初めての街です。
おはようございます、潔です。
今朝はいろいろ報告があります。
始めに、昨日の足の怪我はベロニカさん作の魔女の薬で跡形もなくなっていました。でも、治療の際にされたセクハラは俺の心に羞恥という大きな傷跡を残してくれました。
次に、ある程度俺の行動が予想できるベロニカさんは、俺の部屋に素敵な目覚ましをご用意してくださってました。
その名も、カサカサ目覚まし。俺が起きる時間になると、なんと枕からカサカサカサととある虫の足音が鳴るんです。一気に覚醒して飛び起きたものの、驚きすぎて悲鳴もあげられませんでした。何が起きたか理解できず、そのことを起きてきたベロニカさんに話してみると、
「ああそれ。私が枕に仕掛けてあげた目覚ましよ。効くでしょ」
とそれはもういい笑顔で言われました。土下座して普通の目覚まし音に変えてもらいました。
最後に、朝食に作ったスコーンは割りと評価されました。以前調理実習で作ったことがあったし、これに至っては基本的な材料が変わらなかったので問題なし。ただ、紅茶が不味いと。淹れ方がよくないみたいです。これも勉強しなければ。
という感じで朝を過ごし、食器を洗って掃除を済ませ、いざお料理教室へ!というわけで外へ出ると、なんとゼルさんが待機してくれてた。
「おっはよおおおゼルさああああん!」
自分でも引くくらいのウザいテンションでゼルさんの腕に張り付くと、やれやれという感じに剥がされた。ゼルさん、早くも俺の扱い方がわかってきてる。
昨日とは違い、緩く握ったゼルさんの手の中に座り、指に抱き着く形で飛行してもらった。安定感があり、風景を楽しむ余裕もある。街には40分程でついた。ドラゴンはこの世界でも珍しい存在らしいので、街が見える程度の丘の上に下ろしてもらい、帰りもそこで落ち合うことにしている。
俺はそこから更に徒歩20分。街の門に着くと街に入りたい人達が既に列を作っていた。馬車やら大荷物を背負った人たちのなかに、一人軽装で紛れ込む。この人たちは長い時間歩いたり馬車でやって来たんだろうけど、俺はゼルさんに乗って快適に快速でやってきた。だから格好もいつもの服にベロニカさんから預かった手紙とお金が入ったショルダーバッグのみ。しかも俺が若いせいか、浮いてる。
やっと門の近くまで進んだ。ここまで来ると街の中がよく見える。レンガ造りのおしゃれな家が、整備された街道の脇に建ち並んでいて、まるで映画の中みたいだ。
「おい、身分証を出せ」
一人テンションを上げていると、門番の兵士さんに声を掛けられてしまった。ああ、ここで身元確認をしてたから皆並んでたのか。しっかし、兵士さん重そうな甲冑着てるなぁ、暑くないのか?……いや、かっこいいけどね?
それより、身分証なんてものがあるのか。向こうの世界にもあったけど、今は学生証なんて持ってないし、それらしいものはベロニカさんのトレードマークらしい鍵の模様が入った手紙だけ。
取り敢えず、俺がベロニカさんの知り合いだってことが分かれば街に入れてくれるかもしれない。そう思い、お料理教室の先生宛の手紙を兵士のお兄さんに見せた。
それを見たお兄さんは最初は顔をしかめたが、何が目に入ったのか、急にあわあわし始めた。
「誓約の魔女の紋章……!君、魔女ベロニカの使いか何かかい?」
話ながら落ち着いたのか、周りの視線を気にしたのか、お兄さんは真剣な顔つきで聞いてきた。お兄さんの声を聞いた周りの人達が「ベロニカさんの?」「ベロニカ様がなんだって?」と騒ぎ始めた。おお、ベロニカさん有名人。
「俺はベロニカさんのパシリです。料理を習うために街に来ました」
「ぱしり?料理人か?」
「あ、ただの召し使いです」
そっか。この世界でパシリは通じないのか。しかし、パシリよりも召し使いって自己紹介する方が何だか屈辱的だ。普通にそういう仕事もあるって分かってるけど、俺の中での召し使いのイメージがベロニカさんというご主人様に苛められるための存在という認識になりつつあるのだ。まだパシリの方がマシな気がしてならない。
兵士さんは街には入れてくれそうな様子なので手紙をバッグに仕舞うと、兵士さんはざわつく周囲を見て咳払いした。周りの人たちはまだ少しざわざわしながら街の中に入っていった。
