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サンタの贈り物(パンツ)  作者: 稲荷竜
3/6

3話

 とはいえ、今日の僕には予定があった。

 学校が休みなのに朝八時から家を出たのも、その予定のためだ――クリスマス会が、二駅先(移動時間三十分)の街で行なわれるのである。

 ちなみになんでそんな場所で行なわれるかと言えば、そこが僕の通う学校がある街であり、クリスマス会の主要メンバーが僕のクラスメイトだからだ。


 なので、パンツの持ち主についての事情聴取は、誰も乗っていない電車の中で行なわれることになった。

 このロケーションには、非常に助かったと言えよう。

 何せ僕はこれから、パンツとじっくり、膝を割って話をするのである。

 パンツと話す男子高校生を見たら、人はどう思うだろうか?

 哲学者かな? と思ってくれるかもしれない。

 まあ、そういうことをしなければいけない時も、男にはあるだろう――と見守ってくれるかもしれない。

 あるいは、『ああ、俺もよくやるわ』という共感の念を抱いてくれることだって、あるだろう。

 だから、これから提示する、もう一つの『パンツと話す男子高校生を見た時のリアクション』については、ひょっとしたら少数派意見というか……うん、ぶっちゃけ、世の中に一人二人しかいないような対応なのかもしれないから、僕の心配しすぎという可能性だってあるのだけれど――

 通報されるかもしれない。

 日本の誰しもが知っている、しかし実際にかけたことはない、1と0のみで構成されたある種の美しさすら感じさせる番号をついにコールする機会を、他でもないこの僕が、他人に与えてしまうかもしれないという、可能性だ。

 通報する。

 これも、日常的ではない単語だろう――非日常だとすら、言える。普通に生きていれば、そうそう通報する機会などおとずれないし、仮におとずれたとしても、その場に同席している他の誰かに任せて、自分は事態を静観しようと思ってしまうかもしれない。

 通報する。

 その責任の重大さを正しく認識するならば、つい二の足を踏む行為だ。

 踏み出すには、何か、確信が必要で。

 パンツと話す男子高校生の姿には、他者に『ああ、これは通報してもいいヤツだ』という確信を与えてしまう力が、ひょっとしたら、あるのかもしれない。

 まあ、あくまでも可能性の話だ。

 そういった乏しいかもしれない可能性をつぶすのに、田舎町、クリスマス当日、朝八時の誰も乗っていない電車というのは、まさしくおあつらえ向きなシチュエーションだと言えよう。


「まず、持ち主に近付いても、はっきりとはわかりません。私は持ち主の姿を知らないので」


 事情聴取の始め、パンツはそんな無責任なことを言った。

 持ち主の姿を知らない。

 これほど恩知らずな発言が、まさかパンツからこぼれようとは、想像だにしなかった――つくづく思う。パンツからこぼれていいものなど、この世に一つだってありはしないのだと。


「でも、定期的に、少なくない頻度で見てはいるだろ?」

「何を言ってるんですか。パンツに目はないから、見てるわけないでしょ」


 ここで僕が、咄嗟に出かけた言葉を飲みこんだのは、賢明な方であればおわかりいただけただろうと思う。

 世の中には言うまでもないことというのが、存在する。

 たとえば『服装自由』の会合に向かう時、いちいち『でも全裸はダメだよ』という注意を受けたりはしないはずだ。

 全裸は服装には含まれない。

 バナナがおやつに含まれないように、それは、自明の理であり、社会常識であり、一般教養に分類されることなのだ。

 さらに言えば、局部を隠すだけの服装がアリかと言えば、これもまた、言うまでもないだろう。 ナシだ。

 イキかヤメかで言えば、ヤメだ。

 世間には当たり前の注意が抜けているのを見て、『だったら○○は禁止してないってことですよねえ(ドヤァ )』と得意がる人もいるかもしれないが、そんなことで得意がったところで、己の常識のなさを露呈し、周囲の人からの冷たい視線を誘うだけである。

 僕は、そうはなりたくない。

 当たり前のことをいちいちしたり顔で言うような人間にだけは、なりたくない。

 そう思って、十七年の人生を生きてきた――しかし、しかしだ。今、僕が懸命にこらえようとしている言葉は、僕が人生のすべてを懸けて貫いてきた決意をも、たやすくねじまげるだけの力を伴っていた。

 言いたい気持ちをこらえきれない。

 だから、言う。


「パンツには口もねーよ!」

「口のあるパンツもあります。ブリーフとか」

「お前はブリーフじゃねーだろ! 細かい分類をするなら、ショーツだ!」

「パンツにお詳しいですね。ショーツなんて言葉、咄嗟に出てきませんよ、普通」


 普通とか言われた。

 しゃべるパンツに、常識を語られてしまった。

 なんて非常識な状況なんだ。


「……とにかく、だったら、どうやってお前の持ち主を探すんだ?」

「ノーパンの人を見つけて声をかけていけば、そのうちたどり着きます。幸いにも、今のあなたはノーパンの人とそうでない人を、パンツの声によって見分けることが可能ですから」

