万事休すを体験しました。
うおお、かっこいー……。
衝撃的なドラゴンの登場に呆然としていると、ドラゴンが徐にこちらを見た。さっきの狼たちとは違い、その目には理性が感じられる。俺を観察するような視線。
もしかして、狼が池に入ろうとしなかったのはこのためか。ドラゴンがよく来るような場所と分かっているなら、好き好んで近寄ろうとはしないだろうし。
……と、ぼーっとしてる場合じゃなかった。取り敢えずコミュニケーションを取らねば。こんなのに噛み千切られたら大変だ。
「えっ、と。もしかして、ベロニカさんの、使い魔、さん?」
「?」
あ、首をかしげられた。仕草は可愛いが言ってることは理解されてない模様。
「ちょっとね、街まで乗せてってくれる使い魔さんを探してるんだけど、どう?やってくれない?」
「??」
駄目だ、伝わらない。
敵意がないだけいいけど、言葉が伝わらないのも問題だ。これじゃあコミュニケーションの取りようがない。うんうん悩んでいるとくしゃみが出た。ぶえっぐじゅ、なんて不細工なくしゃみをすると、何を思ったのか、ドラゴンが顔を近づけてきた。鼻をすんすんさせながら俺を強めにつついてくる。
「うわ、なんだなんだ」
つつかれるままに移動すると、池の縁に追いやられた。俺が陸に上がるとドラゴンは満足したようで、鼻をふんすと鳴らした。俺がくしゃみをしたから、気を遣って陸に進めてくれたらしい。
この世界に来て初めて純粋な優しさに触れた気がする。
「ありがとな、ドラゴンさん。見た目と違って優しいや」
見た目は恐そうなんだけど、なんとも気遣いの出来るイケメンだった。いや、雄なのかは分かんないけど。たぶん雄な気がするけど。
ドラゴンさんはゆったりと水に浸かり始めた。ここがお気に入りなのだろうか、長い尻尾の先を水面から出してぱしゃぱしゃしている。
「ドラゴンさんさぁ、いっつもここに来てんの?」
俺も池の縁に座り、びしょ濡れになった服を脱いで絞る。俺が話すと喋らずともドラゴンさんが反応を返すから、話したくなってしまった。
「俺さ、昨日、かな?違う世界からこっちの世界に来たんだけど、こっちの世界って魔法使えるんだね。俺がいたところはたまに胡散臭い超能力者はいたけど、魔法使いはいなかった」
ブーツを逆さまにすると、水がボタボタと落ちた。皮のブーツだったから布とは違ってそこまで重くなった感じはしない。
「それなのに、いきなり家に魔女が現れて、前世の借金返せとか言われて、いきなりこっちの世界連れてこられて。実はすっごい吃驚してんだ」
順応したように思ってたけど、やっぱりちょっとストレスがあったようだ。合ったばかりのドラゴンさんに愚痴っちゃってるのが何よりの証拠。
ドラゴンさんは俺の愚痴を黙って聞いていた。何を言ってるのか分かってないと思うけど、それでも黙っていてくれる。それがまた嬉しいし、つい話してしまう。
「でも、悪いことばっかりじゃないんだ。あっちにいたら経験できないようなことがこの世界で待ってると思うと、凄い楽しみだし、ベロニカさんも悪い人じゃないのも分かる」
スーパーモデル系美人魔女のベロニカさん。ちょっと厳しいとこがあるけど、それは俺が料理出来るようになったらそこまでじゃなくなると思う。
「そうだ!こっちの世界にいたら、俺も魔法使えるようになんのかな?練習したらベロニカさんみたいにスプーン飛ばせるようになったり」
あ、スプーン飛ばすのはいいや。あれはただの凶器。火を出したり、風を吹かせたり、何かの役に立つようなのがいいな、うん。
「あ!ドラゴンにも初めて会ったんだ。向こうの世界にはドラゴンはいないし、空想の動物だったからさ。ドラゴンさん、かっこいいよな!爪とか角とか強そうだし!でもさりげない気遣いとか出来ちゃうの、イケメンか。ただのイケメンかチクショウ」
ついでにさっき思っていたことも口に出すと、僻んだのが伝わったのか生暖かい目を向けられた。
それから一時間は一方的に話続けた。ドラゴンさんはたまに鼻を鳴らしたり、尻尾で水をかけたりしてきたけど、水に浸かったまま話を聞いてくれてた。ドラゴンさんからしたら、なーに喋ってんだろーなコイツ、くらいにしか思ってないんだろうけど、それでも聞いてくれるんだからそれが嬉しかった。
「あ!そろそろベロニカさんの使い魔探さないと。今日中に見つけないと怒られる」
このドラゴンさんが使い魔なのかどうかは分からないけど、もし使い魔だとしても街への送り迎えを頼むのは申し訳ない。そのくらいかっこいい。例えるなら、たまたま新幹線で相席したイケメンのお兄さんと降りる駅が一緒で、ついでだから家まで送ってくださいよって言うくらいの図々しさがある。
無理だ。俺にはそんなことできない。
仮にもし、俺が超美少女で右も左も分からない異世界に一人で放り出されて、途方にくれていたのだとしたら図々しくないかもしれないけど。
非常に残念ながら俺は男で、しかも魔女のご主人様がいるパシリで、一応住む家もある。
……無理だ、こんなイケメンに俺ごときがそんな大それたこと言えるわけがない……!
