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生者と死者に祝福を  作者: もこもっこ
第一章  序開
18/36

第17話 「慟哭」

ちょっと短めです。

後、暗い上にグロあります。苦手な方はご注意を。







 




 唐突に平和な日常が終わり、文字通りの骨肉相食む(・・・・・)地獄と化した世界の中で、練馬区立北小泉中学校3年C組に在籍する女子生徒――高城花音たかしろかのんは、担任教師の坂本修一さかもとしゅういちと共に感染拡大アウトブレイクの混乱当初を辛うじて生き延び、紆余曲折うよきょくせつを経て現在のスーパーマーケット『グレートバリュー練馬小泉店』へと辿たどり着いた。


 店舗の出入口は完全施錠された状態であり、また建物の構造も一般住宅と比較すれば堅牢な造りとなっているスーパーマーケットは、豊富な飲料水や食糧品が備蓄されている点を考慮しても避難場所としてはまさに最適といえた。

 そして幸いにも花音と坂本教諭がスーパーに到着した時、店舗周辺に集する生きた人間の肉を喰らう感染者ゾンビの数は少なく、加えて彼らが店内に侵入してもいなかった為、何とか無事に入店する事が出来たのである。


 しかし、花音の心に平穏が訪れることは無かった。

 というのも、あらかじめ店舗の鍵を入手していた坂本教諭のおかげで花音が命拾いしたのは確かであったのだが、それも含めて今の地獄と化した現状を狡猾こうかつに利用した坂本は、前々から花音に対して抱いていた偏執的な情欲を現実のものにしようと、ここぞとばかりにいびつな愛人関係を結ぶ事を強要してきたのである。

 無論、非力で立場も弱く、まだ十五歳という未熟な年齢の花音では、その理不尽な要求をはねのけるだけの気概は持ち合わせていなかった。


 そして花音は心に鬱屈うっくつを抱えたまま、店舗売り場内に設けられたテナントショップのそばにあるベンチで、坂本教諭と共に休憩がてら食事を行っていたのだが、事態は急遽きゅうきょまさに悪夢としか言えないような展開を迎える。

 圧倒的な筋肉の量感と質感を宿した頑強な巨躯に加え、大小のひもを幾重にも束ねたようなをどす黒く染め全身の肌に浮かび上がらせた異端の感染者ゾンビが、何の前触れも無く姿を現したのだ。

 身の危険を瞬時に知覚した坂本教諭が、絶句する花音を余所よそにしてその凄絶たる捕食者の“男”へ立ち向かうも、全く歯が立たずに軽くあしらわれてしまう。


 その結果、目の前の脅威には決して勝てないことを即座に悟った坂本は、己の生存を最優先とする為、花音のことを置き去りにするどころか身代わりにして逃走を図ろうとする。

 が、そんな彼のはかなくも独りがりな希望は、尋常ならざる実力を秘めた感染者ゾンビの“男”によって、いともあっさりり取られてしまう。

 一方、“男”が逃げる坂本を先に襲ったことで、今回はたまたま命拾いした花音であったが、しかしそんなものは何の気休めにもならなかった。


 何故なら、眼前で繰り広げられている酸鼻を極めた殺戮行為の犠牲者となった坂本のように、化け物に肉体を引き裂かれ、生きたまま貪り喰われるという結末の順序が遅くなっただけに過ぎないのである。

 そして、正視に耐えない残酷な光景の目撃と、“男”によって解体・・されていく坂本の断末魔の絶叫を耳にした事で花音は完全に心神喪失の状態へと陥り、床にへたり込んだまま身動ぎ一つ出来ないでいた。

 余りに絶望的な状況に直面したことで、恐怖を感じる機能すら麻痺してしまった花音の心はいちじるしく萎縮いしゅくした状態に陥り、生きる活力をも枯渇こかつしてしまったのだ。


 その時だった。

 悲愴な現実に打ちのめされた花音の憔悴しょうすいした視野に、信じ難い光景が映り込む。

 この地獄に呑まれ、只震えながら死を待つ以外にすべを持たない自分とは違う、殺伐とした場にはおよそ似つかわしくないメイド服に身を包んだ幼い少女が突如乱入し、あろう事か絶対強者たる感染者ゾンビの“男”と壮絶な死闘を演じ始めたのである。


 そこから先は、まさに怒濤どとうの展開だった。

 猛虎の如き“男”の熾烈しれつを極める身のこなしに対し、幼げながらも綺麗な顔立ちの少女が電光石火の早業で攻防を繰り広げる。

 それはまるで、客席からアクション映画を鑑賞しているような錯覚に陥る程の想像を絶する戦闘であり、十五年という歳月を至って平凡に生きてきた花音では、当たり前だがその戦いを目で追い、理解するなど到底無理な話であった。

