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生者と死者に祝福を  作者: もこもっこ
第一章  序開
2/36

第2話 「群れ」

グロ表現あります、ご注意を。






 




 一階まで階段を全速力で駆け下りた時、少女の呼吸は酷く乱れ、膝頭がガクガクと震える始末であった。

 焦燥感が募る中、少女はエントランスホールへと続く通路の壁際にもたれ掛かりながら、必死に呼吸を整える。


(ちっ、脆弱な……)


 胸中で舌打ちしつつも、少女は原因を正確に理解していた。

 恐らく自分は、これまで長い日々をベッド上で寝たきりであり、訓練や鍛錬等とは一切無縁であったのは間違いない。更にいえば、このような華奢で小柄な女の子の体力では、先刻のような激しい格闘戦など無茶も甚だしいのだ。


「寝起きでいきなりの殺し合いは、確かに厳しいな」


 自嘲の笑みと共に、力の無い呟きが少女の口から漏れ出る。


もっともこの疲労は、体力だけの問題ではないのだろうが……)


 ささやかに膨らんだ胸を片手で抑えながら、少女は自身に備わっている奇怪な《力》のことを考えた。


 ――【念動力】。


 確かに自分は、いや、『研修所』の執行者だった頃の以前の自分ではなく、新たな肉体となった今の少女が有している記憶の中に、それ(・・)は確かに存在していた。

 物質の移動や、衝撃波を打撃に付加するなどの《力》の使用法を少女は既に理解しており、しかもいきなりの実戦の場で用いたのだ。

 確かにその【念動力】は圧倒的で、狂気の死神すらも見事に退けることに成功した。が反面、能力の行使は肉体的・精神的の両面で相当な疲労感と引き換えとなり、少女を現在進行形で蝕んでいた。


「目覚めたら女の子で、しかも超能力者……か」


 抑揚の無い声でぽつりと言葉を落とした少女は、ようやく常態に復してきた鼓動と共に、懸命に足を動かす。

 手掛かりが何一つ無い今、理解し難い現状に対し頭を悩ましても何の解決もしないどころか、刻一刻と自分が窮地に追い込まれているのを肌身に感じ取り、少女は全ての疑問を頭の隅に追い遣った。


(とにかく今はこの施設から生きて出ることが先決だな。問題を先送りにするのはしゃくだが、こればかりは仕方がない)


 現時点では、行動こそが生き残る唯一無二の手段である事を、少女は明確に心得ていた。




 幸いというべきか、施設の一階エントランスホールまで少女に襲い掛かって来る者はいなかった。

 しかし通路は停電のせいで薄暗く、加えて人々が慌てて避難した名残なのか、様々な物が放置されているせいで非情に歩き辛かった。

 それでも何とか無事に通路を抜け、少女はエントランスまで辿り着く。だが出入り口を目前にして、外に出ることが如何に困難であるかを理解せざるを得なかった。


 オフィスエントランスは開放的で、ホール内の至る所に設置された大きなガラス窓から十二分に日光が射し込んでおり、窓が極端に少ない廊下とは違い中はとても明るかった。

 そのおかげで状況をはっきり目視出来たのだが、物陰に身を潜めて様子を窺っていた少女は驚愕する。


 まず施設の正面玄関はガラス張りとなっており、内側から外の景色を望むことが出来た。

 職員が外部からの襲撃を防ぐ為にバリケードでも築こうとしたのか、玄関周りにはひっくり返された椅子やテーブル、ソファ等が乱雑に捨て置かれており、通行の妨害となっていた。

 一方分厚い強化ガラス製の壁面どうやら無事らしく、破壊された箇所は見受けられない。


(襲撃者を防ごうと、施設の職員が慌ててバリケードを構築しようとしたが失敗し、中に侵入された、といった具合か。散乱している椅子やテーブルのせいで進みにくそうだが、玄関口から外へは問題なく出られそうだ。だがそんな事よりも………)


 現状を冷静に分析していた少女は、絶望せざるを得なかった。

 その理由は、エントランスホール全体にうごめく人間――否、化け物(・・・)の群れの数であった。


(最悪だ……)


