修業に出されるみたいです。
「……まずい……」
ベロニカさんが恐ろしく低い声でそう囁いたのは、俺が作ったお昼ご飯を食べていた時のこと。
そんなに不味くはないと思うんだけどなぁ。きっとベロニカさんは舌が肥えてるんだ。この家は豪邸って訳じゃなくて、二人で住むには広いくらいなもん。でも、それに関わらずベロニカさんは普段からすっごい高級なもの食べてそうなイメージがある。
そんなベロニカさんに適当に作った炒飯を出した俺が悪いのか。なんだか変な色の野菜と、何の肉かも分からないハムを使って、初めて見る調味料をふんだんに使ってしまったのが原因か。冷蔵庫っぽいものを開けたときの衝撃は凄かったな。これぞ異世界!って感じの意味の分からない食材?がぎっしりだったし。
味に煩い克己叔父さんにも好評だった炒飯なので、そこそこ自信はあったのだが、やはり調味料を適当に使ったのが不味かったか。見たことのないものだったから使ってみたくなっちゃったんだもんね。
そうしてある意味、実験台にされたベロニカさん。
「これ、ちゃんと味見したの?」
「してないですよ?」
「……なんでよ?」
「やー、俺にも想像できない味になっているだろうから、やっぱりここはベロニカさんに最初に食べて貰って感想をと」
おっと危ない!スプーンが飛んできやがった。なんとか避けたが、スプーンは俺の後ろの壁に突き刺さった。なんてこった。
「だって、食材も調味料も初めて見るものだらけだったんですよ?それ使ってまだ食べれるものが出来たんなら出だしはオッケーじゃないですか?」
「仮にも仕えてる主人に出せるレベルの料理じゃないでしょこれは!!」
まずい!ベロニカさんがお怒りだ!頭を守るように抱えて防御姿勢をとる。スプーンの次は何が飛んでくるか分かったもんじゃない。
「はぁ……。召し使いを雇うにも、まずは教育が必要か」
「あ、料理はともかく、掃除洗濯は大丈夫だと思われます!」
「それも出来なかったら貴方なんか売り払ってるわよ!」
危ねぇ!危うく売られるところだったわ。ところで何処に売られるんだろ。奴隷商とかあったらそこなのかな。……それはやだな。
まだ見ぬ奴隷商の存在にガクブルしながら、ベロニカさんを怒らせるのは出来る限りの控えようと心に誓っていると、当のベロニカさんは炒飯の皿を避けて何やら手紙のような物を書き始めた。勿論、俺には書かれている内容はさっぱり分からない。この世界の文字なんて読めないからね。
ベロニカさんの手元をそっと覗いてみるが、やっぱり何が書かれているかはわからない。分かるのは横書きだってことと、高そうな便箋だなってこと。
「何書いてるんですか?」
「知り合いの料理人に、貴方の教育を依頼する手紙よ。ここから程近い街のお店だから、明日の朝から行ってこの世界の料理を教わってきなさい」
「えっ!いいんですか!?」
外出許可出たー!しばらくはこの家から出られず、ひたすら家事しなきゃいけないもんだと思ってたから余計に嬉しい。
というか、こんな見渡す限り平原と森しかない場所の近くに街があったんだ。でも、見えないってことはそこそこの距離があるのでは?