 そんな非現実的な成り行きを呆然と見守る花音だったが、“男”と交戦する少女が危うい時、商品の陳列棚から身を乗り出して切迫した声を出す若い男性の存在に気が付いた。


 時を追うごとに苛烈かれつさを増す戦いを、花音は固唾かたずを呑んで見詰めていた。

 しかし花音の見た限りでは、死闘の形勢は明らかに感染者ゾンビの“男”の方へと傾いており、メイド服を着た少女による必死の応戦にも関わらず、状況は悪化の一途いっと辿たどる。

 自分より年下と思しき少女が、たちまち傷付き疲弊していく姿にどうにもやり切れない気持ちを抱えるも、だからといって花音に出来る事など何一つ無く、せいぜい神に奇跡を願うぐらいが関の山であった。


(神さま、お願い……)


 花音の懸命な祈りが功を奏した……という訳ではなかったが、それでも戦いの情勢はやがて佳境へと突入する。

 けた外れの強さを発揮する“男”の危険な攻撃を、メイド服の少女が紙一重の状況で回避し続けていたのだが、一瞬の隙を衝き、アクロバティックな跳び蹴りを少女が放ったのである。

 超人的ともいえるその凄まじい動作に、花音は思わず恐怖心すら忘れて目を奪われてしまう。


 だが真に驚くべき事は、そこからの展開であった。

 颶風ぐふうと化した少女の凄絶な二連脚を“男”がかわした直後、何と空中で攻撃を打ち放った少女が一気に“男”の足元へと降下して、そのまま両者がもつれ合うように床へと転倒したのだ。

 その瞬間、少女が大きな声で連れの男性の名前を叫ぶ。すると、その合図に呼応した若者が威勢よく“男”へと突進した後、思いっきりバールを叩き込んだのである。


 しかし、渾身の力を振り絞って“男”の顔面に打ち込んだ若者の攻撃は、間一髪のところで防がれてしまい失敗に終わった。

 それにより思わず狼狽うろたえた声を上げてしまいそうなる花音であったが、次に起こった出来事によって、彼女は言葉を完全に失う。

 それ程までに、あらゆる常識を覆し現実世界に亀裂をもたらすような、信じ難い光景を花音は目撃したのだった。


 感染者ゾンビの“男”から距離を取ったメイド服の少女が、偶然にも花音の座り込んでいる位置の近くに来たことで、それ(・・)を見たのだ。

 少女が“男”に向かってナイフを投げつけた後、間髪をれず立て続けに複数の工具――ドライバーを投擲とうてきしたのである。

 勿論もちろん、少女の細腕から繰り出されるナイフやドライバーの狙撃が有り得ない程の鋭さを秘めているのも、それら激烈な射撃弾幕すらことごとく避ける“男”の反応速度と身体能力に花音が驚愕したのは事実だが、問題はそれではなかった。


 ――そう。問題は、どうして投げたドライバーが空中で静止している(・・・・・・・・・)のか、という点であった。

 そして、想像を絶する出来事によって花音が唖然あぜんとする中、メイド服の少女がするりと一歩動き、更に空中停止・・・・していたドライバーを目掛けて拳打を放ったのだ。

 少女の打突により、そのドライバーは超加速(ブースト)されて目標へと飛来する。


 それは、さながら閃光であった。

 流石の“男”も、今度ばかりは反応に遅れる。だが、それは明らかに致命的となった。

 結果、視認不可能な程までに超高速化した必殺の一であるドライバーが“男”の眉間を貫き、流星の如くそのまま鮮やかに頭蓋を穿うがつ。

 目の前の光景を凝視していた花音は、この時点で死闘の決着はついたと直感で悟る。


 その時、メイド服に身を包んだ華奢で小柄な体躯の謎めいた美少女が「分水嶺ぶんすいれい……」と呟いているのを花音は耳に捉える。

 また同時に、狂暴凶悪な捕食者たる“男”はその命脈を断ち切られ、断末魔の声すら上げることなく床へと沈む姿を、呆けたまま見詰めていた。

 いずれにせよ、絶体絶命の状況に陥っていた花音であったが、偶然のタイミングでスーパーマーケットの売り場に現れた謎の少女と若い男性の活躍によって、九死に一生を得たのだった。