 少女の相貌から血の気が引いた。

 冷汗が背筋を伝い、戦慄が間断なく少女のからだを震わせる。

 先程階段の踊り場で少女を襲った三人の存在など、目の前の光景に比べれば何の障害すらなっていなかったことが、否応無しに理解出来た。


 エントランス内に徘徊している化け物の数は尋常ではなかった。

 見えるだけで少なくとも十五人……いや、二十人ぐらいは居る。

 しかもそれは建物内だけの話で、外には更におびただしい程の群衆・・が右往左往しているのを少女は目撃した。


 歩き回る全ての人間がことごとく肉体の一部を損傷し、悪臭を伴うどす黒い血液を滴らせ、尚且つ薄気味悪い唸り声を低く発している。

 既に輝きを失ったその腐った白濁の瞳は、ただ闇雲に獲物を追い求め空間を彷徨さまよっていた。

 スーツ姿、作業着、普段着。中には下着姿の者や素っ裸の者までいた。

 性別年齢に関しても無秩序で、男性や女性、社会人や子供に老人まで、実に多種多様であった。


 だが一つだけ明確かつ共通点があったのは、老若男女問わず、この場に存在する全員が、最早完全に人間性を消失しているという事だった。

 そんな彼、彼女らが何か(・・)を手にし、口に運んでいるモノがあった。

 疑問に感じた少女が目を凝らしてそれ(・・)を見る。しかし直ぐにそれ(・・)を確認してしまった事を後悔する。


 肉。

 赤黒い肉片だ。

 いや、肉片だけではない。赤い粘液に塗れた半透明の内臓器官や骨も混じっていた。

 大理石模様の床に散りばめられた血みどろの肝臓レバーを、無惨に引き千切られた大腸を、こりこりとする軟骨を、肉が付着した太腿ふとももの関節を。


 一心不乱にんでいた。

 群衆・・の足下には、犠牲者となった人間の頭や手足、胴体の成れの果ての物体が幾つか転がっていた。

 血溜まりの床の上を、ある者は立ったまま。またある者は這いつくばった状態で。

 彼又は彼女らは、まるで人にあらざる者へと堕ちてしまった事への悲哀を慰めるかのように、輝かしい“生”に満ちる生暖かい骨肉を手に取り口に運び、賞味し続けている。


 ぼりぼり、くちゃくちゃと。

 ぽりぽり、ぺちゃぺちゃと。

 無表情とは違う、形容し難い薄気味悪い顔つきで人肉を咀嚼そしゃくし、人骨にむしゃぶりつき、人血をすする群れの姿は、まさしく地獄を具現化したものに他ならなかった。



「……っ…」


 酸鼻極まるおぞましい光景を目の当たりにし、喉奥から酸っぱいものがり上がってくる。

 少女は口に手を当てて、吐瀉物としゃぶつを床に撒き散らすのをどうにか堪えながら、恐怖と緊張で極限に高まる感情を必死に鎮めようと努めた。


(糞! 糞、糞クソクソくそくそっ!! 何なんだ、こいつ等は!? 駄目だ、こんなイカれた連中がうようよしているエントランスを抜けるなんて到底不可能だ。であればどうする、どうすればいい?)


 奥歯を強く噛み締めながら、少女が焦燥を募らせる。

 如何に現実離れした【念動】の《力》を駆使しようとも、これほど多数の化け物の群れ相手に正面突破を敢行するなど、自殺行為でしかなかった。

 一階の裏口を探すか、もしくは二階に引き返して別の脱出ルートを探そうか少女が考え、後方に視線を走らせたその時、背後からいやな気配と腐臭が漂ってきた。


 即座に振り返った少女が薄闇に包まれた通路に目を凝らすと、耳障りな呻き声を発しながら不器用な足取りで階段を下りて来る化け物の姿があった。

 それも一人や二人ではない。少女の匂いか、音か、あるいはその両方なのか、人の理性を完全に喪失した化け物達がまるで少女を追跡するかのように、ぞろぞろと一階へ下りて来たのだ。


(嘘、だろ…!?)


 不味い、不味い不味いまずいまずい………頭の中はそんな言葉と危険信号で埋め尽くされていた。

 少女に残された時間が、加速度的に失われていく。

 迷いや躊躇ためらいは間違いなく死を意味する。少女は何の解決策も見出せぬまま、極めて深刻な危機的状況に対し即断即決を迫られていた。


 止めどない身震いが少女の身を支配するが、心だけは折れぬよう必死に理性を繋ぎ止める。

 自棄やけになって群れの中を無策で飛び込んでも、見つからぬよう神の奇跡にすがってこのまま怯え隠れていても、少女が迎える結末は、文字通り化け物共に八つ裂きにされるだけだ。

 ならば、と少女は覚悟を決める。


最善ベストを尽くせ。その上で死が結果だというのなら、所詮はその程度の運命だったという事だ…!)


