ベロニカは思う。
イサギをこの世界に連れてきてもう3週間が経とうとしている。
80年の歳月を掛けてやっと完成した異世界への移動魔法。行き先と時間を細かく設定したせいで随分と時間が掛かってしまったけれど、私だったからこの程度の時間で成功できたようなもの。一般の魔術師が何人集まってやったところで、多大な時間を掛けて術式を完成させても不発に終わらせるのが関の山だろう最高難易度のこの魔法。
逃げたイサギを見つけるまでに20年、連れてくるまでに80年なんて、今思えばよくやったものだと呆れてしまう。
そこまで執着して連れてきたというのに、当の本人は相変わらずのマイペースさで日々を過ごしていた。
前世とは違ってこの世界では珍しい黒髪黒目に、男の癖に整った綺麗な顔立ち。黙っていれば美少年なのだが、口を開けば軽口を叩きまくる始末。この世界の知識がないこともあって馬鹿丸出しだ。これを残念と言わず何と言うか。しかも召し使いでありながら、主人にお小遣いと称して金を無心する図々しさもある。理由を聞いて金を渡してしまった私も悪いが、これは召し使いとしてどうなのだろう。私は主人として頼られているのか、それともただ単に嘗められているのか……。
そんなイサギではあったが、持ち前のポジティブさとマイペースさでみるみるこちらの世界に馴染んでいった。元の世界に未練がないわけではないのだろうが、それよりもこの世界に興味津々と言った感じで、何かあればすぐに私のもとにやってきては訊いてくる。
あれは何か、これはどうしてこうなっているのか、と。
更に、家に来てすぐに本を強請られた。本なんて書庫にいくらでもあるから好きなものを持っていくよう言ったが、イサギは選んだ本を持ってまた私のところにやってきた。
「字を教えてもらえませんか?」
抱えた分厚い植物図鑑を差し出しながら、はっきりとそう言った。意外にも知識欲が強いのか、私の暇を見付けては図鑑持ってくるようになった。今さら私が見返すよえな本でもなかったので、何を書き込んでも構わないと言うと、習った字にふりがなをふっていった。同時に書き取りの勉強もするために紙とペンも与え、料理を習い、家事もする傍ら、読み書きの勉強も平行して行っている。
軽口ばかり叩いては私に怒られているイサギだが、こうして真面目な一面を覗かせることも多い。
最初は私に実験料理を作っていた食事も、街に通うようになってからは随分と腕を上げた。元々料理は出来る方だったという本人の弁はどうやら本当だったようだ。
イサギの意外な一面は他にもある。
最近で一番驚かされたことだったが、街通いをするために放し飼いにしている使い魔を連れてくるように言ったところ、連れてきたのは竜王種のドラゴンだった。
ドラゴンの中でも特に力が強く稀少な竜王種。その種族の中でも次期竜王の呼び声が高い、蒼鱗のゼルディオーネ。通常なら赤鱗の竜王種だが、彼だけは真逆の蒼鱗で生まれてきた。それを理由に幼竜の頃は同族に弾かれたり、人間に狙われたりと散々な目にあった過去を持つ。
そんな彼を私の使い魔と勘違いして連れてきたにしても、信じられなかった。近くの森を縄張りにしていたのは知っていたが、まさか人間嫌いで人離れした私にさえ拒絶を示した彼が、怪我をしたイサギを家まで連れてきたのだ。
イサギが事の重大さを分かっている筈もなく、ただ純粋にゼルディオーネに懐き、助けてもらったのだと感謝するだけだった。
ゼルディオーネの方はというと
『私の縄張りで何をしているかと思えば、迷い混んだ狼に追われ泉に逃げ込んできたのだ。少し脅かしてやろうと思ったが、怯えるどころか話し掛けてくる始末。私の言葉も解らぬというのに喋る喋る……。狼すら相手に出来ぬ非力さだというのに一人で行こうとするものだから、つい気になって後を追ってしまったのだ』
だそうで。
要は馬鹿丸出しのイサギに絆されただけだった。以来彼は、毎日イサギを街まで送り迎えしている。
一応、イサギにはその身に危険があれば私にすぐ知らせるよう魔法を掛けてある。しかし、街の中なら魔物に出くわすこともないだろうし、行き帰りもゼルディオーネがいるなら問題ないだろう。
これから有能になる予定の召し使いが、こんなところで行き倒れでもしたら困る。
「ベロニカさん、ただいまー」
日が沈む頃、イサギが帰ってきた。首から持ち主を探している誰かのポーチをぶら下げ、片手に持った麻袋から野菜や果物が顔を覗かせている。
「おかえりイサギ。今日の夕飯は何かしら?」
「ふっふっふ、聞いてくださいベロニカさん。俺はついにシチューをマスターしたんです!」
麻袋からミルクの瓶を取り出しながら妙なポーズをとるイサギ。楽しそうで何よりだが、片手で掲げたミルクの瓶を今にも落としそうで見ていられない。そう思っていると、案の定手を滑らせて瓶が宙を舞った。すかさず人差し指を動かして瓶を浮かすと、怒られる前に謝ってしまえとイサギの見え見えの心の内が聞こえ、イサギが素早く土下座を決めていた。
「久々のシチューにちょっとテンション上がりすぎましたすみません!」
「毎度土下座するくらいなら学習しなさいよ」
下げた頭の上に瓶を乗せ、薬の調合をしながら食事が出来上がるのを待つことにする。
イサギはさっさとキッチンへ入り、早速夕飯の支度に取りかかった。時々、リズムよく食材を切っていくイサギの様子を眺めながら、街で売るために作った薬を小瓶に詰めていく。
「ベロニカさんって、エルフに会ったことあります?」
切った野菜を鍋に入れながら、視線をこちらに向けることなくイサギが話し掛けてきた。最近、こうして調理しながら話すことが多い。
「ええ、あるわよ。賢いけど頭の固い種族ね。そう言えばケイブルグラムにはまだ王国騎士団が彷徨いているの?」
「はい。あでも、『騎士様御一行が荷物をまとめ始めた』って宿屋のオヤジさんが言ってたんで、そろそろ引き上げるんだと思います」
やっと、ね。
本当はもっと早くにイサギと街へ行く予定だったのが、騎士団の登場で予定を延期していた。揉めたのは先代国王とだったが、代替わりしてもどれだけ私に敵意を持った人物がいるか分からない以上、自ら進んで彼等に近付くことは避けたかった。イサギも私の召し使いだということがバレていないようだし、面倒なことを起こさないうちに早く街から出ていくことを願うばかりだ。
イサギは一度、騎士団と接触してしまっている以上、更に私との関係が露見すればイサギの身に危険が及ぶかもしれない。幸いにも私がよく訪れる街であるため、住民もイサギを庇って情報が漏れないように努めてくれているようだ。これは次に薬を売りに行くときは少々まけてやらねばなるまい。
王国騎士団が帰省すると噂の5日後。その翌日に私はイサギと共に約3か月ぶりにケイブルグラムを訪れた。