そうだ、まだ探せばいるはずさ。大丈夫だ俺。日が沈むにはまだ……二時間くらいはあるだろ!
「じゃあなドラゴンさん。たぶんまた来るよ!」
ドラゴンさんに別れを告げ、来た道を引き返す。引き返したつもりだが、はて。俺はここを通っただろうか?
来るときは狼に追われて必死だったから、周りの様子なんて確認する余裕はなかった。つまり、来た道を覚えていない。只でさえどこを見ても同じような木ばかりの森の中。
俺は迷子になってしまった。
「……まぁ、適当に歩けば出られるでしょ」
その事実をなかったことにした。
ひたすら歩くこと一時間。狼に出会わないように慎重に歩を進めたが、狼どころか鳥一羽すらいない。
ざわざわと葉が擦れる音しかない森に、傾いた赤い日が差し込み始めた。
不味い。これは非常に不味いぞ。
もし自分でお供を見つけられなかった場合、ベロニカさんの選んだ使い魔によって明日からのお料理教室までの移動だけで、がっつり体力を削られてしまう。そんな移動に体力を奪われる通学は避けたい。
しかも、問題はそれだけではない。
帰り道が、完全にわからなくなってしまった。
右を見ても左を見ても、あるのは同じような風景。コンパスなんて気の利いたものは持っていないし、所持品といえば服とお昼ご飯がてら貰ってきた紫色の果物がポケットにひとつ。なんの役にも立ちやしない。
冷や汗をかきながら森をさ迷うこと更に30分。やってしまった、俺。なんてついてないんだ、俺。
あの狼4匹に、再会。
双方目があった瞬間に動き出した。俺は全力で逃げる。もう方角とかは二の次で。とにかく後ろから来る恐怖に追い付かれないよう、必死で足を動かした。今更だが、狼と追いかけっこできる俺の足の速さ、なかなかのもんじゃないか?
と、現実逃避できたのはここまで。さっきみたいにちょうどよく池があって逃げ込むなんてミラクルはもう起きない。じわじわと近づいてくる足音。木に登ろうにも、地上5メートル以上からしか枝分かれしていない木に登っている途中で足を噛まれて引き摺り下ろされるのがオチだ。
流れる冷や汗はさっきの何倍か。足音との距離はもう1メートルもない。狼の息遣いさえ聞こえる距離。
追い詰められ過ぎて、急に魔法が使えるようになったりしないかとも思ったが、残念ながらそれはないらしい。試しに「火ぃ出てこいぃぃぃ!!」なんて叫んでもみたが、ただ恥ずかしい思いをしただけだった。
手詰まりだ。そう思ったとき、また少し開けた場所に出た。夕暮れに染まる空を見上げた瞬間、服の裾を噛まれて引っ張られた衝撃で勢いのままに転んだ。素早く狼達が俺を取り囲み、そのうち1匹が足に噛みついてきた。
「いってえ!!」
「キャウンッ」
土壇場で殴り、足は離されたものの牙が刺さったところから血が出て、ズボンが真っ赤に染まる。痛いが動かせない程じゃない。でも、さっきのようには走れない。
万事休す、とはこういう時に使う言葉か。
せめてもの抵抗に狼を睨んでいると、さっきまで唸っていた狼たちがピタリと声を止めた。何かに怯えたように視線をさ迷わせ、一斉に上を向いた。
上?何かいるのかと思って俺も空を見上げると、朱色の空にポツンと、青い翼が見える。鳥に似ても似つかないそのシルエットは、頭上をくるりと旋回したのち、ここに向かって一気に急降下してきた。見覚えのある鋭い翡翠の瞳が、見覚えのない怒気を孕んでいた。
「グオアアアア!!」
降下しながらのひと吼え。それだけで狼は我先にと逃げ出して行った。
神だ。救世主だ。これだけタイミングいいってどういうことすか。
「……ドラゴンさんがイケメン過ぎてマジ惚れる」
じくじく痛む足を押さえながら、ゆっくりと降り立ったドラゴンさんに笑いかけると、「グルル」と鳴きながら傷に顔を寄せてきた。
心配してくれてるみたい。
「ありがと、ドラゴンさん。ほんと助かったよ」
寄せられた顔に手を触れると、鱗はひんやりと冷たかった。そんな俺を見て目を細めるドラゴンさんの目には、さっきみたいな怒りはもうなかった。
そして、何を思ったのか、ドラゴンさんは大きな前足で俺の体をがっちり、でも潰れないよう爪を立てないように掴むと、そのまま羽ばたき出した。
「え、ちょっと待って。このまま飛んじゃう?初飛行しちゃうの?てかこの体勢で飛ばれるのはちょっと、怖いと言いますか……。いや決してドラゴンさんを疑ってるわけじゃないんですが、これ落ちたりしたない?落ちたりしないよね待ってマジで飛ぶの怖い怖いこわあああああ!!」
俺の叫びも虚しく、ドラゴンさんと初飛行しました。空から見る夕日はどこの世界も同じだなと感動するくらい綺麗だったけど、ドラゴンさんに掴まれてるだけの不安定な状態でそんな感傷的になる余裕もなく、あっという間に森を抜けた。