 本物の死線を潜り抜けて来た過去の“自分”が、恐怖や諦念を無理矢理捻じ伏せ、心に活を入れる。

 少女は意識を集中させると共に四肢へと熱を灯し、最速で動作を行う準備をする。

 記憶の中にある『研修所』の執行者だった“自分”を少女が取り戻し始めると、身体はそれに準じて力がみなぎり始めるが、その時、不意に心の深奥部がきしむような違和感をも察知した。


(何だ? いや、今は余計な事を考えるな。目の前に集中しろ)


 心中に微かな淀みを感じたが、少女は敢えてそれを無視し行動に移る。

 後方から歩み寄る化け物達と少女の距離が次第に狭まり、濃密な死の気配が彼女の小さな体躯を押し潰さんとする。

 少女は視線を素早く動かして周囲を確認し、目的を達する為に手助けとなる物を探した。

 すると、少女が屈み込んでいた直ぐ近くの壁に、全埋め込みオープンタイプの消火器ボックスが設置されており、更にそのボックス内には未使用のABC粉末消火器が備え付けられているのを発見した。


(先程襲い掛かって来た三人の特徴をかんがみると、恐らく奴等は物音に対して非常に敏感だ。ならば……)


 生唾をごくりと飲み下し、少女は気配を殺しながら慎重に正面玄関の方へと足を動かす。幸いにも、まだ化け物達には気付かれていなかった。

 更にゆっくりと歩を進める。

 苛烈な戦闘訓練で会得した歩行にて足音を完璧に遮断して進む。また裸足であったことも功を奏した。

 やがて少女は、化け物に認識される危険性が高い際どい位置まで距離を詰めると、一旦立ち止まった。


(一か八か、だ)


 極度の緊張で浮き出た汗が、額から伝い落ちる。

 決意を固めた少女はその青白いほっそりした右手を、後方の消火器ボックスの位置へと固定した。

 消火器との相対距離は約四メートル弱。短いが、現時点で少女の《力》が届く限界距離であった。


 意識を極限まで尖鋭化し、精神集中を行う。

 射抜くように細められた双眼の先に有るのは、消火器本体。

 開いた右手に常識を超越した《力》が宿り、空間に歪みが生ずる。

 それら一連の挙動は、まさに瞬刻。

 脳が、肺が、右手が火傷しそうなぐらいに熱気を帯び、そして――


 ――【念動力】が発動する。


 刹那、見えざる《力》によって、消火器がボックスから勢いよく弾き出された。

 と同時に、消火器がフックから外れたことで、仕掛けられていたゼンマイ式警報ベルが作動。たちまち、けたたましい警報音がエントランス内に鳴動する。

 人の感性を喪失した化け物の“群衆”の注意が、一斉に音の発信源である消火器ボックスの方に向く。

 他方、指向性を得た【念動力】の働きにより、消火器は高速で少女の手元へと引き寄せられていた。


(急げっ)