かえでちゃんっ!」


 未だ頭が現状に追い付いていない花音が茫漠ぼうばくとした視線を彷徨さまよわせていると、不意に若者が叫び、少女の下へと駆け出した。

 見ると、力尽きたのか、膝から崩れ落ちて床に衝突する寸前だった少女を若者が慌てて助け起こし、その細く小さなからだを両腕に抱きとめていた。


(『かえで』っていう名前なんだ、あの子……。あ、そういえば男の人のことを、確か女の子が『たつや』って呼んでいたっけ)


 極度の緊張状態から解放された影響により、どうにも胡乱うろんになりがちな記憶を手繰り寄せながら、花音は目線の先に居る少女と若者の名前を特定する。

 その二人の姿を視野に収めたまま、花音は力の入らない四肢をのろのろと動かして立ち上がった。


(ともかく、あの人達にお礼を言わなくっちゃ……)


 そんな事を考えつつ、花音は『かえで』という名の少女と、『たつや』と呼ばれた男性の下へゆっくりと歩を進める。

 無論、彼らがどんな目的でこのスーパーに来たのか、またどのような人物であるのかも不明である上に、こと『かえで』なる少女に関しては完全に常識の範疇はんちゅうを逸脱した強さを秘めているが為、迂闊うかつに接触するより今は様子をうかがった方が無難なのかも知れなかった。

 しかし少なくとも花音の目には、二人が危険な人物であるようには見えなかったし、何よりも自分にとって命の恩人であるのは揺るぎのない事実であった。


「――死んじゃ駄目だ、楓ちゃん!」

「……確かに死ぬほど疲れてはいますが、少なくとも瀕死ではありませんので、そんなに心配しなくても大丈夫です」


 花音が『たつや』と『かえで』の方に近寄ると、そんなり取りが聞こえてくる。

 激しい戦闘のせいで着ているメイド服は様々な箇所に破損が目立ち、その上、身体中のあちこちに細かな傷を負っている少女が気丈にも言葉を発する姿を、若者は痛ましそうな表情で介抱していた。


「あ、あの……」


 おずおずとした調子で、花音は『たつや』と『かえで』に向かって声を掛ける。

 すると二人が、接近してきた花音の方へと視線を向けた。

 無遠慮な二対の眼差しを受けた花音は、その雰囲気に一瞬たじろいでしまうが、意を決して言葉を続けた。


「お二人とも大丈夫ですか? その、危ないところを助けて下さり、ありがとうございます」


「ああ……うん、いや。俺は何もやっていないし別に怪我も負ってないから平気だよ。だから、もしお礼を言うなら彼女――楓ちゃんの方に言って欲しいな。俺も含めて君が助かったのは、ボロボロになりながらも楓ちゃんが命を懸けて化け物をやっつけてくれたおかげだからさ」


「……私は、別に誰かを救おうと考えて戦っていた訳ではないので、礼など必要ありません」


 花音の言葉に対し、達也と楓がそれぞれ応じる。


「ううん、もしお二人がここに現れなかったら、わたしは絶対に助かりませんでした。だからどんな理由でも、楓さん方がわたしにとって命の恩人なのは間違いありません。何も出来ませんが、せめてお礼だけはきちんと言わせて下さい。――本当にありがとうございました」


 改めて花音は気持ちを込めた謝辞を述べると共に、ポニーテールにまとめられた長い黒髪を揺らしながら、ぺこりと頭を下げてお辞儀をした。


「うん、分かった。じゃあ、その気持ちは素直に受け取らせてもらうよ。……ええと、俺の名前は宇賀達也って言うんだけど、ところで君は……?」


「あ、ごめんなさい。わたしは高城花音って言います。このスーパーの近くにある北小泉中学校の生徒で、災害・・が起こったあの日は学校に居ました。それから色々あって、どうにかここまで先生と一緒に逃げて来たんですけど、その後さっきの怪物に襲われて……」


 達也の問いに答える花音の面差しには、かげりが宿っていた。

 他方、顔色に濃い疲労の色をにじませた楓は、無言で花音の言葉に耳を傾けていた。


「先生? ひょっとして、あの化け物に殺された男の人の事かな。それは、心よりお悔やみを申し上げるよ。運が、きっと悪かったんだろうね。むごいと思うよ、こんな死に方なんてさ……」


 楓を両腕に抱えた達也が、花音を気遣うような語調で言うと、こうべを巡らせて床に転がっている喰い散らかされた無残な遺体の方へと目を向ける。


「…………ええ、確かにあんな死に方は最悪だわ。それに先生みたく、自分が生き残る為に誰かを犠牲にするやり方も、ほんと最ッ低」


 すると、花音もまた目線をかつての担任教師へと送りつつ喋るも、その口振りは酷く嫌悪に満ち冷たいものであった。


「高城さん、君は……」


 険を含んだ声音に思わず驚いた達也が、再び花音に顔を戻して声を掛けた途端、「ぉおォオぉぉ……」という、か細くも聞く者に鳥肌を立たせるような薄気味悪い声が、突如近くから沸き起こった。

