃声の影響で、生徒達は酷い耳鳴りに苦しめられていたが、男の発した一言は只の音とは別格の威圧感が伴われていた。
故に刻み込まれる、鼓膜でなく直に脳へと。
次の瞬間、二年E組に在籍する生徒らはまるで肉食獣に追い立てられる草食獣のような俊敏さで席を立ち上がり、絶叫を口腔からほとばしらせながら我先にと出口へ雪崩れ込んでいく。
席や椅子を蹴倒し、他人を押しのけて教室から脱出を図った生徒の集団が廊下へと出たタイミングで、他の教室などに詰めていた犯人グループのフェイスマスクを被った者達も、異常事態を受けて廊下に飛び出てきた。
廊下で生徒達と鉢合わせした犯人のフェイスマスクらが、怒号を発して集団の逃亡を阻止しようと試みるも、極度の錯乱状態の中でタガを外した生徒らの足を止めることなど、もはや不可能であった。
言葉での制止は無理とすぐに決断を下したフェイスマスクの犯人らが、実力行使……つまり銃を使って生徒達の逃走を封じようと動き始めたまさにその時、世界は突然闇に包まれた。
これまで校内を煌々と照らしていた蛍光灯の明かりが、突如全て落とされるという事態に、フェイスマスクを被った男達が慌てた様子で周囲を窺うも、直後、暗闇の中から銃声と共に飛来した高速弾が彼らの頭、首、胴を真正面から貫き命を奪っていく。
いきなり暗黒の世界に叩き落されたことで悲鳴を上げながら右往左往する学生らであったが、しかしその群衆に紛れて冷静沈着に標的を仕留める死神の如き存在がいた。
その死神の名こそ、新型短機関銃であるMP7の機関上部に乗せたナイトビジョン及びドットサイトを用いて狙撃した、ファングという暗号名を持つ人物に他ならなかった。
暗がりの廊下に一瞬浮かび上がる発火炎と轟く銃撃音が、より混乱に拍車を掛ける。廊下に出ていた武装テログループの犯人らが次々とファングの狙撃で斃れていく中で、ついに二年E組だけでなく同様に人質となっていたFとG組の生徒達も、混乱に乗じて教室を脱し廊下へ殺到するのだった。
光を失い暗闇に閉ざされた二年E組の教室内で、一人逃げ遅れた瀬戸健太は手に自分のスクールバッグを持ちながら地面へと這いつくばり、伏せた状態で前進を続け『ある物』を探していた。
健太が欲する『ある物』とは二つであり、その一つは自分のスマートフォン、そしてもう一つは死んだテロリストが持っていた武器――アサルトライフルのAK47であった。
教室の外の廊下からは、激しい銃撃戦の音に加えて耳を塞ぎたくなるほどの絶叫が湧き起こっていた。
(教室から出て行ったあの長身の男が仕掛けたんだろうけど、あんな人が密集している廊下で撃ち合いを始めるなんて、いくら何でも滅茶苦茶すぎだろ。それにあの悲鳴、間違いなく流れ弾を食らった生徒のものだよな。テロリスト同士の銃撃戦に巻き込まれて死ぬなんて絶対嫌だ……!)