 もたついている暇など皆無であった。

 警報装置の有無と作動は完全に賭けであったが、これで僅かな時間は化け物らの探知を誤魔化すことが出来る。

 僥倖ぎょうこうだが、しかしまだこれだけでは不十分だ。少女は更に駄目押しの挙動に移る。

 空中で静止していた消火器に手を伸ばした少女は、小刻みに揺れる指先を黄色の安全ピンに掛けて抜き、次いでホースを外すと筒先を化け物が最も集中している場所へと向けた。


 そして、ありったけの力でレバーを強く握り、消化剤の放射を開始する。

 燐酸アンモニウムの微粒粉末が、中に入っている加圧ボンベの二酸化炭素ガスや窒素ガスなどの力を借りて、消火器ホースの先端から猛然と噴射された。

 粉末状の薬剤がエントランス内に一気に拡散すると、少女の姿はその白い煙幕に覆い尽くされた。


 風通しの悪い屋内で消火器を噴射すれば、当然粉末状の白煙が滞留し視界不良に陥る。

 雲隠れの如く、少女は化け物達の視界から逃れることが出来た。更には、生者が放つ芳香ほうこうも併せて遮断したのであった。

 だが化け物達が最も敏感に反応し、且つ驚異的な察知能力を発揮する“音”に関しては、この行為は完全に逆効果となる。

 故に消火器の大きな噴射音は恰好の標的となり、化け物の群れは音の発信源となっている場所へと、粉末薬剤の煙幕を突破して殺到した。


 薬剤の噴霧に怯むことなく、化け物達は猛獣の唸り声を発しながら未だに放射を継続している消火器の元へ、我先にと躍り掛かる。

 瞬く間にその場所は化け物の集団に襲われ、宙にあった消火器は地面に乱暴に叩きつけられた。

 勿論そんな状況では消火器を操る少女も無事に済む筈はないのだが、しかしその時には既に少女の姿は忽然と消えていた。

 だが奇妙な事に、少女が操作していないにも係わらず、消火器のレバーは押された状態を保ちノズルから消化剤が噴出され続けていた。


 【念動力】による遠隔操作であった。

 少女は正面玄関に向かって全速力で駆けながら、【念動力】で離れた場所から消火器のレバーとノズルを操作し、撹乱かくらんを実行したのだ。

 警報ベルの吹鳴と消火器の使用による二つの陽動作戦は今のところ見事な成果を挙げ、化け物らは少女の存在を捕捉することが出来ないでいた。

 その隙を衝いて、少女はもたつく足を懸命に動かして出入口へと走る。


(遅いっ…!)


 自身の運動能力の低さに焦りと苛立ちを募らせながら少女は、広いエントランスを決して素早いとは言い難い速度で駆け抜けた。

 エントランス内の全ての化け物が、警報ベルの吹鳴元と消化剤を撒き散らしている消火器の方へと集まっていくが、その中には走る少女に目を向ける者もいた。

 だが周囲に満ちる派手な音と煙のおかげで、標的を少女に定めて襲い掛かって来るような化け物はいなかった。


 エントランス内にたむろしていた化け物らの殆どは警報ベルと消火器の方に引き寄せられ、その場で不思議そうに首を捻って立ち尽くしている。

 そんな化け物達の姿に一瞥いちべつを投げた少女は、陽動が極めて上手くいった事を理解しつつも、顔は血の気を失っていた。


(急げっ、急がないと…!)


 危惧の念が少女の心中を焼き焦がす。

 それでも足を必死に動かし、少女は正面玄関手前に散乱している椅子やテーブル等といった障害物を迂回して出入口まで辿り着く。

 出入口の自動ドアは人一人分が通過可能な状態で停止していた。

 その隙間に小さな体躯を滑り込ませようとした矢先、少女の行く手を阻む存在が現れた。


 無論、建物の外周をうろついている“群衆”の一人であった。

 少女の不安は的中した。

 派手な音で建物内に居る化け物の注意を逸らす事。それはつまり、建物外を徘徊する群れをおびき寄せる事と同義なのだ。

 実際、時間の経過と共に外の化け物達は、施設のエントランスから響き渡る音に導かれて、ぞくぞくと正面玄関周辺に集まって来ていた。


 少女の眼前に立ちはだかったのは、片腕がもげ、顔面の頬から顎にかけて肉が噛み千切られている初老の男性であった。

 汚れたガラス玉のような乳白色の瞳が、ぎょろっと少女の方に向けられる。

 明らかに少女の存在を認識していた。


「―――!」


 息を呑む少女の躰が一瞬強張る。

 ひっという情けない呻き声が喉元からり上がるの知覚する一方、総身は瞬時に反応していた。

 迷うことなく少女が踏み込み、そして間合いを潰す。

 重心は右足に乗り、真半身の体勢から右の開掌が打ち放たれる。

 刹那、化け物となった初老の男性の水月みぞおちに届いた右手から【衝撃波】がほとばしり、相手を凄まじい勢いで弾き飛ばした。


 後方に吹っ飛ばされた化け物が、出入口付近にたかっていた群れも巻き込み転倒させながら、地面へと激突する。

 その結果、化け物の集団で構築された“壁”が切り崩され、道が開かれた。

 脱出する最後の機会チャンスであった。

 躊躇ちゅうちょせずに扉の隙間から外へと転がり出た少女だったが、その時脳裡に全く矛盾する絶叫がこだましていた。


 ―――やだやだやだ、怖い怖い怖い!

