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残酷な現実

 強い風が吹いた。


 もうその頃には、何もかもがどうでも良く感じていた。

 竜に対する幻想も、すでに消え去り、竜にとって人というものが、害であるのだということもわかった。でなければ、遺体を放置している筈がないからだ。竜は人を無差別に殺す。グイドがサルアを伴い、ジェルドの消息を探そうが無駄だと諦めもついていた。


 グイドは、視界を遮るように現れた者の姿に視線を向けた。

 巨大な二枚の羽が翻るたび、風が起こる。長く太い尾が地を叩くたび、地面が揺れ、振動が体を貫いた。


 咆哮が耳を劈いた。

 高く、空を切り裂くような咆哮は、竜の威嚇なのかもしれなかった。

 グイドは、ぐったりとしたサルアを地面に下ろし、肩を支えて立ち尽くしていた。


 武器はひとつも持っていない。戦おうにも、この巨大な生物にどう戦えば良いのか、考えるだけ無駄に思える。始めから降参。どうにでもしてくれと、両手を上げてしまいたいくらいだった。それでもサルアだけは助けて欲しいと願う。サルアを地面に座らせ、グイドだけ、ゆっくりサルアから離れれば、竜の視線はグイドへと縫いとめられているのだとわかった。


 竜はグイドに敵意を見せている。

 グイドは内心でホッとした。このままサルアを見逃し、グイドだけを攻撃するのなら、サルアにもっと辛い思いをさせてしまうけど、生きていてくれた方が良い。グイドは乾いた笑い声をあげ、覚悟を決めて走った。


「グイド!」


 サルアが叫んだ。

 お願いだから叫ばないで、静かにしてと、祈る。

 竜の視線から逃れられるはずもなく、森の切れ目から、身を隠すことのできる、木の残る場所へ走ったが、目的が達成できる前に、腹に衝撃を受けた。


「グイド! いやだ」


 木の幹に激突した衝撃が背中に走る。地に落ち、動こうにも動けなくなった。

 サルアが駆け寄って来る。


「ダメだよ、ルーア。逃げて。君ひとりだったら逃げられるだろ? 僕の為に、お願いだ」


「いや! いやだ、いや」


 サルアは狂ったようにそう言うと、グイドの腹に顔を寄せ、嗚咽を漏らして泣いていた。

 竜はまだサルアの背後にいる。こちらの様子を伺いながら、荒い息を吐いている。


 生臭い瘴気が辺りに満ち、少女のすすり泣きが聞こえ続ける。

 グイドは、自分の意識が朦朧としていることに気づきながら、ついに頭がおかしくなっているのだと思っていた。

 腹が痛む。背中も、足も、手も。

 グイドはサルアの頬に手を伸ばし、泣き止むようにと思いながら、微笑んで見せた。


「大丈夫、ルーア。僕は大丈夫だから」


 サルアが泣き続けているから、立ち上がらなければならないと思った。嘘でも良いから、今だけ力をと、願いながら体に力を込め、ゆっくりと地面から体を浮かせて行った。


 半身を起き上らせ、サルアを抱きしめる。大丈夫だからと髪を撫で、未だ視線を向け続けている竜を睨みつけた。

 尾に襲われただけでかなりの打撃を受けた。竜がどういう攻撃をして来るのか、その知識もないから、どう対応して良いのかもわからない。武器もない。戦い方もわからない。それでもサルアを守らなければと強く思った。


「バカだな、走るからだ」


 上空から声が聞こえて来た。

 竜から視線を外すことに戸惑いながらも、声の方に視線を向ける。

 新たな風が巻き起こり、竜とグイドとの間に、もう一頭の竜が舞い降りて来た。


 グイドは目を疑った。


 ニヤリと片頬を引き上げ、面白おかしいとばかりに笑む男。無愛想な態度にして、言葉使いも乱暴。それでもこの男は、ファタ領にとって必要不可欠な存在であり、グイドが追い求めて来た相手だった。