 場の全員が、弾かれたように音の発生源へと視線を飛ばす。


「か、楓ちゃん! もしかして、アイツまだ生きて――」

「落ち着いて下さい。声の主は先程の化け物ではなく、別なです」


 慌てる達也をなだめる様に、腕の中に納まっている楓が落ち着いた語調でそう告げた。


「え? あ、確かにそうだね。……うーん、あんな鈍い動きならそんなに脅威はなさそうだけど、その代わり見た目のグロさは、トラウマになりそうなぐらい半端じゃないなぁ」


 直視に堪えない惨状に、達也が眉間に深い縦皺たてじわを刻みつつ言った。

 その目線の先には、既に活動の根源を絶たれた捕食者の“男”によって喰い殺された花音の元担任・・・が、生きた死者として息を吹き返したのである。

 全身を未知の病原体ウイルスに汚染された結果、かつて坂本修一という名の人間であった彼は、今まさに感染者ゾンビとしての食人欲求を満たそうと動き始めていた。

 但し、両手の五指や左右の腕を失い、更に顔面や腹部、脚部をも損傷及び欠損が激しい状態では、当然の如く俊敏しゅんびんな動作など不可能であった。


 神経に触る不自然な呻き声を発しつつ、感染者ゾンビとしてよみがえった坂本がうつぶせの恰好で床を這いずり、生者である三人の下へと少しずつ距離を縮めてくる。

 容積を減らしたき出しの臓物をこぼれ落とし、更に空洞と化した眼窩がんかの下に位置する口腔からゴボゴボとどす黒い血液を垂れ流しながら。

 匍匐ほふく前進しながら千切れた腕を虚空へと伸ばすその様は、まるで地獄に堕ちた亡者が神に救いを求めるようにも、罪深い死の咎人とがびとが生者に対して許しを乞うような仕草にも見えた。

 それはどこまでも憐れな姿であり、一方で只ひたすらにおぞましくもあった。


「……しょうがない。気が進まないけど、止めは刺してやるべきだよな。幸い、あの弱ったゾンビなら俺でも十分対応できるし、見知らぬ他人とはいえ、このまま放置するのは流石に気の毒過ぎるもんなぁ」


 疲れた表情で、ふぅっと息を吐き出しながら達也が言った。


「申し訳ありません。本来なら私が始末した方が効率的なのでしょうが、残念ながらこの身は既に限界らしく立つのすら覚束おぼつかない有様です。なので、宇賀さんに頼めますか?」


 すると楓が、達也の腕の中でその澄んだ漆黒の双眼を見上げるように動かし、次いで若干(かす)れ気味となった声音で淡々と喋る。


「うん、それは俺に任せて。けどさ、楓ちゃん。その呼び方に関してだけは、ちょっと異議を申し立てさせてもらうよ」


「……な、何故なぜですか?」


 だがその時、達也が妙に真剣な眼差しを楓の綺麗に小作りされた幼顔に向けつつ、物申したのであった。

 無論、楓はその事(・・・)について多分に思い当たる節がある為、思わず口元を引きつらせたまま、どもった声を出してしまうのだった。


何故なぜって、そりゃあ――」


 どうにも空々しい楓の問いに対して返事をしようとしたその時、達也は不意に自身の間近を何かが通り過ぎる気配を感じ、思わず言葉をみ込んだ。

 見ると、今まで達也のすぐそばにいたはずの花音が、ゆっくりと地面を這いずって移動している感染者ゾンビと化した坂本の下へ、迷いのない足取りで向かっていたのである。

 しかもそれに加えて、達也が使っていた六角バールを花音は途中で床から拾い上げると、それを右手に持ったまま、元人間であり、元担任でもあった男を見下ろす位置まで歩みを進めていた。


「た、高城さん?」


「…………」


 そんな花音の只ならぬ雰囲気を感じ取った達也が、白を基調とした半袖セーラーブラウスの背中に向かって声掛けするも、重たい沈黙が返ってくるのみであった。

 右手に下げたバールを強く握り締めながら、花音はずりずりと床を這う憐れな感染者ゾンビの姿を冷ややかに凝視していた。

 それに対し屍食鬼ししょくきと化した坂本の方は、“生”の芳香ほうこうに刺激されたのか、えぐり取られた眼球などお構いなしで花音を見上げると共に、新鮮な人肉を求めて上腕部分のみしか残されていない左腕を懸命に伸ばしていた。