 ―――お願い誰か、助けて助けて助けて!


「…ぐ…っぁ…!」


 酷い頭痛が、少女に呻き声を強制させた。

 長年過酷な訓練を積み、あらゆる死線を潜り抜けてきた兵士としての過去の“自分”とは、まるでかけ離れた脆弱な思考回路が少女を圧迫する。

 そして同時に、今の自分の思考とは相反するこの『叫び』こそ、本来の自分なのではないかという思いが湧き起り、少女を戦慄させた。

 即ち、『研修所』の執行者たる“自分”の意識こそが、この少女にとって紛い物(・・・)に他ならないのでは、という信じ難い思考であった。


(――黙れ、黙れ黙れ! 黙れクソッタレッ!!)


 激情をもって、その懊悩おうのう強制終了シャットダウンする。

 今はそんな余計な事を考えている暇など皆無であった。

 幸い、意識が飛んでいたのはほんの一瞬であった為、状況は未だ少女に逃走を許していた。

 よろめきながらも、何とか少女は正面玄関先から離れることに成功した。



 輝く太陽に加え、湿気を伴った高温が少女の柔肌に珠の汗を滲ませる。

 雲に遮られることのない直射日光が、建物敷地内に舗装されたアスファルトの地面を照らす。

 正面玄関前は車寄せとなっており、その先には車両一〇〇台分が収容可能な駐車場が広がっており、駐車スペースに普通車が十数台以上停まっていた。

 明る過ぎる景色の中、少女は自身を取り巻く惨状を目の当たりにし、慄然りつぜんとした。


 周囲は、化け物達で埋め尽くされていた。

 歩いている者、立ったまま首を巡らせている者、地面から起き上がってくる者。

 その全てが、人間に非ざる者達であった。

 ざっと見ただけで少なくとも五十人以上は居るのを少女は確認したが、更に四方八方から続々と湧き起る獣じみた唸り声が思考を麻痺させ、正確な人数の把握など最早どうでもよくなっていた。


 激しい動悸が襲い、たじろいだ少女が思わず後退あとずさりをすると、背中側にあるエントランスからも例の怖気が走る唸り声が聞こえてきた。

 建物内に逃げ帰るなど、完全に有り得なかった。

 少女に許された選択肢は、唯一“進む”のみだけだ。


(駄目かも知れんが、やるだけやってみるさ)


 相変わらず刺す様な頭痛が少女をさいなみ、弱音が口から溢れ出しそうになるものの、それら全てを強引に無視して少女が覚悟を決める。

 小刻みに震える足を必死に動かし、とにかく化け物の“壁”が薄い箇所を目指して全力疾走を行った。

 すると、先程少女の打撃・・によって弾き飛ばされた初老の男性及び、その衝突に巻き込まれ転倒していた化け物達が一斉に咆哮を上げた。


 グォォオオオォオオォオオッッ!! と、凄まじい唸り声が幾重にも重なり轟いた。

 更にその怒号が伝播でんぱしたことで、駐車場に集まる“群衆”全てが無限の空腹を満たす獲物の存在を知覚し、急速な稼働を開始する。

 一刻の猶予もなかった。

 捕まれば、文字通りその場で八つ裂きにされ、骨の髄までむさぼり喰われる。

 少女は脇目も振らずに、駐車場の中を駆け出口を求めた。


 化け物が次々と少女に狙いを定め、猛追して来る。

 少女の体力と脚力では、異常な速度にて疾走し続ける化け物らを振り切るのは不可能だった。

 死が直ぐそこまで迫っていた。

 また、少女の呼吸は発作を起こしたように酷く荒々しくなっており、持久力は既に限界を迎えていた。


「――ぐッ!」


 化け物の群れから伸びる無数の手が少女の肩に掛かる寸前、無意識で【念動力】が発動する。

 直後、少女が踏み出した足に不可視の《力》が加わり、凄まじい勢いで前方へと跳躍・・した。

 目前の放置された駐車車両を飛び越すと、更に景色が高速で後ろに流れ、剛体と化する空気を抉り抜くのを少女は体感した。


 一瞬の浮遊感と凄まじい急降下。

 そして、地面に転げ落ちるような接地。

 華麗とは程遠い、全身を叩き付けられるような無様な着地であった。


「…っ……は……」


 受身に失敗した少女は、硬いアスファルト路面による影響で体の至る所に打撲と擦過傷を作り、呼吸すらままならない状態に陥っていた。

 少女は化け物との距離を稼ぐ為、走り幅跳びの要領で疾走しながら【念動力】を用いた跳躍を実行したのであった。

 その結果として、確かに少女は迫り来る化け物から一時的に距離を引き離すことに成功した。だが、無茶な駆動による負荷と着地の失敗は、少女の総身に確実な損傷を蓄積させた。