 リラト=ファタ=サーイム、ファタ領主二男、ジェルド=サーイム=ファタ。

 リラト国、ファタ領、サーイム軍、将、ジェルド。片腕を無くしながらも、竜を馬の背のように乗り熟し、まるでなんでもないことのように笑っている。


 グイドは思わずサルアを強く抱きしめていた。


「ルーア、ジェルド様だ」


 サルアはキョトンとしたまま、グイドに抱きしめられ続けている。グイドを見上げれば、目に涙が光っていて、胸の中に安堵が広がっていた。


「おまえ、俺の前で女の子と抱擁とは、このまま殺されても良かったんじゃねえの?」


 ジェルドに不満そうに言われたグイドは、自分のしていることにやっと気づき、サルアを離し、地面に片膝を付く体勢にして、左手を胸に当て、視線を下げた。


「リラト=ファタ=メーノ、第二小隊所属、グイド・ユネ、お迎えに参りました」


 嬉しそうな、高らかな声を上げたグイドだったが、地面にポタポタと涙を落としていた。安堵と目的を果たせたことに対する喜び。サルアを死なせずに済んだこと、サルアに自分の死を見せずに済んだこと。そんなことへの感謝が胸の中に渦巻いていた。


「お迎え? そんなもん、頼んだ覚えはねえなぁ」


 ジェルドは、竜の背の上で胡坐をかき、ポリポリと頭を掻いている。


「ですが、ジェルド様、あなたの左腕が我が元に届けられました。ですから無事を願い、ここまで……」


「頼んでねえって。っかさ、グイド、俺、おまえには付いて来るなって言ったよな? メーノにはおまえが必要だって。なのに、なんでここにいるんだ?」


「……そ、それは、遠征の際に受けたお言葉です。ファタ領には、ジェルド様が必要なんです。早くお帰りになってください」


 グイドは地面を見詰めたまま、ジェルドの声を聞いている。しかし、懐かしい面影が脳裏にはあり、ジェルドの声だけでその表情を思い起こすことが出来た。それくらい、グイドはジェルドを見詰め続けていた。従うのなら、ジェルドの元でと願い続けて来た。


「やだね」


 思わずグイドは顔を上げていた。耳に届いた言葉が信じられず、ジェルドの表情を見たいと思ってしまったのだ。しかし、ジェルドは言葉と同じく、吐き捨てた後のように、不貞腐れた面持ちになっていた。


「……なぜ?」


 もうジェルドから視線が外せない。グイドを頼りに捕まって来るサルアを宥める余裕さえなくなっていた。


「なぜっておまえ、ここの居心地が良いからに決まってんだろ」


「居心地が良い? ここが?」


 グイドが辺りを見回せば、竜が咎めるように咆哮を上げる。

 びくりと体を揺らしたサルアは、グイドの腰に手を回し、しっかりとまき付いていた。


「ここが、ですか? こんな死臭の濃い、こんな場所が?」


 内心で怒りがわき起こっていた。もしかしたら、目の前にいるジェルドは、グイドの知っているジェルドではないと思うくらいに、怒りが浸透して行った。


「本当にそうお思いなのですか?」


 思わず声が沈んだ。あまり怒りを露わにする性格でないグイドだったが、あまりのことに我を忘れそうになっていた。

 ここに散らばる遺体の数々は、同じ国の者たちである。遠征で旅をしていた仲間である筈だ。国を、我が領を思いやり、尽くしていたジェルドから出た言葉だと思いたくなかった。