「……あんたなんか……」


 ぼそっと語気を暗くして呟いた花音が、両手に持ち直したバールを大きく振りかぶる。

 その眼前で、吐き気を催す濃密な死臭をき散らしながら、血塗ちまみれとなっている感染者ゾンビの坂本が「おォオお……ぉオオおォぉ……」という不気味な声を喉元から絞り出していた。


「嫌い……!」


 陰鬱いんうつな絶叫が、花音の口かられた。

 それと同時に、渾身の力をめてバールを振り下ろす。

 ごっ、という鈍く、そして不快な打撃音が売り場内に響く。

 頭部の直撃を受け、坂本の身体に衝撃が走る。


「大っ嫌いよ……!!」


 叫びながら花音は再びバールを振りかぶり、続けて打ち下ろす。

 ぐしっと、薄気味悪い鈍重な感触が持ち手に伝播でんぱする。

 L字に曲がったバールの先端には、粘り気のある血液と毛の付着した頭皮がこびり付いていた。

 普段のあどけなさを残す柔らかな面立ちからは完全に掛け離れた、鬼気に歪ませた今の花音の相貌は、まさしく凄愴の一言に尽きた。


「お願いだから、死んでよッ」


 かすれた絶叫と共に、何度もバールが振り落とされる。

 がんっ、ごつっ、がごっ、めきっ、という異様な音の塊が立て続けに響く。

 偏執的な愛を強引に押し付けた末に、無理やり花音から唇を奪い、好き勝手に少女の艶やかな肢体を弄んだ坂本は、教え子の手によって着実に頭蓋を破壊されつつあった。

 だが、生きる死者はまだ活動を停止しない。

 ぱっくりと割れた頭部から多量の粘液を垂れ流しながらも、「ヴああ゛ぁア゛ァ……」という呻き声は収まらなかった。


「もう嫌ぁっ!」


 これまで押し殺していた感情が、一気に噴出していた。

 坂本に対する憎悪や嫌悪が。

 そして、平和な日常から何の前触れも無く叩き落されることになった、地獄の日々による過度のストレスが。

 その一方で、花音が淡い恋心を抱く男子が、自分ではなく親友を選んで逃げたという仄暗い嫉妬の感情が。

 それら全てが破壊衝動の原因となり、花音を狂気じみた行動へと駆り立てていたのであった。


 力の配分など一切考慮せずにバールを振り続ける花音だったが、当然そんな事ではあっという間にスタミナを消費し動けなくなってしまう。

 気付くと、花音は口を大きく開けて喘ぎながら、棒立ちになっていた。

 額から玉のような汗が噴き出て、ポタポタと止めどなく床へとしたたり落ちる。


 視野に映るのは、小刻みな痙攣を繰り返している物体・・

 原型を留めていない頭部の周囲には、血肉や皮膚、更に散らばった骨の破片や、白にピンクが混じった色彩が目立つ脳漿のうしょうの塊が床に広がっていた。

 脳を潰された感染者ゾンビの坂本は、この段階で既に活動を停止していた。

 しかしその光景は、真っ当な神経の持ち主なら確実に目を背ける程の、凄まじい残酷さに満ちあふれるものだった。


「う……ぶ……」


 極めつけの惨状と鼻を衝く生臭さの相乗効果により、我に返った花音は持っていたバールを地面に落とすと、こらえ切れずに体をくの字に折り、そのまましたたかに嘔吐おうとした。

 苦しさに加え、やり切れない思いが感情の奔流ほんりゅうとなって、無意識に花音の瞳から涙を強制させる。



「…………ほんと、最悪……」



 ポロポロと大粒の涙をこぼし続ける花音の口腔から、泥濘でいねいのような濁った声が途切れがちにれた。

 それから力なく床へと座り込む花音の姿を、達也と楓は一言も発することなく、只黙って見詰め続けるのだった。



 静かなスーパーマーケット売り場に、やるせない気持ちを抱えた一人の少女の嗚咽おえつだけが、いつまでもこだましていた―――

















大変遅くなりました。本当に申し訳ございません。

しかも、今回はほのぼのしたお話と前回のたまったのに、内容が全く違ってしまいました。

諸事情により今回は後日談みたいなお話になってしまいましたが、次回は間違いなくちょっとほのぼの? したお話にしようと思ってします。

仕事のトラブルと地獄のゴールデンウイークがやっと終わり、業務がようやくひと段落しましたので、また少しずつ執筆活動を続けていきたいと思っていますので、何卒宜しくお願いします。

また、お待ちして下さる読者様には多大なご迷惑をお掛けしたことをお詫びします。

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