魔法が使える世界らしいです。
カーテンの隙間から覗く空は綺麗に晴れて、遠くに真っ白い鳥が二羽、遊ぶように飛んでいった。
見覚えのないこの部屋には、自分が横たわっているベッドの他に、おおよそ俺の趣味にはないような植物の彫刻を施された小さなテーブルに、椅子。男が服を仕舞うには十分なサイズのクローゼットがあるのみ。
広さは八畳ほどだろうか。者が少なくて広く見えるが、そのくらいだろう。
はて、俺は何故、こんなところで寝ていたのだろうか?
もう日は高くなりつつあるし、そろそろ学校に行かないと遅刻常習犯の俺はまた担任教師によるペナルティで放課後にトイレ掃除をさせられてしまう。しかも終わるまでしっかり監視されるから、逃げようがない。
よっこらせとベッドから降りると、服がブレザーを脱いだだけの制服姿。このまま寝てしまったなんて。腰についたベルトの跡が赤くなって、地味に痛い。
ところでここは何処だろう。カーテンを開けると、そこは見渡す限りの平原。遠くに森のようなものが見えるが、何キロ先にあるのだろうという小ささだ。
「……日本には見えない広大さ。ど真ん中で昼寝してえ」
おっと。起きたばかりだというのに早くも昼寝願望が。こんなことでは学校に行ったところで教師陣によるペナルティ祭りの標的にされてしまう。
そうなる前にいかにうまく逃げるかが肝なのだが、最近になって己の保身のために俺の逃走経路に立ち塞がる友人が出てきやがった。裏切り者め!
しかし、
「こっからどーやって学校行けばいんだろ」
「何言ってるの。学校なんて行ってる暇があったら、私の為に働きなさい」
あれ、幻聴かな?
いつか、俺を養ってくれてる叔父の克己さんに言われたのと同じような内容が聞こえたぞ。そういや克己さん、昨日帰ってこなかったな。彼女さんとこ行くんだったら電話してって言ったのに。
「いつまで思考をトリップさせてんのよ。さっさと着替えて紅茶を淹れなさい。これからは毎朝6時に起きてスコーンを焼いて、私が起きる時間に合わせて紅茶を淹れておくのよ」
ペシン!といい音を発して後頭部に衝撃が。振り向くと、なんだか見覚えのある高身長のお姉様が。
「……あ!ヤミ金のお姉さん!」
「いつまでそのネタ引っ張ってんの!」
そしてまた頭を叩かれる。解せぬ。
俺を叩いて少しスッキリした顔のお姉さんは、昨日とは違ってゆったりと髪をサイドに結っていた。服も足首まである白いワンピースのようなものを着ていた。……あ、寝間着か。
「クローゼットに着替えを用意してあげたわ。それに着替えて」
「え、先にシャワー浴びたい」
「貴方、自分が召し使いだって自覚ある!?」
なんだかもう怒りを通り越して呆れ顔のお姉さん。だってさ、考えてもみてよ。俺昨日、このまま寝たんだよ?風呂入んないと汚いじゃん。綺麗に一日を始めたいじゃん。
「……お風呂はこの部屋を出て左に行った突き当たりよ。タオルも置いてあるから、備え付けのものは適当に使いなさい」
「ありがとーございまー」
朝風呂の許可を頂いた。でもゆっくり浸かってると学校が。
って、学校への行き方が分からない。
「お姉さん、ここから学校ってどうやって行くの?」
「は?行けるわけないでしょ?ここを何処だと思ってるのよ」
え、何処なんでしょう?
「ここは貴方がいた世界とは違う世界よ。ほら、ゲームとか小説でよくあるような魔法が使える世界」
「やばいよ、ガチな中二病患者に会ったときの対処法なんて俺知らない」
「誰が中二病かっ!!」
「ぐえぅっ!」
お姉さんが叫んだと同時に俺の視界が180度回転。気づいた時には頭が床についており、続いて重力に負けた身体が床に倒れた。
何が起きたのかは分からないが、視界が回転しながらお姉さんの人差し指も回っていたのは覚えている。
打ち付けた背中を擦りながら床に座ると、昨日と同じようにお姉さんに見下ろされ、しかも嘲笑されていた。
「魔法のある世界と言えど、それを扱える人間は少ない。中でも私ほど魔法を使える者は数えるほどしかいないわ」
「おわわっ」
お姉さんが俺を指差し、また指を回した。それに合わせて俺の体も重力を無視して回る。そして目も回る。
「イサギで遊ぶくらい、指一本あれば十分よ」
「わかりました!わかりましたからそろそろ止めて!マジで吐く……!」
やっと床に下ろしてもらった頃には目と頭がぐわんぐわん回り、座っても床に両手をつかなければならない始末。なんて恐ろしいお姉さんだ。
「そういえば名前、教えてなかったかしら?私はベロニカ。誓約の魔女ベロニカよ」
なるほど。お姉さんはベロニカというらしい。なんだか妙にしっくりくるお名前だ。マーガレットとかチェリーとか、そんな可愛い名前が出てきたら噴き出すところだったわ。
……チェリーって俺じゃん……。
「じゃあ、ベロニカさん。俺は元の世界には帰れないの?」
「出来ないことはないわ。ただ、私ほどの魔女が異世界に渡る術式だけを立てるのに丸80年掛かるくらいの超高等魔法よ?」
「……そこまで元気で待てる自信はないっす」
そんなよぼよぼお爺ちゃんになってから元の世界戻っても仕方ないな。向こうだって80年も行方不明だった人間がよぼよぼした状態でいきなり帰ってきたって困るだけだろうし。
大人しくこの世界に骨を埋める覚悟でもした方がいいってことだろうか。
……いや待てよ?そいやここって誰もが一度は憧れる魔法の世界よ?科学発展したあっちの世界じゃあ考えられないようなものがたくさんあるかも。ドラゴンとかいたりもすんのかな?立派なお城に王様が鎮座してたりとかもすんのかな?
それはそれで、とっても楽しそうだ。
「言っとくけど、貴方はあくまで私の召し使いだからね?文無しの癖に観光とか考えてんじゃないわよ」
「ぐっは、そうだった!俺、財布置いてきちゃった……!」
頭を抱えて悶絶するが、日本円があったところでこっちでは使えないか。
ところで召し使いって何するんだろう?家政婦さんみたいに家事すればいいんかな?今のところ、俺が頼れるのはご主人様(仮)であるベロニカさんだけなわけだし、下手に逆らってここを追い出されでもしたら、文無しで腹へっての垂れ死にそうだ。どうやらここは俺の部屋として提供してくれるみたいだし、住居と仕事をくれるということは生活を補助してくれる気もあるのだろう。
誓約の魔女であるらしいベロニカさんが、どんな魔法を使うのかも気になるし。
「あら、意外に素直ね。もっとごねるかと思ったわ」
「結構適当な性格してる自覚あるんですよ、俺。今まで通りの高校生活もいいけど、魔法つかえる世界での生活の方が圧倒的に面白そうじゃないですか」
俺は日常に変化を求めるタイプなのだ!
両親が死んで5年は経つのに、頼れる親族は克己叔父さんだけで、いつまでもお世話になる訳にもいかなかったし。考えてみればこっちでの生活にもメリットが多い。
「おおお!なんだか楽しみになってきた!」
「一人でテンション上げるのはいいけど、さっさとシャワー浴びてお茶を淹れて頂戴。また眠くなっちゃうじゃない」
「かしこまりましたー!」
俺の召し使い(パシリ)生活は、こうして始まった。