「……グイド?」


 サルアが心配そうな顔で見上げている。


「ごめん、大丈夫だよ」


 サルアの顔を見てやっと、落ち着かなければならないと思えた。息を吐き、心を鎮める。サルアの肩を抱き、もう良いかと思い始めた。


「わかりました」


 グイドは高らかに声を上げる。

 ジェルドの視線が、笑みを含みながら、グイドの上にある。


「ジェルド様は戦死したと、そうお伝えすればよろしいですか」


「戦死? まさか」


 グイドの真剣なまなざしを笑ったジェルドは、竜の背から地面に飛び降り、グイドの前に立ち塞がった。


「俺は生きているだろう? ん?」


 ジェルドは、グイドの頬を掴み、ギリリと掴み上げている。


「や、やめて、お願い、やめて!」


 ジェルドの力に持ち上げられたグイドの体。サルアはジェルドの足に詰め寄り、見上げながら懇願した。


「薬草摘みの女か。俺の腕を運んだのはおまえ?」


 ジェルドはグイドの頬を振り払うように離し、今度はサルアを見下ろした。


「その子は関係ありません!」


 グイドは竜に受けた衝撃と、ジェルドの暴虐な振る舞いにより、立ち上がるのに時間を要してしまった。


 サルアはコクリと頷く。

 ジェルドの蹴りがサルアの体を襲った。

 声も出せず、衝撃を受けたまま、地を滑り、木の幹に激突した。そのまま意識を失いそうに、ぼんやりしたまま、遠くなってしまった光景を見ていた。


「やめてください、その子が何をしたって言うんですか!」


 サルアに向かって行こうとするジェイドの足を、必死で縋るように止めるグイドの姿がある。


「お前が俺の腕を受け取ったのか」


 ジェイドは足を止め、グイドを見下ろす。

 グイドはジェイドの視線を受け、足に縋りつくのを止め、地に膝をついて座り直した。


「受け取ったのは、エジニ様です」


 それはサルアを拘束し、会議を行った時、最前に座っていた老人の名を指している。


「ほう、エジニか」


 ジェイドはニヤリと笑み、表情を消すと同時に、グイドの肩を蹴り飛ばしていた。


 竜が二頭、ごく普通にそこにいるのも不思議な光景で、ジェイドの振る舞いが何を意味しているのか、それを知りたいと思いながらも、やはりジェイドが偽物ではないかという思いが拭えないでいた。


 以前からおとなしい人物ではなかった。しかし、理不尽に誰かを痛め付けることや、汚い言葉を浴びせることもなく、おもしろいことが大好きで、変わったことをしては楽しむ。そういう明るい場所にいた筈だった。


「では、指輪はヴォルに渡ったか」


 ジェルドの呟きがグイドの耳に届いた。

 ヴォルとは、領主長男、ヴォルパドのことだ。

 あの指輪は、次代王の選定対象となる人物に与えられている。


 各領の領主、その息子。軍の中でも優秀とされる者や、上級官など。王の定めた者に与えられ、王が退位を決めた後、もしくは王が崩御した後、選定の指輪を持つ者から次代王を決めるという項目が、建国の際に定められた規定に印されている。


 ジェルドが選定の指輪を求めるということは、次代王の座を狙っているということになる。


 それが遠征以前の話ならば、グイドは心から喜ぶことができた。次代王に相応しいとする者の中に、ジェイドの名も確かにあったからだ。

 でも今は違う。国を去り、同じ軍の仲間を愚弄するような態度を取り、ためらいもなく少女を蹴り飛ばす。そんな態度を取る者に、国を任せることなどできない。


「……ヴォルか……」


 ジェイドはさらに呟き、何かを考えるように、視線を馳せていた。


「何も、なさらないでください。ジェイド様がここで暮らして行かれるのなら、それで。国に報告も致しません。ですから、どうかルーアだけはお助けください」


 ジェイドが何を考えているのか、本当の意味で、グイドにはわからない。ただ想像して、良い考えが浮かばないということだけだ。グイドにジェイドを止めるすべなどありはしない。力の差も大きければ、能力の差も大きい。元々器が違うのだと思って来た。そんな相手に言葉ひとつも勝つことなど難しい。そうなれば、ひとつの願いを叶えて貰えるだけでも難しく、願えば願うだけ打ち消される方が強い。それでもサルアの命だけは守りたかった。最小の願いが最大の願いでもあった。


「いや、そうだな、それも良いだろう」


 ジェイドはそう呟き、竜の方へ向かって行く。


「俺は死んだ。そう伝えれば良い」


 竜の尾がジェイドの尻を持ち上げ、背に乗せた。そのまま羽を数度羽ばたかせ、砂をまき上がらせながら、上空へと舞い上がって行く。それに続き、もう一頭の竜も空へと舞いあがる。

 竜の姿を見上げ、姿を見送ったグイドとサルアは、何がどうなったのかと思いながら、とにかく助かったのだと、それだけを胸にした。


 あれが本物のジェイドだったのか、偽物なのか。“竜の巣”で何かがあって、変わってしまったのだろうか。何一つわからないまま、グイドはサルアのところに向かい、無事を確かめるように、静かに抱きしめ合っていた。

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