残酷な風景
竜は木々の上を飛んで行く。
空に混じり合うように、高く、高くへ舞い上がり、地に滑降し、遥か彼方に消えて行った。
まだ竜は鳥に近い位置にいた。
近づいて来るものもいたが、頭上よりも高い位置を飛びゆくだけ。
サルアだけの時も、竜は頭上を飛び、風でサルアへ悪戯をして来る。それはサルアがそう感じているだけで、竜の方は、ただ飛んで行っただけかもしれない。
しかし、今は違うような気がしていた。
悪戯ではない風が襲って来る。これ以上、進むなと言っているような強い風が前方より吹いて来る。それは竜が何度も目前から迫り、通り抜けて行くからだった。
木々が風に揺れ、千切れた葉や枝が体に当たる。
グイドは姿勢を低くしながら、背にサルアを隠している。一歩一歩が酷く重く、いつあの竜が降りて来るのかと思えば、募る恐怖が不安を煽った。
どれくらい進んだのだろうか。埋め尽くすように立ち並んでいた木々が途切れる場所に出た。
グイドは警戒しながら地に伏し、その先の光景を確認して、思わずサルアを振り返っていた。
グイドを見て、何があったのかと小首を傾げたサルアは、グイドの横まで行こうとして、グイドの手により視界を遮られていた。
グイドがサルアの耳元に口を寄せ、小さな声を出した。
「ごめん、ルーア。やっぱり戻って。こんなの、君には見せられないよ」
グイドはサルアの目を手で塞ぎながらそういうと、風に乗って流れて来る悪臭に顔を顰めた。その匂いはサルアにも届いている。サルアは匂いで目の前に広がっている光景を想像し、グイドがなぜそうするのかを悟った。
「大丈夫」
サルアは小さくそう言うと、グイドの手に手を重ね、ゆっくりと視界を取り戻した。
森の切れ間には、凹んだ土地があり、以前は池だったのかもしれない、無数の死体を無造作に放置したまま、どす黒く変色した液体が底に溜まっている。もう表情さえもわからない朽ちた遺体。いつからここに放置され続けているのかと思うほどに残虐で、悲しい光景だった。
その先にはまた森が続いている。しかし、折れた木々、なぎ倒された木々、が連なり、そのいたるところに死体がある。気に引か掛かっているものもあれば、地にめり込んでしまっているものもあり、とてもそこに足を踏み入れようとは思えなかった。
それでも行かなければならない。
グイドは自然にサルアの手を取り、一緒に一歩を踏み出していた。
これは軍人であるグイドにでさえ堪える光景だ。死に直面するよりも残酷で、正常に働く思考が煩わしいと思うほどに、惑わされないように気を張っていても、隙間を縫うように中へ忍び込んで来るような、そんな逃れられないものがあった。
サルアは身を震わせ、それでも気丈に前を向いている。
できる限り、死体を踏まない場所を選んで進んでいるが、時折、上から腐った血が落ちて来る。ずるりと奇妙な音を上げ、死体の一部が目の前に落ちることもあった。
どうにもならない恐怖と戦いながら、グイドはサルアを気遣わなければと必死だった。
背を支えている手にサルアの震えが伝わっている。純粋であればあるほど、心の中に忍び寄って来る暗い影の魔手は確実に蝕む。
サルアの足が止まった。
グイドの服を掴み、歯の根の合わない音をさせながら、ぶるぶると震え続けている。
「ごめんね」
グイドは、サルアの耳元で囁くと、サルアを背に乗せて歩き始めた。せめてこんな光景のない場所にと、必死で足を進めて行く。死体の顔がわからなくて良かったと思う。これはまだ新しい方の遺体だ。そうなれば、3月前に遠征に向かった、ジェルドの率いた隊であろうことがわかるからだ。遺体の着ている服ももう、破れ、泥と腐った血とで濡れ、どの軍のものなのかもわからなかった。
それでも襟章は見える。見たくはないのに探してしまうのは、仲間の死を受け入れたいからなのか。本当は知りたくないと思いながら、気持ちを無視するように、目は変に澄み、見たくないものを見せていた。
そうか、とグイドは思った。
ジェルドを探しに来たのだ。死体の中にジェルドのものを発見してしまえば、これ以上、サルアを連れて行かずに済む。そう思い、心の中にある真実が見えた気がして、グイドは地に膝を折り、地面を拳で叩きつけていた。
「どうしたの?」
憔悴しきったサルアが、震える声を聞かせた。
「なんでもない」
そう言ったグイドは、想いを振り切るように立ち上がり、歩みを再開していた。