冷汗に塗れた全身をぎこちなく動かす健太の心中は、そんな叫び声で埋め尽くされていた。
先ほど出し抜けに仲間を射殺した長身の男が、生徒を強制的に教室から追い出す為の手段として行った威嚇射撃のせいで、教室最後列の窓際に座る健太はしばらくの間ショック状態に陥ってしまい、席を立って逃げ出すことが出来なかった。
結局、クラスメイトが全員逃げ出し、教室にポツンと一人取り残されてしまった健太であったが、今廊下で起こっている惨劇に鑑みると、かえって迂闊に動かぬ方が正解であったことを否が応でも実感していた。
皆が必死で逃げる中において、怯えたまま席から一向に動こうとしない健太を長身の男が冷ややかな眼差しでチラリと一瞥するも、すぐに興味なさげに視線を外すと、無言で教室から脱出する生徒達の後を追ったのだった。
(にしても、この停電は警察がやったのかな? そうなると、いよいよSATとかの特殊部隊が、犯人制圧のために学校に乗り込んで来るって訳だよね。……だとしたら、僕も愚図愚図していられないよ。夜目も少しは利いてきたことだし、急がなきゃ)
そんな覚悟と共に、暗がりの中ようやく目的地に到達した健太の目前に現れたのは、胸に二発の弾丸が命中し、生命活動を絶たれたテロリストの亡骸だった。
そして、地面に横たわっているその死体付近には、リノリウムの床上に面積を広げている血だまりと、放置された負い紐付きのAK47が確認できた。
酷く生々しい銃殺体を目視して恐怖にすくみ上がった健太は、へっぴり腰となりつつも死体の衣服や周囲に飛散した血に触れないよう、震え続ける手を慎重に伸ばした。
右肩に負い紐が引っ掛かった状態のAK47を死体から奪った後、更に着装しているミリタリーベストの各マガジンポーチに入っていた予備弾倉を四つ抜き取り、それらをまとめて持っているスクールバッグの中へと突っ込む。
「重っ……」
サバイバルゲーム用の電動ガンとは違う、実弾が込められた本物の殺傷力を有する自動小銃を生まれて初めて手にした健太は、木と鉄で構成された四キロ弱の冷たいその重さを直に感じ、思わず呟き声を漏らしてしまう。
また、あらかじめ教科書などの勉強道具を全部抜いたスクールバッグの中に仕舞った、四本のバナナ型と呼ばれる7.62×39ミリ口径の三〇連弾倉の存在が、余計に重さを助長していた。
その時、長身の男が乱射後に投げ捨てていった、頭を撃ち抜かれ死亡したもう一人のテロリストが所持するAK47並びに予備弾倉の存在が健太の脳裡をよぎるも、これ以上荷物を増やすと身動きが取れなくなりそうだったので回収を打ち切った。
(銃はもう有るからいいとして、スペアマガジンは万が一に備えて出来ればもっと欲しいなぁ。……けど、意外に重量があるし持ち運びも大変そうだから、やっぱ止めた方が無難かな。そもそも、警察の人が助けに来てくれるなら武器は必要ない訳だし、てかむしろ、逆に銃なんか持っていたらテロリストと間違えられて撃たれちゃうかも……)
そんな怯えと危惧の念が心の内にわだかまるも、だがすぐにある決意がそれら負の感情を払拭し、健太に次の行動を促した。
以前インターネットで見た情報をもとに、健太は地面に片膝をついた姿勢でAK47の右側機関部の後方にあるセレクターレバーが単発の位置になっているのと、用心金の前方にあるマガジンキャッチを押して弾倉を一旦外し、弾丸がちゃんと入っているかどうかを確認する。
続いて外した弾倉を銃に戻した後、右側機関部の前方にあるコッキングハンドルを引いて弾倉内の実包を本体に装填した。すると、排莢口から未使用の弾薬が飛び出して床の上へと落ちた。
(やっぱり薬室に弾が入っていたんだ。ネットで見たうろ覚えの知識だったけれど、銃の扱いに関しては割といけそうだぞ、これ。FPSゲームは得意だし、僕だってきっとやれる筈だ。後は取られた自分のスマホを回収して、さっさと教室を出なきゃ……!)