「幸いにもという表現を使わないでくれ。僕にとっては不幸にもだ」

「では、不幸にも、ノーパンの人を探すのに苦労はいらないかと」

「苦労はないだろうが問題はあるし、問題を消化する必要がある。まず、状況を成立させるためには、お前を脱いだ後にお前の穿き主が新しいパンツを身に付けていない必要があり、次に、ノーパンの人をめざとく見つけて声をかけていく僕の今後の人生に配慮する必要がある」

「あなたの今後の人生は、パンツには難しくてよくわかりません。パンツには脳味噌もないですからね。難しいことなど考えられませんよ」


 人生でまさか自分がこのような気持ちになるとは、思ったことがなかったけれど――

 どうか、この感想一つで僕の品性を誤解せずに、今の心情と非日常的状況に置かれている僕の心労を充分におもんばかった上で、現在の僕の正直な気持ちを聞いてほしい。

 このパンツ、切り刻みてえ。

 穴だらけにしてやろうか。


「あなた、心情が顔に出やすいってよく言われませんか?」

「言われたことはないし、仮に言われるぐらいに顔に出やすくても、お前には目がないから他者の顔が見えないという話をさっきしたばかりで、ようするにお前に僕の内心を分析する手段はないはずだよなあ」

「比喩表現です。では、正確なところを申し上げますと、あなた、心情がパンツの中に出やすいとよく言われませんか? と申し上げようとしたのです」

「よく言われてるわけがない」


 よく言われるぐらい、僕はパンツの中を人に見られてそうな人間に思えるのか。

 どんなキャラクターだよ。

 表現だけ聞くとただの性犯罪者じゃねーか。


「ともかく、あなたも、あなたのパンツと同様、無口でポーカーフェイスを心がけるべきですよ。不穏なことを考えたら、すぐにわかりますからね」

「僕のパンツに対してポーカーフェイスとかいう表現を使わないでくれ。尻の下に常にフェイスを敷いてると思いながら今後を過ごしたくはない」

「先ほどからあなたは私の表現を規制してばかりですね。放送倫理委員会の人ですか?」

「放送倫理委員会という組織について詳しいわけじゃないが、パンツがしゃべってる時点でなんていうかもう規制がゆるゆるのような気がする」

「ああ、そうそう、今ので持ち主についての有益な情報を思い出しましたよ」

「今の発言のどこで思い出したのか、非常に気になる切り出し方ではあるな……」

「私はこれでも小柄なパンツに分類されますが、私の持ち主は、この私を穿いてすらやや余裕のある方でした」

「……つまり?」

「小尻です」

「ノーパンで小尻の人を探せばいいわけだな。一歩前進というわけだ」


 目指す地点が月なので、一歩前進したところでなんだという気にもなるが、嘘でも話が進んでる風の演出をしなければ、そろそろ僕の気が狂いそうだった。

 あれ、僕は一体何をしているんだ……?

 ひょっとして僕は、とっくに精神に異常をきたしているんじゃないか……?

 考え始めたら怖くなってくる。

 だが、逆に、考えてみてほしい。あなたの見ている世界が真実であるなどと、誰が保証してくれるというのか。

 あなたが目の前で見ている物は、あなたが認識している通りとは限らない――そもそもの認識が歪んでいれば、信じられるものなど、世の中に何もなくなるだろう。

 つまり、パンツがしゃべるという状況も実はありえるかもしれないということだ。

 あなたのパンツだって、あなたの知らないところでしゃべってるかもしれない。

 最近生地が薄くなってるのが悩みでさあ――とか。

 ご主人様ちょっと太ったわよね――とか。

 こんな不気味なたとえ話をしたのも、明日からパンツが穿けなくなりそうな気持ちを誰かと共有したいという僕のエゴだ。

 問題は、あくまでも僕の心の声なので、きっと誰も見ていないだろうという部分ぐらいだった。

 つまりパンツがしゃべるという状況に比べれば、何も問題はない。


「あ、目的の駅に着いたみたいですよ」


 パンツに言われて、気付く――そうだった。僕には目的地があり、目的があり、いつまでもパンツとしゃべったり自分の精神状態を確かめたりしているわけにはいかない状況にあったのだ。

 慌てて座席から立ち上がり、電車を降りる。


 都心部なので、それなりに人が多い駅だ――まあ、正確なところを申し上げれば、僕の住む県自体が田舎であるから、田舎の都心部ということで、そこまでの人はいないのだけれど。


 僕は、心底ここが田舎でよかったと思うことになる。


 なぜなら――

 周囲を歩く人たちから、声が聞こえてきたから。

 正確には、パンツの声が、聞こえてきたのだ。

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