 朦朧もうろうとする意識を懸命に繋ぎ止めながら、少女はよろよろと身体を起こして周囲を確認する。

 駐車場の出入口は間近であった。

 守衛の詰所と思しき電話ボックス型の小さな建物のそばには、住宅街へと続いている一般道を隔てるゲートが有り、それに連なって高さ六メートル程のコンクリート塀が張り巡らされていた。


(駄目だ。ここは通り抜けられない……)


 その光景に、少女は暗澹あんたんとする気持ちを抑えることが出来なかった。

 蛇腹式となっている鉄製のゲートは確かに開放されていたが、その場所には我先にと逃げ出そうとした結果、逆に身動きが取れなくなった車両で埋め尽くされていた。

 そして玉突き、乗り上げ、横転といった事故の惨状に加え、付近には逃げ遅れた人々が全員化け物へと転化した状態でうごめいており、少女の行く手に立ちふさがっていた。


 累卵るいらんの危うき立場に陥った少女であったが、それでも必死に己を鼓舞し生きる道を模索する。

 後方からは夥しい数の捕食者達が押し寄せて来る。

 更に唯一の逃げ道である正面ゲートは、事故車両と化け物の群れで塞がれており、突破するのは不可能であった。

 まさに四面楚歌しめんそかもいいとこだが、少女は最後の力を振り絞り、一つの賭けに出た。


(頼む。持ってくれよ、俺の体!)


 祈るような気持ちを表すように、少女が大きく息を吐き出す。

 そして再び走り出した。

 コンクリート塀に、しかも全速力で。

 靴も履かず、裸足のまま動き続けていたせいで、指先には血が滲んでいた。

 舗装された地面を踏み締める度に、激痛が少女をむしばんでいた。


 しかし少女は、胸中に渦巻く不安や恐怖、身体的苦痛といった負の要素を一切合財無視し、渾身の力を振り絞って大地を蹴った。

 眼前にそびえ立つのは、約六メートルのコンクリート塀。

 自分の背丈の倍以上あるその塀に向かい、少女は何の迷いも見せることなくダンッと踏み切り、跳躍を行う。


 刹那、【念動力】を発動。

 大地を蹴った足に《力》を上乗せすると同時に、己の総身にも【念動力】を用いて飛躍の方向や角度を調節する。

 重力をも制御したとしか思えぬ、高角度の凄まじい跳躍であった。

 少女の――否、並みの人間では決して有り得ない運動能力だった。


 飛翔するが如き跳躍力によって、少女は易々とコンクリート塀を飛び越えた。

 圧搾する風圧が少女の頬を容赦なく叩き、視界は目まぐるしく変化する。

 壮絶な浮遊感の後、意識が遠のくような急速降下。

 普通に着地したのでは、決して無事では済まない高度からの落下であった。


 地面に着地する瞬間、少女はまたも【念動力】を発動し、接地の衝撃を緩和する。

 そのおかげで、少女は前のめりに倒れ込みそうになりながらも、致命的な怪我を負わずに塀の外側に出られたのだった。

 しかしその反面、物理法則すら捻じ曲げる【念動力】を駆使した身体操作は、体組織及び脳機能に急激な負担を強いるものであり、少女の顔は苦痛に歪んでいた。


「…はっ、ぐ…ぅ…っ……」


 千切れた呼気が、少女の限界を如実に示していた。

 それでも何とか首を持ち上げ、現状を確認する。

 一瞬でも気を抜けば、たちまち意識を手放してしまいそうになるのを必死に堪え、虚ろに染まる双眸を前方の景色へと向けた。



 其処には、閑静な住宅地が広がっていた。


 そして無限に広がる地獄も、其処にはあった―――













投稿が遅くなりして申し訳ございません。

面白くなるよう、自分なりに工夫して書いているのですが、中々難しいですね。

もっと面白く、もっとハラハラするような展開を執筆していきたいと思っておりますので、次話もどうぞ宜しくお願いします^^

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