床に転がるAK47の未使用弾を拾った健太は、それをズボンのポケットに収めつつ決意をより一層強めると、今度は姿勢を低く保ちながら教壇側の方への移動を開始した。
目指す先である教壇の天板には、教室が占拠された際、犯人によって取り上げられたクラス全員分の携帯電話が、まとめて放り込まれている手提げバッグが置かれているのだった。
「……今度こそ僕が助ける。待ってて柏木さん」
小さな呟きを口にする健太は、その太めの体型と冴えない容貌が相まって、いつもクラスメイト達から“キモオタ”や“クサデブ”などと馬鹿にされ、友人と呼べる人間が誰一人もいない、いわゆる『ぼっち』という存在であった。
そして『ぼっち』であるが故に、健太はヒーローになりたかった。それこそ警察に頼ることなく今の危機を自力で解決できれば、運動や勉強が並みかそれ以下である己を見下し蔑んできた連中も、必ず見る目を変える筈だと健太は信じていた。
だからこそ健太は、悲劇のヒロインとなった学年一の美少女である柏木菜月を、篠倉海斗ではなく己の手で救出しなければならないと思っていた。
寂しさを紛らわす為の代替行為として、健太は日常の大半を妄想に費やしていた。
そしてその妄想の中での健太は、常に万能かつあらゆる敵を駆逐する無双の存在であった。
だが現実はその真逆であり、健太は自分が無力でひ弱な只の凡人であることを嫌でも認めざるを得なかった。……これまでは。
(この銃があれば、僕だってヒーローになれるんだ)
どんな屈強な男でさえ、弾丸が当たれば死ぬという現実。
また、どんな弱者であれ、引き金をひくだけで簡単に強者を殺せるという事実。
そしてそれを成す銃という“力”を手に入れた健太が、逆境の中でヒロインを救うという偉業を成し遂げるということで、独りよがりの妄想で構成された物語は現実という名の殻を打ち破り、己の渇望する希望に満ちた未来へと昇華する筈であった。
教室の外から届く止むことのない絶叫と銃声、そして建造物の破壊音。
それら音の濁流を鼓膜に収めながら、健太は多大な緊張や恐怖の内側に眠る、ほんの微かに湧き起こる高揚感を胸に秘め、目の前にある教壇の天板に置かれた手提げバッグから自分のスマートフォンを探す為、小刻みに震動する手を伸ばすのだった――
――同刻、光台高校の校舎内、四階に続く東側階段の踊り場付近。
校舎棟の裏側に建造されている体育館棟方向から学校内へと強行突入した警視庁警備部第六機動隊第七中隊……つまり特殊急襲部隊であるSATであったが、三階から四階へと続く東側階段の半ばから全く先に進めない状況に陥っていた。
一班を五人とする合計三班で編成されたSAT第三小隊の突入チームは、現場付近の建物屋上などから監視並びに脅威を排除する役目を負った狙撃班の支援を受け、一階から進入を図った後、各フロアに潜む武装犯を掃討しながら上階へと進んでいった。
その際、犯人グループのかく乱を狙い、警察側から電力会社に対し学校の送電を停止するよう依頼し意図的な停電を起こさせたのだが、その効果は良くも悪くも予想以上のものとなっていた。
何よりSATが突入する直前、五階の二年E組において発生した銃の乱射は、まさしく一刻の猶予も許されない最悪の情勢を示していた。
無論その時点で、SATとは別に校舎正面側で不測の事態に備える緊急行動部隊(ERT)として配置された、刑事部特殊捜査班のSIT 及び警備部第七機動隊銃器対策レンジャー部隊の両者も、校内へと踏み込んでいた。
「S301から本部、至急学校の電力を復活させてくれ! これ以上の犠牲は容認できん! ――クソッ、アルファ2、あのでたらめに撃ちまくっている野郎をどうにかしろ!」
バリスティック・ヘルメットに暗視装置を装着したSATの強襲班を率いる小隊長の結城和真警部補が、その精悍な顔立ちを鬼気迫る形相に歪めつつ、アーマーベストの胸上に留めた個人通信用無線機のプレス・トーク・ボタンを押し、喉元の骨伝導マイクを通して前線本部へと怒鳴り声を上げる。
また更に結城小隊長は、己が率いるアルファ1と共に行動するアルファ2の指揮官に対して、脅威となる者の排除を行うよう声を張って命令を下した。
「アルファ2了解、閃光音響手榴弾を使い被疑者を排除します」
