2話
「持ち主とはぐれてしまったのです。ですが、きちんと近くに気配を感じます。どうか、どうか、一生のお願いですから、私を持ち主の元に返してください」
パンツの話によると、そういうことらしい。
いや、どういうことだ。
シチュエーションの当事者のはずが、現状がどうなっているのかまるでわからない――並々ならぬ分析力を要求される展開だった。
パンツがしゃべる。
まあ、ありえない話でもないだろう。
人間の一生は、今や医療技術の進歩により百年ほどにまで延びている。
百年あるのだ。
不思議なことに巡り会ったって、別にいいだろう。
そうじゃなきゃ、人生には夢がない。
パンツがしゃべる。
うん、まあ、いいんじゃないか?
いきなりファンタジー世界に召喚されて勇者したり、いきなり空から女の子が降ってきたり、いきなり異能力に目覚めてバトルしたりするよりは、幾分も現実的な展開だと言える。
むしろ、僕がこれまで少々運が悪くて巡り会わなかっただけで、クラスメイトたちはとっくにしゃべるパンツに出くわし、しゃべるパンツが主軸なりの、小さな一大スペクタクルを経験しているのかもしれない。
生きていれば、パンツもしゃべるさ。
そういうことも、あるだろう。
さて、ではこの普通にありえそうな『道ばたに落ちていたパンツがしゃべる』という状況の何が問題かと言えば、それはもちろん、パンツに持ち主探しを依頼されている点である。
パンツの容姿は、女性物だ。
三角形の、面積の小さい、リボンなどで飾り付けのされた、若い女の子のものとおぼしきパンツなのである。
つまり、持ち主はかなりの確率で、僕と同年代から上下誤差三歳ぐらいだろう。
十四歳から二十歳ぐらいということになる。
その、十四歳から二十歳ぐらいの女性を探し出して、僕は片手にパンツを握りしめ、こう言うことになるのだ。
「これ、あなたのパンツですよね? 道に落ちていたこいつに、あなたを探せって頼まれまして。いやあ、よかった。持ち主が見つかって。なあ、そうだよな、パンツ?」
これは社会的制裁を免れないね。
僕が女性の立場なら、恐怖を覚えて通報までコンマ二秒ぐらいだ。
ありていに言って、ありえない。
気持ち悪いを通り越して、肝が冷える。
コミカルなようでいてコズミックホラーだ。
人生経験の乏しい僕には、どんな顔してパンツの持ち主と対面し、どんな切り出し方でパンツを渡せば波風を立てないでいられるのか、まったく想像ができなかった。
「あの、考えるのはいいんですけど、まずは私を拾ってくださいませんか? 雪の上はさすがに寒くて」
「ああ、ごめんごめん」
と、パンツを拾う僕である。
……いやいやいやいや。
これは大悪手と言わざるを得ないだろう――拾いさえしなければ、パンツの声を聞かなかったことにして通り過ぎることだって、できたはずなのだ。
普通に考えて欲しい。
パンツはしゃべらない。
しゃべってたまるか。
百年生きようが千年生きようが、しゃべるパンツとでくわすことなんかねーよ。
無視して通り過ぎるのは、健全なる市民としてまったく普通のはずである。
むしろ、どんな理由があればしゃべるパンツを拾っていいのかの方が、わからない。
君子危うきに近寄らず。
触らぬ神に祟り無し。
パンツに触れなければ指紋がつかず、僕とパンツは無関係でいられたということだ。
クリスマスの朝八時。
道ばたにパンツが落ちていた。
そんなこともあったな――と思い出で済ませることだって、拾いさえしなければ、可能だったはずなのである。
それを拾ってしまった。
触ってしまった。
かかわってしまった。
僕はパンツを懐にしまった。
……いや、握りしめている姿を見られたら外聞が悪いと思ったからであって、やましい意図はちっともないけれど。
「ああ、あなたの懐……温かい……雪で湿った体が、生乾きになっていくのを感じます……人の心音って、こんなにも落ち着くものなんですね。私、知りませんでした」
「パンツだからな」
普通に過ごしていて、持ち主の心音を聞く機会など、ないだろう。
パンツは胸に穿かない。
常識である。
「ところで、私の持ち主を探してくださるんですよね?」
「……それについては、まだ少し、戸惑う気持ちがないでもないけれど……」
「でも、このままだと不便だと思いますよ」
「どういう意味?」
「私の持ち主を探すまで、あなたにはありとあらゆるパンツの声が聞こえるはずですから」
「は?」
「つまり、人の穿いているパンツの気持ちが、わかるのです」
「え?」
「サンタクロースからの粋な贈り物だと思ってください。メリークリスマス」
なんて言うか……
こういうこと、思うのすら、よくないと思うんだけれど……
ほら、サンタクロースっていうのはさ、いいおじさんなわけじゃない?
子供たちにさ、プレゼントっていうか……プレゼントを通して、もっと大事な物を与えてくれる聖人なわけだ。
わざわざ遠い雪国から、トナカイにソリ引かせて、世界中の子供たちに、愛や夢を与えてまわる存在じゃないか。
だから、その、非常に言いにくいのだけれど……
「サンタクロースは死んだ方がいいな!」
現在の僕の、素直な見解だった。