「ベロニカさんの召し使いか。初めて見るな」
「召し使いになったの、つい最近なもんで」
「そうか。ゆっくりしていくといい。この街の人間はベロニカさんには世話になりっぱなしだからな。その縁者と分かれば相応にもてなしてくれるだろう」
おお、ベロニカさんはこの街を贔屓にしているらしい。兵士のお兄さんは「何かあったら言ってくれ、俺は大抵ここにいるからな」と言ってくれたので、そのなにかがあったときは一番に頼らせてもらおう。
兵士さんに手を振って別れると、正門から街道を真っ直ぐに歩いた。この街道のどこかに一風変わった緑レンガの食堂があるという。そこがこれからお料理教室の先生になるヴァルド・ジーキンスさんがやっている店、『宿り木亭』だ。
宿り木亭はすぐに見つかった。お昼には随分早いが人が入っているし、何より目立つ。向かいのドーム型の大きな建物も目立つが、赤いレンガの家が多い中で緑のレンガというのが一段と目を引く。
そろりと入り口から中を覗いてみると、やたらとガタイのいい男たちが日も高いのに酒を煽って談笑していた。男たちは足元に剣やら槍やら、あからさまな武器を置いていて現代っ子な俺には少し近寄りがたい雰囲気を出している。
「いらっしゃい!そんなとこ突っ立ってねーで入んな!」
張りのいい声がカウンターの奥から飛んできて目をやると、そこにもまたガタイのいいおっさんが。着ている白いエプロンが浮きまくるくらいの筋肉に濃い顔。エプロンよりでかい剣を持つ方がお似合いな風貌だ。
「こんにちはー。たぶん手紙が来たと思うんですけど、ベロニカさんの召し使いで料理習いに来ました、潔 稲波です」
ベロニカさんの名前を出した途端に静まる店内。そのなかを突っ切ってカウンターの前に立つと、エプロンのおっさんがニカッと笑った。
「また召し使いなんてらしくない小綺麗な坊っちゃんが来たもんだな。確かに話は聞いてる。俺がこの店の店主、ヴァルド・ジーキンスだ、宜しくなイサギ」
「うっす、宜しくお願いします、先生!」
負けじと体育会系な返事をすると、ヴァルドさんに豪快に笑われた。何故だ。
「先生なんて呼ばれたのは初めてだ!いいねぇそれ!」
あ、反応したのはそっちですか。こんなひょろひょろが気合い入った返事するから笑われたと思っちゃったよ。駄目だな被害妄想。
ヴァルドさんこと先生に連れられ厨房へと入っていく。客の男たちが俺のことをじっと見てる気がするけど、振り返ったらそれはそれで負けた気がするから意地でも無視した。
厨房にはよく使い込まれた調理器具が所せましと並んでいた。銀のシンクにはこれから洗って皮を剥くところの芋、レンガの調理台に敷かれたまな板の上には、頭を落とされた青と緑の綺麗な魚が横たえられている。
「早速だがイサギ、おめぇ料理はどれくらい出来んだ?野菜の皮剥き、魚捌いたりは出来んのかい?」
「そらくらいなら出来ますけど、食材の正しい処理方法とか特徴はからっきし。調味料の使い方は基本的な塩、砂糖、胡椒以外は使えないです」
改めて口にしてみると散々だ。これでも火事はそこそこ出来て、料理に至ってはほぼ毎日朝食に夕飯、弁当まで作っていたから高校生にしてはいい腕をしていると自負してたんだけど。食材や調味料に関する知識がないと、これだけ何も出来なくなってしまうのか。
「基本が出来んなら本とかで勉強も出来たんじゃねぇか?わざわざこんな遠い所まで来なくったってよ」
「俺、ずっと遠いところの田舎から出てきたんで、字の読み書きが出来ないんですよ」
「ああ、だから黒髪黒目か。この国にはねぇ色だ」
これはベロニカさんからの注意を受けて、そういう設定にしている。いくら俺が異世界からやってきたと言っても、そんなことは殆ど前例がないことらしい。だから異世界の存在はお伽噺程度に知られていても、実際にそこから人が来たなんて誰も信じないそうだ。仮にそれを言って信じられたとしても、どっかの誰かに拐われて見世物小屋に売り飛ばされる可能性もあるとか。怖や怖や。
というわけで、申し訳ないが先生にも嘘をつく。これも俺が売られないためだ、分かってくれ先生。
「そんじゃあ、ぼちぼち始めるとするか!」
こうして、先生によるお料理教室が始まった。