すると、結城小隊長の命に承知の声を返したアルファ2の指揮官である巡査部長が、チームの先頭に立ち正面を守る防弾盾と自動拳銃を装備したポイントマンと、その後方支援に従事する短機関銃のH&K MP5で武装した残り三名の隊員に援護してもらいながら、自らの手で発火ピンを抜いた閃光音響手榴弾を階上に向かって放り投げた。
狙いは四階の階段付近に陣取り、SATが留まる階下の三階踊り場の方へ向け、自動小銃のAK47をフルオートで乱射する犯人を排除する為であった。
しかもその犯人にあっては、暗闇の階段を転げ落ちるように逃げ行く人質の存在など、まるで考慮することなく銃を撃ち続けたことから、生徒らに多数の死傷者が出てしまったのだ。
SATの隊員が閃光音響手榴弾を上の階に投擲した瞬間、壁際から身を乗り出した犯人が再びAK47の引き金をひき、音速を超えて飛翔する7.62ミリ弾を階下にばら撒いた。
銃口から放たれた弾丸は、壁や床、階段の手すりなどに着弾し各構造物を破壊。耳をつんざく凄まじい発砲音と共に、無数のコンクリート片を射界から逃れるSATらに雨あられとお見舞いする。
だがその刹那、犯人がいる階上で閃光と轟音が炸裂した。
閃光音響手榴弾の爆発によって生ずる壮絶な音と光の影響で、武装犯はしばしの間、前後不覚の状態へと陥った。
すると、銃撃が止むタイミングを見計らっていたSATのアルファ2の隊員らが一気に階段を駆け上り、四階へと足を踏み入れる。
点火時の音響パルスと閃光をまともに食らい、うずくまるような姿勢で呻き声を上げる顔をフェイスマスクで覆った犯人であったが、それでも近付きながら警告を発するSATに対し、めくら撃ちで反撃を試みようとする。が、それは消音器で抑え込まれたMP5の発砲音及び9ミリパラベラム弾によって阻止された。
「……まるで地獄だな、これは」
犯人の抵抗を排除したアルファ2の後に続き、四階へと上がったアルファ1を率いる結城小隊長は、暗視装置越しに広がる眼前の光景に、かすれ声を喉から絞り出した。
暗闇に沈む廊下には、沢山の学生が無秩序に転がっていた。
停電に乗じて教室から脱出を図った約一二〇名の人質の内、大半の者は階下に逃れられたのだが、その一方で、少なくない数の生徒達が逃げる途中、背後から犯人によって撃ち殺されたのである。
「ちくしょう、完全に警察の計算ミスだ。さっさと電力を復旧してもらわねば、この暗がりのせいで犠牲者はもっと増えるぞ。まさか、こんな一斉に人質が逃げ出してくるとはな。……それにしても、先ほどから我々の送信に他の部隊はおろか、本部すら応答しないのは一体なぜなんだ?」
「隊長。聞き間違いかも知れませんが、我々が進行する東階段とは反対側の西階段を受け持つアルファ3が、後から強行突入したSIT並びに七機のレンジャー部隊との交信を行っており、その際『感染者』という声を自分は傍受しました。もしかすると、それが原因なのではと……」
「何? 感染者、だと? そんな馬鹿な――」
部下が口にした『感染者』という不穏な言葉に、結城小隊長が思わず怪訝な声を発した丁度その時、突然、廊下の照明が一斉に点灯し始めたのであった。
またそれと同時に、激しい銃撃戦の音すら圧し潰す、薄気味悪い戦慄の咆哮が、学校内外を問わずありとあらゆる所から一挙に湧き起った。
その時、周囲を警戒しつつ、廊下に倒れている生徒達の生存確認と救護措置を並行して実施していた、結城小隊長を始めとするSATの隊員らは見た。見てしまった。
煌々と輝く電灯の下、西階段に通じる廊下の向こうから、全身を紅に染めた性別・年齢・職種・服装などが全て無秩序に構成された人間達――否、死者の集団が新鮮な人肉を求め、生者であるSATの方へと群れを成して全力疾走してくる姿を。
本当の“地獄”が幕を開けた瞬間であった――――
遅くなり、本当に申し訳ございませんでした。
しかも今回でこのお話を終わらせられなかったという……。
自分の構成力の無さに嫌になります。ほんとすみません。
前回の投稿から、以前からお付き合いしていた女性と挙式・新婚旅行・その他の私事でリアルに執筆がしばらくの間できませんでした。
今後も執筆は遅々としたものになりますが、お話の続きを書く気持ちは一向に衰えていないので、今後も何卒よろしくお願いします。
では、次こそ次こそ今の話のクライマックスとなりますので、どうぞお楽しみに!^^