「徒歩でどのくらいかかるんですか?」
「なに?歩いて行くつもりなの?片道6時間はかかるわよ」
「遠っ!それ近くないですよね!?」
ベロニカさんにとっては徒歩6時間の距離は近いのか……。無理だよ片道で6時間とか!車……はないかもしれないけど、馬とか乗って行けないかな?でも乗馬経験なんてないし。乗ったところですぐに落ちそうだ。
「歩いて行ったりしたら疲れて料理を教われもしないじゃない。私の使い魔を貸してあげるから、それで街に向かいなさい」
「おおお、使い魔とか。魔女っぽい」
「だから魔女だって言ってるでしょ。さっきのスプーン分裂させてもういっぺん飛ばしてあげましょうか?」
「あ、結構です」
手紙を書き終わったのか、便箋を封筒に入れた。すると開いていた窓から鳥が入ってきた。翼を大きく広げれば1メートルはありそうな大きな鷲だ。ただ、嘴が金色だ。鷲は封筒が入るくらいの鞄を首から提げている。
ベロニカさんはその鷲が持っている鞄に封筒を入れた。そして鷲の頭をひと撫ですると、また窓から外に出ていった。
「あの子も私の使い魔。家の外にも少しいるから、好きな子を連れていきなさい。中には気性の荒い子もいるから、下手に近づくと噛み千切られるかもしれないけど」
「噛むならまだしも噛み千切られるの!?」
確かに、さっきの鷲に噛まれたらそのまま千切られそうだけど。そんなのが外にもいるなんて。しかもその中から移動に使えそうな奴を連れていけなんて。徒歩で行った方がマシだろ。
「徒歩で行くつもりなら、私が適当に選んだ子に縛り付けて行かせるけど」
……自分で選ぶしか選択肢がない。
ベロニカさんに脅され取り敢えず外に出た。お昼ご飯代わりに持たされた紫色の洋梨のような果物を3つ持って。
家の外にいるとは言っていたけど、何処にいるやら。家の横に立つ木を見上げてみるが、そこには何もいない。こんな開けた場所で見当たらないんなら、どこか森にでも行ってしまったのかもしれない。
仕方なく森の方に向かって歩きながら果物をかじる。僅かに酸味がある甘く、口当たりのいい果物だ。林檎に近い。春のような心地いい陽気の中、歩きながら食べながらも眠くなるという現象に悩まされつつ、森にやって来た。森と言っても日の光が所々地面まで届いて明るいし、足元の草の背も低い。よく風の通る気持ちのいい森だ。狼なんかが出てきたらさすがに焦るが、リスとかタヌキとか、そういう無害そうな動物しかいないように思えてしまう。
行く当てなどなくふらふらと歩いていると、やってしまった。狼に出くわした。しかも俺が知ってる狼じゃない。角だ。額に立派な角が生えている。そんな狼が4匹、こちらを向いて唸っている。
まさかあいつらがベロニカさんの使い魔……なわけないか。理性とか知性とか、あの鷲から感じられたものはこいつらにはなさそうだし、何だかもう捕食対象として見られている気がする。
不味い……非常に。力はないが足はそこそこ速いのが自慢だったが、相手が狼となると話が別。あっという間に追い付かれて囲まれてのバッドエンドが頭をよぎる。でも逃げる以外の選択肢は、ない!
木の少ない開けた方を目指しひたすら走る。後ろから追ってくる軽い足音が恐怖を煽り、いつも以上に足が速く動いた。今までで最速かもしれない。夢中で走っていると視界から急に木がなくなり、明るくなった。目の前には大きな池がある。何も考えていなかったのか、それともバカなのか。俺はそのままの勢いでジャンプして池に飛び込んだ。狼が泳げないわけでもないのに。
だが、後ろを振り向くと狼たちは池の縁でうろうろしたまま、池に入ろうとはしない。そしてそのまま森へと帰っていった。
バクバクする心臓を押さえながらゆっくり深呼吸し、そのまま仰向けに浮かぶ。
…冗談抜きで、死ぬかと思ったわ。
全力で走ったために足が痙攣している。少しここで休憩していこうと、水に浮いたままぼーっと空を眺めていると、何かが飛んできた。そして、池のど真ん中に落ちた。
「うおわっ!」
ドボォン!という音と共に、静かだった池に大きな波が立つ。波に巻き込まれて一度は沈むも、なんとか水面に顔を出して落ちてきたものを確認すると、それは20メートルはあろうドラゴンだった。
ロイヤルブルーの綺麗な鱗に、大きな翼。目は翡翠のような透明な薄い緑色。童話やゲームにしか存在しなかったドラゴンが、俺の目の前にいた。